第13 章 アイリスの深淵で『完結』


音楽の謎

「人間界に戻る、唯一の方法がある。
それは、音楽を奏でることだ。」

東の果ての門番は、旅人達にそう告げた。

予想外の言葉に、みなが怪訝な顔になる。

門番は話し始めた。
「この世界に迷い込んだ人間が帰れなくなる唯一つの理由は、人間界の空間方向を認知出来なくなってしまうことだ。

人間界と魔界は、
常に垂直に混じり合っているにも関わらず、
いつでもその交点で帰還する機会があるにも関わらず、
この垂直方向の空間しか認識出来ないが故に、自身の意識に囚われ人間界を見失ってしまうのだ。

帰還するには、空間認知の歪みを正し、元いるべき世界を認識させるしかないのだ。

しかし容易いことではない。

空間の認知とは、意識の中の最たるもの。
肉体の如何なる五感、触覚、平衡感覚を取り除いたとしても、空間認知だけは消し去ることが出来ないと言われている。。。

空間認知とは、、、意識そのものなのだ。

故に、1度歪められた認識を覆すなど、不可能に近い。

唯一、それを可能にするが音楽の存在なのだ。

音楽の奏でる旋律だけが、なぜか、本来、人間の在るべき空間認知を呼び覚ますのだ。

しかし、それはどのような音楽でも良いわけではない。

呼び覚ますように緻密に計算された音楽だ。」

「音楽が、空間と意識との、架け橋となっているのですね。」
エリカがしみじみと言った。

「その緻密に計算された音楽は、どこで手に入るのです?」
フランチェスカが問うた。

門番は空を仰ぎながら言った。
「隔たりの川の上空に浮かぶ、ピアノの鍵盤がある。
それが、その音楽の鍵となる。」

エリカは門番に尋ねた。
「アイリス、、、ですか?」

門番が力強く答えた。
「そうだ。」

すると、霧の向こうから、空飛ぶ魔物が舞い降りてきた。

それは、ドラゴンではなく、
白い翼の生き物、ペガサスであった。

その背に乗っていたのは、フランキー少佐。

「フランキー少佐、、、!」
エリカは思わず、歓喜の声をあげていた。

「ヴァイオレット皇帝陛下は、どうしたのです?」

フランチェスカが尋ねると、
フランキー少佐は無表情で言った。

「自身の強い意思で、空の果てに行かれました。」

「そうですか。」とフランチェスカは一言だけ言うと、
少佐に尋ねた。
「全員が、ペガサスに乗れます?」

「ペガサスは、2人までです。」
少佐が答える。

すると丁度いいタイミングで、ドラゴンが霧の中から顔を覗かせた。

「丁度良すぎですね。」

そう言ったのは、マリアだった。

冗談のつもりか否か、全く分からなかったが、エリカは弱々しく微笑んだ。

あまりに過酷で深い傷心を残す旅であった。
満面の笑みなど出るはずもなかった。

「全く、!丁度良すぎです!!」

エリカは、様々な気持ちを払拭して、明るく言った。

ペガサスは、エリカとマリアを乗せて、
ドラゴンには、フランチェスカとフランキー少佐、それから少数残った軍人達が乗せて、飛び立った。

次第に霧が晴れてきて、空が見えた。
空には、溢れんばかりの星久が輝いていた。

いつの間にか、夜になっていたのだ。

遠くには大きな鍵盤が、オーロラの如く、ヒラヒラと漂っていた。

人間界では、あり得ないほどに大きく見える星久は、はっきりとその不思議な形を見せていた。

不思議な鍵盤は、星久が織り成す川の先にあった。

ペガサスは飛んでいく。
ドラゴンは飛んでいく。

幻想のアイリスに向かって、、、。

唯一の生還者

いつしか星の川からは、巨大な銀の棒がいくつも垂れていた。

二頭の翼は、それに接触し、輝きの音と色を放った。

それは、空から吊るされたウィンド・チャイム。

カーテンの如く波立つチャイムに魅了されながら、エリカはあの歌を思い出していた。

幼い頃聞いた魔界の言語の歌を、、、。
それは、すなわち魔界の歌。

”魔界の歌!?”
心の中でそう叫ぶ。

エリカは、鼓動が高鳴るのを感じた。

記憶と記憶の合間に、隠れていた真実に気づく。

「私は、、、幼い頃に、魔界の反対側の地に、水プラズマの海の世界に、来てしまったのかもしれません。」
気づくとエリカは口に出していた。

言葉にしてみて気づく。

「私は、そこで幼少期を過ごしました。」
エリカは言った。
その声には、確信の響きがこめられていた。

