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翻訳としてのデータ分析#34 超越的な視点を許された者として

原文抜粋 : 翻訳に苦労する単語

何回行き当たっても、そのたびに適切な訳語が思いつかず苦労している気がする単語がいくつかあるものだが、そのひとつがfairである。

fairという英語において前提とされているのは、雇用者と被雇用者の上に立つ、いわば超越的な存在である。その超越的な視点──何なら神の視点といってもよい──から見て、雇用者/被雇用者の関係が「正当」だと言っているのである。

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

いいですね。fairってそんな言葉だったんですね。

よくフェアだとかフェアじゃないとかって言いますけど、当事者同士の感覚ではなく、絶対的な正当性が基にあるんですね。

そういう意味で、fairという言葉を聞いて思い出すことがある。

転職して働いていたとき、とある分析結果が出た時に、リーダーが「これは社長に伝えよう」と言ってすぐに動いた。

僕はその時、結構驚いた。

というのも、それ以前の会社では、社長というのは殿上人のような存在で、新聞のインタビュー記事と年末年始の挨拶でしか、接点がなかった。同じ建物の中にいるのに、アクセス不可能な存在だった。もし社長に何か伝えたくても、数名のエスカレーションを経る必要があったと思う(そしてそれは若手の自分にとって、絶望的に遠かった)。

だから、そのリーダーの言葉を聞いた時、僕は「え。重要だと思うけど、そんな社長にいきなり言うとかありなの?」と思ったのだ。

実際、その分析結果は、1人の上司に簡単に共有して、それから社長に伝えることができた。

あの時、リーダーがとった行動とそのスピーディーさにはもちろん、会社のためや、チームの成果のためという動機があったと思う。

だが、それだけではない気がした。何となく「この事実を知ったからには即刻伝えねばなるまい」という、職業倫理のようなものを感じた。「仲間にこの重要なファクトが行き届いていないというのは、フェアじゃない。だから正さないと」のような気概を感じたのだ。

最初の方のnoteで書いた通り、データに触る者しか知覚し得ない事実がある。分析屋は、部分的ではあるが超越的な視点を有している。その視点を許された者として責務を果たさねばならないと僕は考えている。

些末な情報は胸の中に閉じ込めておいてもいいけれど、重要な情報は広く即座に伝えるべきだ。という一仕事人としてのスタンスを、リーダーの姿勢から学んだ出来事だった。

それが本当にいいことなのかどうかはわからない。だが、その後の仕事を通じて、そのスタンスは、恩恵をもたらすことが多いと感じている。

自分も、後進にそうしたスタンスを、背中で語ることができたらいいなと思う。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!