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『新版 20週俳句入門』を村上春樹とかけ合わせて読む 第11-15週
第11週 上五の切り方
〔型・その一〕がみなさんの〈ふるさと〉になると言うのも、この型に寄せるつよい信頼感があるからです。どうかこの型を、たっぷり自分の身体に沁み込ませる努力を、惜しまないでいただきたい。
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そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。
自由自在に詠まれた魅力的な句を見ると、自分も型から外れたくなる。でも、まずは型を身につけようと思う。
※ 型・その一 = [上五が季語 + や] + [中七] + [名詞止め]
第12週 二つめの型へ進む
(使いこなす季語の数は)
一千を超えれば多いと言われるほうだろう。だんだんと使いやすい季語や好きな季語というのができるから、それを中心にして記憶を広げていけばいいのである。
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小説を書いていて、必要な時に必要な記憶の抽斗がポッと勝手に開いてくれるというのがすごく大事なんです。
抽斗として使える季語が数百もあれば、表現したいことはまず表現できるようになるのかな。
古臭さ・常識・独善はいけない
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いつも言ってることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で「ああ、こういうものか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。
スルメみたいな俳句を詠みたい。
第13週 「新宿の空は四角や」
報告的ということは、これこれの場所ですよ、とか、こういうことをいました、とそれだけで終わっていて、情趣も情感もない表現。「秋の宿」がまさにそれ。宿のほとりに作者の心をとらえた季語が、何かなかったろうか。萩が咲いていた?うん、それのほうが「秋の宿」よりずっといい。
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リアリティの肝を抜き出して、新しい身体に移し替える。生きたままの新鮮な肝を抜き出すことが大事なんです。小説家っていうのは、そういう意味では外科医と同じです。手早く的確に、ものごとを処理しなくちゃなりません。ぐずぐずしていると、リアリティが死んでしまう。
リアリティの肝を鷲掴みしたい。
第14週 「眼中のもの皆俳句」
この「見えてくる」ということ、ものすごく大切で、詠った対象が、<そこにある><そこに見える>というのは佳句の欠かせぬ条件です。
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とにかく僕はその文章を読んだらもう、牡蠣フライを食べたくてしょうがなくなってくるとか、あるいはその文章を読んだらもう、ビール飲みたくてしょうがなくなってくるとか、そういう物理的な反応があるのがとにかく好きなんです。そしてそういう技術にさらにさらに磨きをかけたいという強い欲があります。(中略)現実の牡蠣フライより、もっと読者をそそりたい。
僕も、物理的な反応があるのが好きです。
「季語が動く」原因は、
①季語が適切でない。
②季語以外のフレーズの表現が十分でない。
ということだが、大方は<季語以外のフレーズが平凡で特徴がない>ことに起因する。
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(つんぼって、たぶん今使っちゃいけない言葉なんだけど)
普通の会話だったら、「おまえ、俺の話聞こえてんのか」「聞こえてら」で済む会話ですよね。でもそれじゃドラマにならないわけ。「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやりとりに動きが生まれる。単純だけど、すごく大事な基本です。でもこれができていない作家が世間にはたくさんいる。
季語以外のフレーズで、動きを生みたい。
第15週 デリケートな「かな」
上五・中七が季語「師走」をちょっと意識したフレーズになってしまった。<「師走」だから駅前踊りは飾り立てて大売出しをやっている>という形になってしまった。この<だから>という感じが出てくる場合は、たいてい季語の連想を説明している句になっているもの。要注意。
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頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがないじゃないですか。物語というのは、解釈できないからこそ物語になるんであって、これはこういう意味があると思う、って作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くも何ともない。読者はガッカリしちゃいます。作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている。
物語ほどではないにせよ、解釈の余地が俳句でも重要かもしれない。
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