「、、、、先輩が、唯一の生還者ということですか?」
前に座るマリアが、言った。
微かに驚きの様子を見せている。

エリカは、静かに言った。
「はい。
どのように生還したかは思い出せません。」

「先輩が行っていたのは、
魔物が住むこちら側の大地(幻界)ではなく、
地中の向こう側、水プラズマ海ですか?」

「はい。」

「だとしたら、地球から見て垂直方向に開けたこの世界は、
魔界と水プラズマ海が、地球の両側として繋がっているのかもしれません。」

その時、ふと静かになった。

ペガサスの翼で鳴らされていた、チャイムの音が止んでいたのである。

突然、ペガサスの羽ばたきを止めて翼を水平に広げた。
急下降する、、、!
それに気づく前に浮遊感が襲った。

「あぁぁぁ!!」
エリカは思わず声をあげた。

ペガサスの背からずりおちそうになる。。

ふと上を向くと、ドラゴンが上昇飛行する姿が見えた。

2体は、鍵盤の方角に向かいながら、上下に別れていた。
ドラゴンが鍵盤に向かい上昇しているのに対し、
ペガサスは、その下に向かって下降しているのである。

何も考えられぬまま、ただただ捕まって振りおとされぬようにする。

すると、ペガサスは、再び安定飛行に入り、空を旋回し始めた。

真下には、巨大な漆黒の闇があった。
大地の向こう側へ通じるとされる穴である。

エリカは青ざめて言った。
「これが鍵盤の真下に空いている、、穴、、、!?
このままだと私達、その穴におちてしまうことになりす。」

「それこそが、、、そのピアノの深淵なのではないですか?」
マリアは、静かに言った。

「アイリスの深淵とやらですか、、、
そうかもしれませんね。」
エリカは苦笑交じりにそう言った。

それから、真顔になって続ける。
「まさか、この穴に突っ込んでいくわけじゃないですよ」

「ーねー?!」
言い終わらぬ内に浮遊感が体を襲い、語尾が虚しく響き渡った。

ペガサスが、再び急降下したのだ。
その巨大な穴に向かって、、、。

加速度的な速さで地面は近づいていき、
そして、あっという間に地面の高さを下回った。

ペガサスは、穴の中の、漆黒の闇へと消えていったのだった。

~~~

穴の中でペガサスは、安定飛行に入っていた。
そのことに気づくと、エリカは辺りを見回した。

そこは、一面銀色の世界だった。
銀色の空間は、不規則に畝りながら、円柱状に広がり、視界の彼方まで続いていた。

穴は上下方向に伸びているはずだが、
なぜか、その中に入った自分たちは、前後方向に、穴の広がりを感じている。

空間が歪み、重力方向が変わったのだろうか。

どれほど、その不思議な空間を飛んでいたことだろうか。

水プラズマ界

銀景色の中に突如、
デジタル映像のようなものが浮かび上がった。

それが一体何なのかを認識する前に、
不思議な声が響き渡る。

””
人間の住む宇宙、通称人間界に対し垂直にあるこの世界を、
垂直世界と呼びましょう。

垂直世界は、地中を挟んで魔界と水プラズマ海が存在する世界です。”””

透明感のある声である。

地中という言葉を聞いて、
目の前に広がった謎のデジタル映像が、地面の断面図であることに気づく。

その断面図を解説するかのように、声が言った。

その時、銀景色は一瞬にして背景を変えた。
白い星々が輝く、、、宇宙の景色が広がり、エリカ達を取り囲んだ。

”人間界では、
惑星は球体で、球体の中心に重力が向かいます。
言い換えれば、重力が存在する大地は必ず球体であり、
地中の真反対には地面を歩いていけば行き着けるのです。

しかしここは球体でない平面に重力が存在し、大地が永遠と続く世界。
地中をもぐらなければ、向こう側の大地に行き着くことは出来ません。

このような奇妙な重力の歪んだ異空間。

しかし、人間界と空間が垂直に交わり合い、
互いに存在も認識せず、衝突もせずに存在しています。

言わば、この異空間は人間界の一部であり、
   人間界はこの異空間の一部でもあるのです。

人間は、垂直方向に開けたこの異空間を認識出来ないからこそ、
人間界に止まることが出来るのです。

それを認識可能にしたのが、秘少石なのです。””

いつしか目の前には、
話に合わせてデジタル映像のような図が現れては消えてを繰り返していた。

”かつて、人間界で秘少石がその力を放出した時、
この異空間と人間界の交わりを垂直直角ではなく、
