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翻訳としてのデータ分析#38 実地で使った分析手法しか武器にならない

原文抜粋 : しっくりくる言葉しか使えない

自分ではあまり使わない言葉だけど、おーいいじゃないと思って使うでしょう。それで次の日に読み直してみると、やっぱりそこだけ浮いてるということがものすごく多いんです。だから結局、自分にしっくりくる言葉には限りがあって、それを活用するしかないなというふうに思うことが多いです。

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

就活生向けのセミナーで話す時、必ずいう言葉がある。
触ったデータとビジネス課題の数だけ、力がつくだ。

アカデミックな世界で新規性のあるアプローチを編み出す力と、現実に分析を適用する場合に問題解決する力は、基本的に異なる。そして後者を遂行できて始めて「実務で使える分析の引き出しが増える」と思っている。

新たな手法を手元のデータに適用するだけなら、さほど難易度は高くない。その適用した結果を報告書やレポートとしてまとめるのも、そこまで難しくない。

難しいのは、なんと言っても、ビジネス的な果実を得ることだ。

的確にニーズを捉え、問題設定を誤らず、現実的な制約を乗り越えて、実用的なアウトプットを提供できる分析を実現するのは、骨の折れることだ。

現実的な制約、というのが厄介で。
分析をプロダクトやビジネスフローに組み込む場合、運用し続けることを考えなければならない。計算時間を所定時間に収める、状況が変わっても対処できる、説明性が高い、といったような要件を満たす必要がある。

そして状況に応じて、発生する問題は異なる。業界特有のルールに従う必要があったり、会社の組織風土や採択している技術に左右されることもある。具体的な内容を予期するのは難しい。

ただ、そうした困難を乗り越える過程で、その分析手法の微細な仕様を把握したり、適用方法を工夫できるようになる。結果、その分析手法の応用の仕方が体得できる。

そうなると、新たな問題が発生した時も、大体、解決方法を提示できる。そこまで到達して初めて「分析手法が使えるようになった」と言えるのだと、僕は考えている。

話は変わるが、昔、何かのセミナーで「分析は集計と回帰モデルだけで使えれば十分」という旨のことを仰ってた人がいた(もう1つ、多変量解析くらいもあったかもしれない)。

そう言われると少し寂しくなる。ただ、一理あるとは思っていて、
・目の前の問題解決に適用しやすいのが、それらの手法である
・使える分析として習熟しやすいのが、それらの手法である
という2つの側面がある気がする。

後者について補足する。

高度な解析手法というのは、現実に適用する上で、様々な困難を乗り越えなければならないケースが多い。開発工数も増えやすい。その割に、課題設定がちょっとでも甘いと、ビジネス的な成果も得られない。

一方、集計はデータさえあれば、毎日自動更新して可視化できるようなツールが豊富にある。結果を挟んで色んなビジネスパーソンと議論もしやすく、使える分析として習熟しやすい。

だから、どうしても、高度な解析はコスパが悪くなりやすい

そういう意味で、前述の「集計で十分」発言があったのかなと思っている。ただ、統計学を学んだ者として、やはり、高度な解析だから得られる恩恵があると信じているし、それを現実世界で実践していきたいと思っている。

幸い、この数年でデータを扱う技術は格段に進歩しているし、ブレークスルーを起こしやすい環境は大分整いつつあると思っている。実業界の「データにまつわる期待」に応えられるようになる時期が近づいていると予期している。自分もいちプレーヤーとして、それを推進していきたい。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!