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三度の不登校から教員へ、15年越しの学校復帰#4「三度目の不登校」

えびちゃん先生

「#3同級生が怖い」の続き


「転校してやり直したい。」

そう言ったら、母も相談員さんも応援してくれた。

すでに学区外の学校に通っていたため市内での転校ではなく、私立への転校で学校を探した。
とんとん拍子に転入試験を受け、中2の4月からの転校が決まった。

私立の女子中学校に転校し、学校復帰した。
少人数で穏やかな子が多い学校であった。

女子同士のしがらみがあるわけでもなく、部活に入り先輩からもよくしてもらった。

しかし、また学校に行けなくなってしまった。
大きなきっかけはない。

「疲れた。」

その思いがとても強かったのを覚えている。

友達からの些細な一言が気になった。

「嫌われたのかな。」
「今のはどういう意味だったんだろう。」
「いまの言い方あっていたかな?」

いろんなことが気になった。
5月、6月頃であっただろうか、気づいたら行けなくなってしまっていた。
2,3か月しか通うことができなかった。


このころから家族との関係も悪くなってしまっていった。

母「学校に今日は行くの?」
「行く。」
母「じゃあ行く支度をしようか。」
「行けない。」
母「じゃあ行かないのね。」
「行く。」

というやり取りを永遠と繰り返す。
それは家族もイライラしてしまうだろう。

「学校に行く」という理想はあるが、気持ちと体がついていかないのだ。


この私立の学校は、別室登校や保健室登校を受け入れていなかった。
学校に行けないとなると、家にいるしかなかった。

また行けなくなってしまった。

「普通の子は、学校に行けている。学校に行けていない自分は普通じゃないんだ。」
「学校に行かないで将来これからどうなるんだろう。」

毎日不安で不安で仕方がなかった。
このときは本当につらかった。人生で一番つらかった。

離れ小島にいるような、
自分が取り残されて周りは進んでいる感じ。
今日も学校へ向かう同年代の子たちが見える。

自己肯定感がゼロ。
自分のことが嫌いで、認められなくて、どうしようもない感情が覆っていた。

もう人生を終わらせたいと思った。
でも実行はできなかった。家族に迷惑がかかるから。

食事も食べられなくなっていった。
このまま食べずに終われたらいいと思った。
寝るか、起きているときは泣くか、どちらかしかしなくなった。

ここまでくると、家族も手をつけられなくなってしまった。
ここから離れて、どこか島に行くかという話も出た。

このころ、今でも忘れられない出来事がある。

ある日、中1のころの相談員の佐々木さんが家に来て、杏仁豆腐を作って持ってきてくれた。
食欲はなかったが、せっかく作ってくれたのにと思い、一口食べた。

その瞬間、涙が止まらなかった。

久々に食べ物を食べて、安心した。
いつもと変わらない佐々木さん。
いつも通り「大丈夫だよ。」と背中をさすってくれた。

その前後の記憶はあまりない。はたから見た様子だと、その出来事があったからと言って何か変わったようには見えなかったと思う。
しかし、その瞬間、私のなかで何かが変わった。

そしてある日、母と佐々木さんが二人で不登校の講演を聴きに行って、フリースクールを知ったようだ。
その後、母がフリースクールに相談に行った。
私も誘われたけど行けなかった。

母がフリースクールから帰ってきた。
母「フリースクールの先生がね、えびちゃんに会えなくて残念がってたよ~。」

「あ…。申し訳なかったな。」

その次の見学は私も行った。

そのときの私は、とても人と会話できる状態ではなかった。
首を振って「うん」と「いいえ」の意思表示はなんとかできた。

その日のフリースクールの活動は、ボーリングだった。
「平日の真昼間にボーリングしてるの!?」
衝撃的だった。

みんな明るくボーリングをして、そして話しかけてくれた。
「学校に行っていないのにそんなに明るいの!?」
さらに衝撃的だった。

フリースクールの子たち「またね~!!」

またここにいていいんだと思えた。

#5へ続く。

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