   緩やかなカーブを描いた形にしてしまいました。

その結果、人間は、この世界を認識してしまいやすくなってしまったのです。

人間界では、そこで失踪者が後をたたぬゆえに、死領域と呼ばれていました。
失踪者達は、空間の歪みに引きずり込まれたわけではなく、
その歪みから見えるこの垂直世界に、体の向きを変えてしまったのです。

迷いこんだという言い方が正しいのです。

人間達が迷いこんでいったのは、幻界だけではありません。
その裏側の水プラズマ海も死領域と交わりあっています。

人間界の地球の反対側と反対側は、
この魔界の、幻界と水プラズマ界に対応していたのです。

この世界の地中は∞なのに、それと繋がる地球の地中は有限。
この矛盾を理解出来るのは、秘少石だけです。

秘少石は、その力を放出した後消失したと人間界では考えられていますが、
実際はその後、この異空間に飛ばされ、地面に潜り地中をずっと南の彼方に通っていきました。

そしてその数千年後、この水プラズマ海に突如現れました。
なぜ、こちら側にやって来たのか、そこに、物理的意味合いは一切ありません。

秘少石が気まぐれで選んだのです。
まるで、人間の気まぐれの放浪旅のように。”

エリカは首を傾げて呟いた。
「気まぐれ、、、?
まるで只の石に意識でもあるみたいな言い方ではないですか。。。」

しかし、もう声は聞こえてこなかった。

景色は、宇宙空間から、再び銀世界に戻る。

遂に、穴の終わりが見えてきた。

記憶の追跡

魔界の地の向こう側は、水プラズマの海の世界。
常に気候は乱れ、激しく荒れ狂う海だけが広がる、侘しい世界である。

その海に突如、巨大な渦潮が発生し、
それと同時に、
空の彼方に、白い巨大な輝きが放たれた。

渦潮の中心から、白い小さなものが飛び出す。

それは、エリカとマリアを乗せたペガサスであった。

エリカはその背中に捕まりながら、この退廃的な世界に見入っていた。

しかし、この景色に相応しくない、可憐なものが、空に浮かび上がっていることに気づく。

それは、白い巨大な神殿であった。
あまりに遠く離れているのか、それは、地上から観測した惑星のように、平面的な見え方をしている。

ペガサスは、そこに向かって飛んでいく。。。

~~~~~

そしてペガサスは、地上が見えぬほどの高所に到達する。

辺りは一面藍色の空が広がっていた。

まるで真空の宇宙のようである。

不思議なことに、星が1つも見当たらないにも関わらず、暗くはなく、視界は広い。

ペガサスの羽ばたきは上昇飛行から、水平飛行によるものへと変わった。

振りおとされぬよう必死に掴まっていたエリカは、安定飛行に入ると、辺りを見回した。

すると、進む先に、何か長い物が視界を横切るように連なっているのが見えた。

次第に近づいていくと、その姿形が鮮明になっていく。

それは、長い長い階段であった。

その下には、
巨大な黄色い球体が浮かび、暖色系の光を放ち、階段を照らしている。
まるで満月のようである。

エリカはその光景を見つめて思わず口にした。
「あ、あの階段、、、鍵盤の連なりです、、、!!」

その言葉の通り、階段の正体は、巨大な鍵盤。
1音ずつ段々になっている。

マリアさえも、その幻想美に見とれていた。

すると、どこからともなく透き通る声が谺した。

『アイリスの深淵へようこそ』

不思議な、そして美しい声であった。

ペガサスの足が、階段の、鍵盤の上についた。
鍵盤が踏まれ、隣り合う音の和音、不協和音が鳴り響く。

エリカとマリアも降りて、鍵盤を踏みしめた。
鍵盤といえば、1つ1つは掌より小さく、指で押すものだ。
しかし今は、足で1音を踏んでいる。
何とも不思議な感覚である。

子どもの頃の、想像力豊かな空想や、
ファンタジー的な絵本を見てワクワクした気持ちを、微かに思い出す。

エリカが、その鍵盤の不思議を味わっていると、マリアが恐ろしい現実を突きつけた。
「音の響きから察するに、ここは恐らく、真空でしょう。」

「し、真空、、、、!?
空気も圧力もないということですか?」
裏返った声が出る。

「窒息するではないですか。
体が膨張して散り散りになってしまうではないですか。」
気が動転して、思わずそう言ったが、
先ほどから息も吸えて、体も何の違和感も感じていないことに気づく。

