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AIが描く絵には

はじめに

AIを活用してイラストを自動で生成する方法が2022年夏頃より盛んになってきましたね。この技術は短時間で高品質な絵が出来上がる点から、デジタルイラストや映像作品といった分野でサポート的に幅広く活用できそうな点においては、個人的にも非常に魅力的で人々の関心を集めています。
ここでは私なりに思うAI画像に対する考え方を整理してみましたが、間違った認識や理解を含めていると思いますので予めご承知おきください。

さて、これらはAIにはサンプルとして大量のイラストを画像として読み込ませ機械学習をする点にありますが、学習に使った画像はどこから引用したのか、著作権はどうなっているのか、どのようにして利用者は活用するべきか、議論になっている様子もまた盛んに目にするようになりました。

人とAIがそれぞれイラストというそのものを覚えるのには、イラストの趣向や表現力、テーマなどをバランスとして記号化して蓄積されます。
私も含めてクリエイターは多くの人物、仕草、風景、物体、現象、日常、経験、イラストなどの表現技法、これらを通じて作品として完成させ、新たに描かれた作品を発信して影響を与え、また他からも影響を受け輪廻し文化という形で発展しています。

これは将来にAIが人間のサポートを実現するにあたって、非常に重要なファクターとなるテーマだと感じています。影響は人かAIかの違いではありますが、人には感情というものが存在します。現時点でのAIには感情を実装した表現というのは、今のところ私たちの目の前には現れていません。(もしかしたら既にあるのかも?)

この人とAIがそれぞれ学習するにあたって何が問題なのか考察してみます。

学習とは

まず最初に「学習」という語句について確認しましょう。引用先はウィキペディアではありますが、そこでは次の通りにあります。

学習(がくしゅう)とは、知識、行動、スキル(能力)、価値観、選考(好き嫌い)を、新しく獲得したり、修正したりすることである[1]。生理学や心理学においては、経験によって動物(人間を含め)の行動が変容することを指す。繰り返し行う学習を練習(れんしゅう)という。又は一度行った学習をもういちど学習することを、復習という。』

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

ここで言うAIによる学習は感情を持ち合わせていないため、それ以外である、知識、修正、この2つが今現在使われている技術が含まれていると言えそうです。

  • 知識は大量のデータをAIに読み込ませたデータベースです。

  • 修正は得られたデータから語句を見出して組み合わせるといった、修正を加えて出力することです。

AIに好みの判断は恐らくありません。もし、出力された作品に選り好みといったふるいをかけたのであれば、それは人がAIに指示した時だけです。

問題となっている事

AIが作品を出力するにあたって一体何が問題となっていることとすれば、著作権の活用が一番の関心事なのかもしれません。次に掲げる問題とすればコンクールなどへ出展など、AI画像の活用に対する是非ではないでしょうか。

著作権の活用

著作権というのは作品を創作した人が有する権利であり、その作品をどう使われるか決めることができる権利です。作品は冒頭で述べた通り作者の思想や感情が表現され、一つの著作物という形で表現しています。

これにAI画像の著作権として考えた場合どういった捉え方になるのでしょうか。日本を含めた多くの国では、著作権は人による創作物に与えられる考え方であり、AIの利用によって生成されたコンテンツには著作権は発生しない扱いとなります。AI画像には著作権は発生しないのですね。

しかし、機械学習において著作物の画像を用いた学習を考えると、元となった著作権はどう捉えるべきでしょうか。ピクセルデータの並びから被写体を図形レベルで認識して形を把握、これに機械学習で得られた修正という形で出力した結果となります。
出力されたころには元の画像は記号化されて修正されてしまい、元の著作権はもとより上記によりAIには著作権は発生しません。
そう、出力しただけでは何も問題はありません。
単に自動生成させること自体に問題は無くて、生成に使用された著作物は情報として離合集散ないし組み合わされて出力されたにすぎません。
出力された画像にの残る元の画像の要素は、目の位置、顔の輪郭、色の表現などといった、記号的な要素の塊が整然と配置されるだけです。

これは私たちクリエイターも「この絵の表現好きだな」や「こんな風に色を使いたい」と日々思いを抱き、頭の中でイメージして記号化、組み合わせてイラストを創作しています。このプロセスには人とAIの間には大して差は無いように思えます。あるのは「知識と修正」以外である人が持つ「感情」や「思想」などといった要素ぐらいでしょう。

AIが生成した画像の活用

AIが生成した画像は非常にクオリティーが安定しつつあり、微妙なところは人の手で加筆修正を少し加えるだけで出来上がってしまいます。
これは非常に魅力的なツールの一つです。画像を生成するのに人が担うコストが大幅に削減できるからです。

では加筆修正を加えてすばらしいイラストを投稿しよう、そう思う人は多いはずですが、これは少し待ってください。
そのイラストはどういった意図で投稿しますか?
1. 「(自分が術式を用いたのだから)自分で描いたから見て」
2. 「AI画像に私が手を加えて見栄えを良くしたら見て」
3. 「単に面白そうだから見て」
4. 「研究用として見て」

などなどが思いつくところですが、ここが大きな問題の2つ目です。
それは生成した画像の利用目的が正当性や妥当性を保っているかにあると思います。サービスの利用目的に反していないかは勿論のことですが、どのような形であれ今の私たちの文化ではAI画像を利用して、自分が評価や対価を得るための主たる材料にしてはならないという点です。

例えばファンアートとして企画者にAI画像を譲渡するのも避けるべきです。これはファンアートという性質によりますが、人の手によって描いた人が譲渡先に複数人いた場合、AI画像よりも手間暇をかけた作品とは相いれられず、トラブルが発生する原因にもなります。
そもそも著作権がAI画像の生成者に発生していませんのでやめましょう。

このことから、まだまだ日の浅いAI画像を使った利用には注意を払う必要がありますが、絵を描くためのアイディア出しなどに留めて活用するのが、当たり障りのない方法なのかなと思います。

終わりに

AIは日進月歩で急速に発展しています。ですが何も今に始まったことではありません。電卓の登場によりソロバンは衰退、自動販売機の登場により露店の縮小、電話と手紙はスマートフォンに統合され、何なら翻訳機能もあって翻訳家の商売が減るなど、日常は常に変化に富んで進化しています。
ですが、同時に多くの人々はAIに触れるべきツールであり生活や仕事に欠かせないでしょう。

AIの進化はもう歩みを止めることは決してありませんから、私達が今後将来に渡ってどのようにしてAIと付き合い寄り添えるか、人類は冷静に見極めることが肝心なのかもしれません。

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