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8 震災のこと④ 母の話

母は震災当時、園長先生で
自宅は無事だったけれど、両親と連絡が取れなくなった子供たちや避難所の人の為に1か月くらい避難所で暮らしていた。
父が母に届けるものがあるようで一緒に母がいる避難所に向かった。

母は小さな体で大きな荷物を色んな場所に運んでいた。
トイレットペーパーや食料などを配布し、声がけをしていた。
少しやせた母を見て、凄く胸が苦しくなったのを覚えている。

震災の1か月前、震度5の大きな地震があって
もっと大きな地震が来るかもしれないと思った母は、園児1人1人のお着替えセットをつくりお昼寝の時も枕もとに置いて、いつでも避難できるように準備、訓練をしていました。
保育園の裏の山におばあさんが住んでいる一軒家があって、何かあった時は園児を家に避難させてほしいとお願いしていたそうです。
震災の時、母は震災で流された橋の上に車でいて、保育園の子供達の事が心配で揺れながら保育園の向かい、園児は山に避難して全員無事だったそうです。

山に避難させるまで園児の事を考え、
避難訓練を徹底していた母の判断力と
仕事に対する一生懸命さを目の当たりにしました。

思春期にあんなに嫌いだった母の完璧主義なところ。
自分が出来るから私もできると思っているところ。今でも好きではない。
でも人の命を預かるという仕事の重み。
命と向き合う事への責任感。
人の命を助ける判断力は日々の心の在り方の蓄積なんじゃないかと思った。

しばらくしてゆっくり母から話を聞いた。
母と仲良しだった保育園の先生が自分の両親を探しに子供を連れて車で行ってしまった話をしてくれた。
母が何度も行くのを止めても、全く聞く耳はなく迎えに行ってしまった。
その先生と息子さんは津波で流され、最後に見た母が本人確認をしたらしい。

時間が経って避難所にその先生のご両親がいるのを知りあの時もっと必死に止めればよかったと後悔していた。

園長という立場から色んな事を見た母は、
想像出来ないほどの悲しみの中、悲しみと向き合う時間もないまま避難所にいて目の前の人たちのために必死に働いていたんだと思う。
母の小さな背中はとっても大きく、大きく見せなければいけない母の仕事柄に、私たちを育ててくれた大きさをあらためて感じた。





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