『アイリスに歓迎されたのです。』
そう言ったのは、エリカでもマリアでもなかった。
先ほどの正体不明の声とも違う。

エリカはハッとして、ペガサスの方へ顔を向けた。
話す瞬間を目にしてはいないが、直感で感じた。
今の言葉は、ペガサスが発したものだろうということを。。。

ペガサスは暫く羽を休めエリカを見つめていた。
長い睫毛の綺麗な瞳だった。

ペガサスは、目をきりっとさせると翼を広げた。
それから力強く羽ばたいて、
飛び立っていった。

世の行く末を託して、、、。

空に浮かぶ鍵盤の上で、エリカは見届けた。

もう一生見ることはないであろう、幻想の生き物を、その姿が見えなくなるまで、、、。

鍵盤の路

エリカは気を引き締めると力強く言った。

「この階段の先に、答えがあるはずです!」

「、、、、、、」

返事がない。。。

言葉数は少ないが、いつもは返事くらいは返してくれる、、、。

エリカはそう思ったが、特に気に止めることもせず、階上へ体を向けた。

しかし、やはり何か異変を感じる。
人の気配がしないのである。

「ま、マリアさん?」
思わずファーストネームで呼び掛ける。

振り向くと、そこには誰もいなかった。

予想だにしない出来事に、エリカは大いに狼狽えた。

足がもたつき、尻餅をつく。

その衝撃で鍵盤が強く押され、叩くような音が鳴り響いた。

すると、鍵盤の隙間からさっと何か小さな物が現れたのが見えた。

それは階段を登っていく。

突然のことに、エリカは立ち上がることも忘れ、呆然としていた。

だがすぐにハッとして立ち上がると、エリカは階段を上り始めた。

幼子のようなフォルムをしたそれは、時々振り返っては、逃げるように再び背を向けて走っていく。

案内をしているつもりなのか、かけっこを楽しんでいるのか、、、。

不可解な動きの生き物を追って階段を登る度に、
その足で踏まれた音が乱雑に投げ出されていく。

その時、ぱっと辺りが明るくなった。
この紺色の空間が一瞬にして、爽やかな青色に変わっていた。
突然の出来事に、階段をかけ上る足の勢いが弱まる。
足下を見ると、遥か下に、海が広がっていた。
青い海。
そして、頭上には、青い空が。。。

エリカを取り囲むように、人間界の景色が映し出されたのだ。
海を鳥瞰する形で、
自分と、足元の鍵盤と、そこを走る小さな生き物は、景色の中に入り込んでいた。

エリカは、生き物を見失わぬよう、注意を払いながら、海を見下ろした。

海には、孤島がぽつりと浮かんでいた。

いや、浮かぶのではない。
漂流しているのだ。。。

「公国の、テーマパーク、レイナ・マリンだ!」
思わず声を張り上げる。

テーマパーク、レイナ・マリン。
かつて、エリカの出身国、アクア公国では、
海を浮遊し、様々な観光名所を巡ることの出来る島が開発された。
それが、レイナ・マリン。
島には、遊園地や水族館、プール等、娯楽施設が設立され、賑わいを見せていた。

そう思い起こしていた時、階段を踏み外し、足下がふらついてしまった。
バランスを崩した足が鍵盤を激しく踏みつけ、尖った音が鳴り響く。

驚いて足下を見ると、鍵盤は階段でなく、平らになっていた。

その鍵盤を、相も変わらず小さな生き物は走っていく。
引き続きエリカも追いかけた。

気づくと辺りは、再び藍色の景色に戻っていた。

走り続けていると、前方がぱっと明るくなった。
明るくなった箇所を境界線に、この藍色の景色が、別の景色へと切り替わっていた。

それは、遊園地内の景色であった。
大勢の人々で賑わっている様子が見える。

小さな生き物は、境界線を超えて駆けていく。
エリカも後を追い、その景色の中に入った。

その瞬間!
先ほどまでいた人々の姿が消えた。。。

誰もいない、物悲しい遊園地の中に、エリカは入っていた。

メリーゴーランドやティーカップ、、、

その間を縫うように、蛇行しながら鍵盤は続いている。

乗り物は、錆びれていた。。。

突然、前を走っていた生き物が、鍵盤の上から外れて、ティーカップに向かった。
エリカも後を追おうとしたが、、、
行けなかった、、、
見えない壁でもあるかのように、鍵盤から外れることが出来ない。

