しろくまぱんだ

1992年生まれ。メディアに関わるお仕事。 毎日、何かを考えている。良くも悪くも。

しろくまぱんだ

1992年生まれ。メディアに関わるお仕事。 毎日、何かを考えている。良くも悪くも。

最近の記事

「29」の壁

1992年、3月生まれ。 私は、次の誕生日に30歳を迎える。 現在、29歳。20代ラスト。 同学年の仲間たちは、みんな続々と「30歳」を迎えている。 それを早生まれの私は「おめでとう~!」なんて言いながら横目で見ている。 29歳ってなってみた人しか分からないと思うのだが、 怖い。 女性と男性でも違うのかもしれない。 私は女性なので女性の気持ちしか分からないけれど、 女性の29歳って本当に怖い。 何が怖いか。 「29歳なのに結婚もしていない」 「29歳なのに子どももいな

    • 私の感情を言語化してくれる人間は若林正恭だけでいい

      最近、Twitterを見ることに疲れてしまった。 じゃあ見るなよと思われるかもしれないが、見たいものは見たいし、見たくないものは見たくない。 不意に目に飛び込んできてしまうから困ったものだ。 私は、オードリーの若林さんが好きだ。 彼に共感する人間、救われた人間はたくさんいる。 私もその一人だ。 私は、若林さんの言葉が好きだ。 もっといえば、彼の脳が好きだ。思考回路が好きだ。 そして、その思考回路が自分と似ているとすごく思う。 ※自分の思考回路が好きと言っているわけではな

      • 他人と比較している暇があったら自分を幸せにする方法を考えようと本気で思った話

        今日、ようやく私は「他人」を「他人」と認識することができた。 自分とはちがう「他人」なのだと。 そのことについて、日記を書きたい。 ここから先のお話は、恐らく普通の人からしたら 当たり前の話なのだと思う。 だから何当たり前のこと言ってんだ!と思われると思う。 でも、私には新しい価値観であり、発見であり、成長であった。 それを日記として残しているだけなので、どうかスルーしてください。 私はみんなの当たり前ができない。 みんなが気にせずいられることを気にしてしまう。 先日

        • ひとりだから寂しくない

          一人暮らしをしている。 「一人だから寂しい」と思ったことはない。 「寂しい」と思う時はいつだって、 誰かを思っているとき。 誰かと過ごす時間が日常となっているとき。 誰かと過ごした記憶が鮮明にあるとき。 誰かと共に生きているから、 「今、私は一人だ」「寂しい」と思ってしまう。 「一人」が日常であれば、決して寂しいなんて思わない。 そう考えると、「寂しい」と思うのは 誰かと共に生きている証拠なのかもしれない。 私は今、寂しいと思わない。 いつかまた「寂しい」と思う日々

          家にいるだけで自己肯定感が上がる世界

          noteの使い方はよく知らない。 ここに書くことは、世の中への発信ではなく、あくまで個人的な日記です。 私は、自己肯定感が低い。 他人と比較して、人のいいところばかり見て、自分はダメだと思って、 誰にも否定されていないのに、誹謗中傷も受けていないのに、 攻撃されていないのに、むしろみんなやさしいのに、 ひとりで勝手に周りを見て、ひとりで傷ついてしまう。 劣等感。承認欲求。そんなことはもう何千回、何万回考えてきた。 始まりは高校時代。 中学までは成績優秀だったけど、進学校

          家にいるだけで自己肯定感が上がる世界