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翻訳としてのデータ分析#35 新しい問題を新しく解きたい自分にサヨウナラ

原文抜粋 : 忠実さが仇になる

たとえば、look over one’s shoulder という言い方があって、前は僕も「肩越しに振り返る」って訳してたんですけれども、よく考えたら日本語では単に「振り返る」だろうとかね。

忠実に訳しているつもりが実は、英語では自然な表現が、日本語では不自然になっていたりすることはある

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

研究室の先生がポツリと漏らした言葉に、

いい研究の指標というのは、どれだけお金を取ってこれるか、だと思うときもある。我々の研究は紙と鉛筆でできることが多いから、必要ないと言えばないのだけど…。

というのがあった。いつも明快に話す先生だったから、迷ったような口調だったのが、余計印象に残っている。

その言葉に影響されたわけではないのだが。僕は会社に入ってから、現実世界でお金を生み出すことを念頭に、データに関わってきた。ビジネスインパクトあらずんば分析にあらず、くらいのスタンスを取ることが多かった。というか叩き込まれた。

そして今、「お金を生み出せる分析」がどういう分析かを考えると。

基本的にはたくさんの人が関わるプロジェクトだ。「これが分析結果ね、ハイ、あとよろしく!」で済むことはまずない。多くのお金には、多くの説明責任がつきまとう。

俗にヒト・モノ・カネというように、カネを大きく増やそうと思ったら、ヒト・モノも連動して増えやすい。自然、ステークホルダーが多くなって、調整することは増える。

僕はまあ、その最前線で、より良いデータの翻訳方法を考えるのが好きだからいいのだけど。

大学の研究室として、そういう局面は一概に喜びにくいだろうなと思う。そうした局面をうまく御して、研究を積み重ねるエンジンとなる現実的課題だけを、享受できたらいいだろう。しかし実際には、研究の本質ではないコミュニケーション部分やインターフェイス部分に心を砕く必要が発生する

ただ一方、お金が大きく動くような状況にこそ、研究者が解を出すべき問題があったりもする。そのリスクとリターンのバランスを取る匙加減が難しいところだと思う。

リスクをできるだけ抑えて教育研究機関としての役割に忠実であろうとすると、現実的要請を丸きり無視することになりかねない。

だから、あの時、先生は少し逡巡していたんじゃないかと思う。
まるっきりの検討違いかもしれないけど。

今、実務家としての自分は思い切り、お金を生み出す方向に振り切ることができる。レバレッジを効くポイントを見極めて、解ける人やツールを見つけられることができたらいい。自分が解く必要は1ミリもない。

新卒で会社に入ったときは、自分で問題を解きたかった。新しい問題を新しい方法で解きたかった。今も解く部分が楽しいと思っている。でも、今の日本で、自分がやるべきことは、お金が生まれる場所で既存の方法を応用することだと思っている。それくらい、データでやるべきことをやれてない場所は多い。これは、多くの修士卒・博士卒のデータ関連職に共通して、言えることだと思っている。

今度先生に会ったら、あのときの真相を聞いてみたい。そのとき、胸を張ってやり遂げたことを報告できたらいいなと思う。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!