エリカは立ち止まったまま、その生き物を目で追った。

生き物は、ティーカップの中に入っていく。
くるくると回るカップ達。
その中の1つに、誰か座っていた。

若い男女である。
顔はよく見えない。。。

この距離なら見えるはずだが、、、
見えないというよりかは、認識出来ない不思議な感覚だった。

小さい生き物は、その男女の座るカップに入っていき、女性の膝上に座った。

その瞬間、生き物は姿形を変えた。
それは、、、赤子だった。

1歳前後の女の子。
まだ伸びきっていない髪を、ツインテールにし、動物の耳のようになっていた。

男女と女の子は、笑っていた。

懐かしい、、、とても懐かしい。

その感情に気づいた時、エリカは女の子を見ながら呟いていた。
「あの子は私?」

それから、男女を見て言った。
はっきりとした口調で言った。
「あの人たちは、私の両親だ!」

「これは、私の記憶の世界?
でも、こんな赤ちゃんの頃の短期記憶が、、、残っているものなの?」
エリカは首を傾げた。

女の子は今、抱っこされながらティーカップを降りていた。

3人は、歩いていく。
鍵盤に沿って。。。

エリカは、鍵盤を歩きながら後を追った。

すると、鍵盤の遊具がある場所にたどり着く。
エリカが今足元に踏みしめているものと同じように、巨大な鍵盤で、足で踏むと音が鳴る使用のものだ。

女性は、その遊具の上に女の子を下ろした。
女の子の足がついた時、鍵盤は光って音を鳴らした。
喃語を発しながら、於保つかぬ足どりで次の鍵盤に足をかける。

その時、
突如3人の姿が消えた。

辺りを見回したがどこにもいない。

途方に暮れていると、
エリカの前に再び、小さな生き物が現れた。
鍵盤の上を駆けている。

慌てて後を追う。。。

すると、先ほどのように、景色の境界線が現れた。
そこから先は、薄暗くなっている。。。

水族館である。

境界線を超え、次の景色に入る。

辺りは一気に薄暗がりに包まれた。
水族館特有の、弱い証明の下で、鍵盤の道はずっと続いていた。

笑い声が聞こえて辺りを見回すと、あの3人の姿を見つけた。
ガラス越しに、海の生物を眺めながら、談笑している。

目の前を見ると、小さな生き物はいなくなっていた。
再び3人の方へ目を移すと、、、いなくなっていた。。。

誰もいない水族館に1人取り残されたエリカ。

道標となるのは、この足下の鍵盤しかない。
エリカは1人で歩きだした。

暫く行くと、またもや前方に、景色の境界線を見た。
この薄暗い場所とは丸っきり異なる明るい場所だった。
快晴の空の下、日の光を反射し輝く水面。
プールである。

エリカは境界線を越えていく。。。

プールの床特有の、薄青いざらざらとした床が広がる。
その上を、あいも変わらず、鍵盤の道が続いていた。

爽やかな風が頬を撫でた。

辺りを見回すと、プール以外のものも目に入る。

プールサイドには、
パラソルのついた白い丸テーブル。

少し離れた所には、テラスのある大きな水色の建物。
大きなガラス窓からは、レストランの内装が見える。

ふと、地平線に目をやると、どことなく違和感を感じた。

そして気づいた。
ここは、遥か上空にあるのだと。

その時、看板が目に入る。

鍵盤の道は、その看板の前で途絶えていた。。。

”空中プール。
公国の科学力により、上空を浮いています。
らっかに注意してください。
尚、プール底は、水圧により支えられています。
定期的な整備の為、一時的に使用不可になることがあります。”

「空中、、、プール、、、」
そう口にしてみて、脳裏に悪夢が浮かんだ。
何度か夢に見る、水害である。。。

ふと、笑い声が聞こえた。

そちらに目を向けると、プールサイドにあの3人の姿があった。
女性が、母が、
女の子に、エリカに、
水をかけている。

キャっキャと楽しげに笑う幼き自分を見て、
今現在のエリカも笑っていた。

その時!!!

