見出し画像

命のひらめきを探したくなる『俳句とは何か』

俳句論の本は20冊くらい読んだと思うが、どの本にも名前が挙がる評論家がいた。

山本健吉。

彼の「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」を引用する文に何度出会っただろう。その度に読んでみたいと思っていたが、なかなか手を出せずにいた。

が、年末年始の時間を取れそうなタイミングで、『俳句とは何か』を鱗読書会の課題本にしてもらえたので、ついに読むことができた。

結果。

思っていたよりも熱い本だった。引用先ではテクニカルな話題が多かったけど、それよりもっと情熱のたぎる本だった。俳句で何を表現できるかということに迫った本だった。これは、広く読み継がれるといいと思う。

最初の70ページくらいは密度の高い評論文で、読むのに気合いがいるけど、以降は割と読めやすい。なので初めて読むときは、序盤を読み飛ばすつもりで手に取ると、挫折しにくいだろう。

個人的にハッとした言葉を、以下まとめてみた。わかりやすくするために、本文をめっちゃ編集していますのでご留意ください(場合によっては、文意と異なっているかもしれません)。

俳句とは

俳句とはひねる・・・ものだ。「古池や蛙飛び込む水の音」は芭蕉の最高傑作ではないが、俳句としての典型である。

俳句は作者の発見の驚異が作品を支える。感情よりも思惟に多くを訴える。作者の認識が一句にひねられていて、読者はそれを解読できたときに、会得の微笑みを漏らす。その微笑みの感染性が、俳句が広まる力となる。

つまり俳句は、情趣の芸術ではなく、認識の芸術である。

俳句が志すのは、実体的な一つの認識であり、一つの刻印である。僕等は何か確実なものを掴んで帰るために十七音をよむ。

p.13-p.21「挨拶と滑稽」

俳句の本質は象徴詩ではなく寓意詩であるというのが、私の結論

p.94「純粋俳句」

芸術における俳句とは / なぜ俳句は二度吟じるか

芸術は、他のジャンルを羨望し模倣するとき固有の力を失う。
俳句は小さいからこそ、固有の厳しい方法を持っているはずである。
それは「時間性という、一般的な詩の条件を持たない」ことだ。

p.12「挨拶と滑稽」

言葉が連続する以上、必ず時間は流れる。その時間を止めようとするところ、圧縮しようとするところに、俳句の特徴がある。

そういう意味で、加藤楸邨が「俳句の調は、読み了へたところから、再び全句に反響する」と述べたのは、示唆深い。

俳句を二度吟じるのは、十七音をできるだけ同時に現すためではないか。「古池や」と「水の音」を同時に存在させようとすることで、実際には流れざるを得ない時間との間で、無限の摩擦が生まれ、俳句の芸術性が生まれる。

p.15-p.17「挨拶と滑稽」

芭蕉は「発句のことは行きて帰る心の味ひなり」と言った。これは「行く力」と「帰る力」の均衡のことではないか。

不安定な詩形を一点につなぎ止めようとする「切れ」があった上で、流れようとする時間の流れ(行く力)と、時間を止めようとする俳句の詩的律動(帰る力)がある。この嵐の中の均衡に、俳句の本質が発生する。

p.190-193「行きて帰る心の味ひ」

季語はどう用いるべきか

俳句は高い声で朗読されたり、朗吟されることを好まない。最高級の俳句においては、十七音の一部だけが、強調されることはない。季語ですらも、特殊な雰囲気が一応は消される必要がある。読者の注意力が全体に平均して向けられるべきなのだ。

p.55「挨拶と滑稽」

芭蕉は、季語の持つ情緒をいったん殺して、普通語として使うすべを会得していた。季語を単なる裸形のままの言葉として、自然な素材として、とらえようとしたところに芭蕉の季語観は成立する

古池や蛙飛びこむ水の音
閑さや岩にしみ入蝉の声
さみだれを集て早し最上川
から鮭も空也の痩も寒の内
明月や座にうつくしき貌もなし

どの句にも季語が存在してはいるが、いずれも季語としての誇示はない。

p.59-62「挨拶と滑稽」

客観的世界の尊重とは

芭蕉は次のような推敲をした。

前:雪薄し白魚白きこと一寸
後:曙や白魚白きこと一寸

芭蕉は当初、事実を重んじて作句してしまったことを「無念の事也」と言った。作品はあくまでも一つの完結した客観的世界であって、偶然経験した事実の断片を移しただけでは、完結性は与えられない。

客観的世界を尊重するということは、感動を通して「物」を摑むということである。われわれがまず発見しなければならないのは、対象そのものではなく、われわれ自身の感動なのだ。

そうして感動の動きを的確に追って、作品の中でその感動に即した「物自体」を表すことで、具体的な感動を、いきいきと伝えることができる。事実の描写よりも、一層白魚がいきいきと蘇るのをわれわれは味わうことができる。

つまり、万人に訴えかける客観的世界とは、強い意志をもって奪取しなければならない一つの対象なのだ。その奪取は、抵抗を受けるものであり、忍耐が必要なものである。

客観的世界の尊重と、事実の尊重は異なる。事実の羅列は、創作のための安易な手段でしかない。触目に頼る手帳俳句の「それは事実だった」という支えには注意すべきである。

p.83-87「純粋俳句」

(メモ。俳句とはイデアをつかむもの)