轟音と共に足元が揺れた。
プールに、巨大な渦が出現したのだ。

それと同時に出現したのは、プールを遊泳する人々だった。
いや、遊泳していた、人々である。

今や人々は、渦に巻き込まれ、次々に水の中へと消えている。

恐怖の表情を見る限り、この渦はアトラクションなどではないことが分かる。

水は、巨大な排水口のように、渦の中心に吸い込まれていく。

そして、、、

プールの水は、、、完全になくなった。

その時、辺りの景色は歪み始めた、
いや、急速に縮小されていたのだ。

あっという間に、それは景色ではなく、映像へと変わった。

辺りは、元の藍色の空間になり、
エリカの目の前には、空中プールの底が映像として写し出されていた。

底には、
巨大な穴と、そこに繋がるパイプがあった。
渦を発生させた根元である。

それを皮切りに、次々と映像は切り替わっていった。

パイプを流れる大量の水。
水族館の水槽に繋がるパイプ。。。

水槽のガラスを突き破り、水槽から水が勢いよく溢れだす様子。。。

悲鳴をあげて逃げ惑う人々。

それらを水は容赦なく飲み込んでいった。

映像は、島を鳥瞰する形に切り替わり、水族館から流れ出した水が、
島を侵食する様が映し出された。

そして、遂に水没する。。。
空中プールの欠片を除いて。

欠片は浮いていた。
そこに逃れた人々が映し出され、その中には、あの3人がいた。

ゆっくりと欠片は下降し、それから漂着した先は、、、帝国の国土であった。。

そこで映像は消えていった。
スローモーションのようにゆっくりと、、、。

生い立ち

エリカは、藍色の空間に浮かぶ鍵盤の上に佇んでいた。

はっとして、辺りを見回す。
あの小さな生き物は、どこにも見当たらない。

エリカは、1人で前に進むことにした。

鍵盤に足をかけた時、話し声がした気がした。
それは、音の声だった。
何とも説明しようのない、不思議な響きをしていた。
音のイメージがそのまま声になったような響き。

奇妙な感覚に陥りながらも歩いていく。
すると、その話し声は聞こえた。

「あなたは、赤子の頃、テーマパーク、レイナ・マリンに来ていました。

そのテーマパークは、整備不良により死領域に迷い込み、
       誤作動を起こして水没してしまいました。

その時、あなたの脳は強い生存本能が働き、
 無意識下に逃げ込める空間を探そうとしていたのです。

そして、この世界を認識してしまった。

だから、逃げ込んできたのです。肉体を置いて。

まだ、身体が成長していなかったあなたは、
 不自然な空間に体を移動させることが出来なかったのです。

幸い、空中プールの欠片に乗り体は守られ、
帝国(魔法の国)に漂着しましたが、その後、
大人は異国民として全員殺されてしまいました。」

エリカは話を聞きながら歩いていく。
歩くのを止めたら、話が止まることを直感的に感じていたのだ。

話は続く。

「あなたは孤児院に保護されました。
しかし、成長しても意志疎通が取りにくいあなたを、
       周囲の者達は気味悪がりました。
意識はこの世界で暮らし、
   体は人間界で過ごしていたからです。

精神魔法療法により、
 精神を正常化しようとする大人もいましたが、
     成功はしませんでした。

後に奴隷市場に売られた所を、
   公国からやって来た研究者に保護されました。

公国と帝国は死領域で隔たれています。

死領域はこちらの世界と繋がっているので失踪者が後を絶ちません。

そこで多量の犠牲者を出しながらも、
     あなたは奇跡的に生還することが出来たのです。

なぜ、死領域であなたは、
肉体までもこちらの世界に来てしまわなかったのか。

それは、強い力により、意識が帰ろうとしていたからです。

その力とは、、、音楽です。」

その時!!!!

足場が急に不安定になり、体勢を崩してしまう。

次の瞬間!ピアノの蓮音が鳴り響いた。

鍵盤が下り坂になっていたのだ。
それに気づかず体勢を崩し、
そしてそのまま、その下り坂をすべっていく。

鍵盤は、エリカの体によりグリッサンドしながら音階を放った。

そして、階下に勢いよくすべりこみ、音は止んだ。

そこは、階段を照らしていた光源が間近に見える、明るい場所であった。
光源は、月の全体像のような見た目をしているが、
手を伸ばせば触れられるほどの位置にある。

エリカの前には、ずつと遠くに、謎の建物が聳え建っていた。
それは透明感がありながら、黄金に輝き、壮麗な佇まいをしている。

ふいに、どこか懐かしく切ない気持ちが溢れだした。

この場所を知っている気がする。
いや、知っている!
自分の育ち故郷なのだから。

エリカはそう思い、覚悟を決めた。

壮大なガラスのアーチ状をくぐり、建物へと続く道を歩いていく。

道幅があり、等間隔に間接照明が配置されていた。
その景色は、街頭照明に照らされた遊歩道のようである。
しかし、今ここを歩いているのはエリカだけ。

物悲しさを感じつつ進んでいると突如、、、
大勢の通行人が現れた。。。

雑談や笑い声が雑踏にまみれて聞こえる。

エリカの周りに、瞬間移動したかのように出現したその人々、、、。
まるで、最初からいたかのように平然と歩いていた。

閑散とした道が繁華街のようになる。

しかし瞬きをした次の瞬間に、、、

人々は消え去った。

たった一瞬の間に消沈してしまったこの道は、先ほどより一層と静寂に包まれていた。

幻覚でも見ていたのだろうか。

”かつて、ここは賑わっていたんだ”

エリカは、今の現象が、自身の記憶から導かれた幻覚であるに気づいた。

栄枯盛衰のような悲しさを感じながら、更に歩いていくと、
道の真ん中に、巨大な噴水が現れた。

一種独特な風貌をした噴水である。

よく見るような、水が放射状に吹き出す形態ではないのだ。
絵で描いたように、左右対象に水が吹き出している。
あまりに巨大なので、左右の水が織り成すアーチは、道幅を越えている。
水のアーチ門である。

エリカは、稀有な眼を向けながら、そのアーチ門をくぐった。

くぐり抜ける際、噴水は消えた。
消えたというより、見えなくなったというのが正しいのだろう。
2次元のように、正面からしか見えない存在なのだ。
完全にくぐり終えてから、噴水の方を見ると、再び見えていた。

エリカは危険を感じたが、先へと進んだ。
噴水をくぐった先は、壮麗な建物の入り口前だった。

建物は、黄金の柱とガラス張りの壁面を主構造として、
所々、複雑なガラス細工が施されていた。

入り口の階段を登り、中へ入る。

中は広く見渡しが良く、煌々とした照明により非常に明るい。

高い天井からは、金銀輝く鎖がいくつも垂れ下がり、照明の光を反射し輝いている。

そのただ広い場所を、一人寂しく歩いていくと、突然、辺りが騒がしくなった。

楽しげに踊り、歌う妖精達が現れたのだ。

建物の外には、数多の虹色の道が出現し、そこを楽しげに行き交う者達の姿が、ガラスごしに見える。

その光景も先ほどと同じ、エリカの記憶の片隅にあるものであった。

記憶による幻覚が現れたのだ。
どうやらここでは、幻覚を誘発させる力があるらしい。

そう思ったのも束の間、
瞬きをした次の瞬間にそれは消えてしまった。

「、、、
ここにいた人達は、人間でも、魔物でもない。」
無意識に口から言葉が洩れていた。

エリカは自分自身の言葉に一瞬驚いたが、遅ればせながら強く確信した。

その時である。
赤いカーペットが敷かれた階段から、1人の美しい女性が降りてきた。

体が発光している。
明らかに人間ではない。

幻覚だろうか。。。

その疑問を払拭するために、エリカはぎゅっと目を瞑る。

すると瞼の裏に、その女性を見た。
魔界の言語で歌を歌い、抱いた赤子を寝かしつけている。

そっと目を開けると、女性は微笑んでいた。

「マーシャ、、、」
思わず声が漏れていた。

ハッとする。
マーシャは、魔界の言語である。
意味は、母親、、、。

女性は、優しく頷き、
ゆっくりと、階段を登っていく。

「待ってください!!」
エリカは声を荒げた。

女性は振り返って微笑みかけるが、止まろうとしない。

エリカは後を追いながら疑問をぶつけた。

「私、、、小さい頃、ここで育てられたのですね?」

女性は何も言わずに微笑を向けながら行ってしまう。

目を離したら消えてしまいそうで、エリカは必死に食らいついていく。

「あなたが、私の育ての親なのです?
私は人間ではないのです?」

「ここに住んでた人達はどうなったの?
あの頃はあんなに賑やかだったのに」

どんな呼び掛けにも一切口を開かずに、は可憐に交わして行ってしまう。

そして、階上に登りつめると、白いカーテンの中へと姿を消した。

「待って!
なぜ無視するの?」

エリカは、苛立ちと焦りの入り交じった声で叫ぶと、後を追ってカーテンを開けた。

カーテンの向こう側は、大広間であった。

そこには誰もいなかった。

シャンデリアが下げられ、アーチ状の大きな窓にくくりつけられた赤いカーテン。

それ以外には何もない見当たらない殺風景な場所に、
ポツンと一台、
グランド・ピアノが置いてあった。。。

ブラックボックス


その時、あの子守唄が聞こえた。

それは、エリカが夢の中で聴いた鼻歌。
そして、駅の抗争を止める為、曲を奏でようとした際に、記憶の彼方から現れた歌だ。

耳を頼りに音源を探していくと、エリカの視線は止まった。

大きな窓ガラスの前で、女性が赤子を抱いて歌っていたのだ。

女性は、歌うのを止めて、エリカを真っ直ぐに見据えた。

『ここは、秘少石が最期に残した遺跡です。
物質として、存在しています。』

女性はそう言った。