俳句の対話的性質

俳諧とは一座の中で絶えず相手に語りかけ、笑みかける芸術なのだ。
発句にも、付句を誘い出すような性格が自ずから含まれる。
「古池」の一句は、衆人に談笑の場を打ち開いたのだ。

p.63-64「挨拶と滑稽」

(そして発句が独立した俳句にも、その特徴は引き継がれているだろう)

俳句は客観的世界の一つの刻印であるが、いったん提出された次に、必ず「そうですよね?」と相手への問いかけを忘れないのが、本来的な俳句の在り方なのだ。

発句が脇句を要求する連句において、その性格が見落とされることはなかった。だが昨今、忘れ去られつつある。

しかし俳句固有の方法を追求する限り、その対話性を抜きにすることはできないのだ。一人語りとして俳句を徹底していくと、袋小路に突き当たる。独り合点は俳句の最大のタブーである。

p.99「ディアローグの芸術」

発句は断定であるとともに、問いかけでもある。独詠であるとともに、対詠でもある。モノローグであるとともに、ダイアローグでもある。この二重性格が、俳句の詩形の本質に根ざしている。

p.195「行きて帰る心の味ひ」

2パターンの「かな」のうちの軽い方

「かな」には重量感のある「かな」に対して、至極無造作な軽い「かな」がある。例えば

みちのくの伊達の郡の春田かな  波郷
祖母山も傾山も夕立かな  青邨

などである。こういう軽く即興的に言い取った「かな」は、してやったりとニヤリと笑っている小面にくい表情も浮かぶし、読者の側の微笑みも誘い出す。俳句固有の対象把握の仕方の一つである。

p.103-105「かなについての月並的考察」

芭蕉が理想とした取り合わせ

芭蕉はまったく異なるものを取り合わせる二物衝撃的な取り合わせの効用を認めていたが、

「発句は汝が如く、物二ッ三ッとりあつめて作るものにあらず、こがねを打ちのべたるやうにありたし

と言った。古池の句も、先に中七下五ができて、上五を考えていた時に、其角が「山吹や」を提案したが、退けて「古池や」を置いたと伝えられている。

つまり、一つの主題の反復であり、積み重ねと言うべき取り合わせである。上五に示された力強い、大胆な把握が、残りの十二音の具象的な把握によって上塗りされてハーモニーを醸し出すのだ。

p.106-p.109「「や」についての考察」

このタイプの取り合せは《暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太》を真っ先に思い出す。

俳句の未来

私はここに、はっきり断定することができる。俳句はかつて芭蕉の時代に、それが連句の発句として達することのできた高さにまで、それ以降単独で到達したことは、一度だってないと。

俳句が、俳諧から独立したことによって、本来具えられていた、どのような豊かな要素が失われ、感性が荒廃したかを見極めたい。そうして現在の俳句に脱出点を見出したい。

おそらく脱出の方向性は、草田男にある。草田男は「本来散文的な性質の要素と、純粋な詩的要素」に向かっている。俳句だけでそれが可能なのかはわからない。ただ、おぼろげながら「俳諧をパターンとする現代詩の創造」が脱出の一つの手段ではないかと、私は思い描いている。

p.132-p144「俳句の世界」

句の公的な役割

発句は、連句の席や、慶弔その他の挨拶の席で求められた場合には、季節を違えぬことが俳人の礼儀作法であった。季節を外すことは、一座の人々の気分を損ない、座を白けさせる。

だが発句が、公的な場の役目を果たして、孤独者としての自分の手に戻ってきたら、その季節の約束に意味はなくなる。芭蕉が推敲した句の一定数は、当季の制約上、仕方なく詠まれたものだと私は考えている。

p.221-p.222「季の詞」

命のひらめき

子規が「病牀六尺」の世界で到達した「淡さ」の世界には、命の灯がともっている。子規の門下でその「淡さ」をものにしたのは虚子だけだった。

遠山に日の当りたる枯野かな

この「淡さ」には、心の灯がともされている。虚子自身もこう言っている。

「心の中では常に見る景色である。私はかういふ景色が好きである。わが人生は概ね日の当らぬ枯野の如きものであつてもよい。寧ろそれを希望する。たゞ遠山の端に日の当つてゐる事によつて、心は平らかだ」

この「淡さ」は虚子の天性でもあるが、子規うつしでもあった。子規がかくべつ与えようとしなかったものを、虚子も受けようとしないで受け取ってしまった。

p.245-p.248「子規と虚子」

俳句は「もの」に執着する詩だが、「もの」に寄りかかって重いだけの、「いのち」のひらめきの感じられない句が多い。

芭蕉の言葉「物の見えたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」を、俳人たちは何より忘れてはならない。その瞬間のおのれの「いのち」が句の中に移されているかどうか。

ヨーロッパの詩論には、ウィットやエスプリという、速さと笑いを軸に据えた精神がある。芭蕉が最晩年に「軽み」と言ったのは、このウィットのことではないか。その詩の笑いの表情が「いのち」のバロメーターではないか。そして私は次のような句に、新しいウィット、はつらつとした「いのち」を見る。

一月の川一月の谷の中  龍太

p.249-253「重い俳句軽い俳句」


これまでの俳書メモで最長クラスのnoteになってしまった。僕が俳句を続けていくならば、きっと山本健吉の本を更に読むだろう。この本も読み直すだろう。

新年早々、佳き本に出会えたことに感謝です。ありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集