それは、耳から入る声ではなく、頭の中に響き渡るように聞こえた。

「最期?」
エリカはぽつりと声がもらした。

すると、信じられぬ言葉が返ってきた。

『秘少石は、、、無の壁に呑み込まれました。

抹消される最期の瞬間に、石が何かを残したいと強く願い、この場が出現しました。』

「壁に、、、呑み込まれた!?!?
私達が探していたものはもうこの世にないということなのですか!?!?」
声が飛び出る。

とんでもない事実だ。
何のためにここまで来て、命を懸けて、命が消える瞬間に怯え悲しんできたのか、、、

母は、エリカの言葉を否定しなかった。
無感情に言い放った。

『完全に抹消しました。
この世のどこにもありません。』

エリカは、どうしようもない喪失感に苛まれた。
探求していたものを失ったからという理由だけではなかった、、、。
ここが、自分の育った故郷であるという、根拠なき確信があったからだ。
それを造り出した石は、もう存在しない。

エリカは、問うた。
「秘少石の残した遺跡が、ここ、アイリスの深淵なのですか?」

『そうです。
この遺跡こそがアイリスの深部であり、実態を持って存在する物質。
そしてそれが見る幻影が、向こう側の地の空に写し出されているのです。』

エリカは、その言葉に違和感を感じて更に聞いた。
「それが見る幻影、、、?
この場所に、まるで意識があるかのような言い方ですね。」

母は、短く答えた。
『言葉通り、意識があります。
そしてこの秘少石にも、意識がありました。』

「意識が、ある?
生物ではなくて、物質なのに?」
衝撃のあまり、掠れた声が出た。

母は、黙って頷く。

それから、母は、意識の正体について驚くべき話を始めた。

『この世の物質は、全て、素粒子で構成されています。

その素粒子には、意識が存在しています。

素粒子の動きは、不規則であり、確率でしか示すことが出来ません。

それを無理矢理規則的に配列させて作られたのが、マクロ単位の物質。

人間の脳がそうであるように、素粒子も不規則なのです。
不規則でいられるのは、意識があるからに他なりません。
コンピュータと脳の違いはそこにあります。

規則的なマクロ世界は、1固体としての意識を維持することが出来ないのです。
それを可能にさせたのが、生物と、それから秘少石なのです。』

『秘少石は最初、素数の解を導きだす計算器として作り出されました。

しかし、その正体は完全なるブラックボックスです。

あらゆるブラックボックスには皆、1固体としての意識が宿っています。

人間もブラックボックスです。
音や色、、、
全員に同じく聞こえたり見えたりしているようで、本当の感じ方は本人にしか分からない。
ただ、本人を通して出た答えは共通している。
皆、赤を赤と言い、青を青と言うのです。

人間は感性において、魔物は魔法において、
そして、
秘少石は数の不規則性において、、、
ブラックボックスを作っているのです。

ブラックボックスは意識。
意識があるからこそ、不規則な事柄に対する解を導き出すことが出来るからです。』

母はそこで口を閉じた。

壮大なスケールの話である。
だが、不思議と話はすんなりと入ってきていた。
それは、この目の目の前にいる人物に、育てられた記憶があるからである。

その人物とその仲間は、
『秘少石の意識の一部なのです。私達は、実態のない非物質なのです。』

母がエリカの心の言葉を引き継いだ。
まるで、心の内を見透かしているかのようである。
いや、本当に、心が見えるのかもしれない。

母は言った。
『数の不規則性を扱うことが出来れば、更に高度な計算、、、意識をエネルギー化する方式を編み出すことが出来ます。
意識をエネルギー化したものそれは、即ち、魔力です。
こうして、私達は、秘少石の中で魔力を産み出していたのです。』

”なぜ、幻の数によって、高度な計算が可能になったのだと思いますか?

私たちが認識出来る実数とは、この世を支配する言語の一部にしか過ぎないからなのです

魔界には、その言語を理解出来る生き物が存在すると、、、言われています"

エリカはふと、フランチェスカの言葉を思い出した。

時間的輪

全身が硬直していることに気づく。
恐る恐る、目の前にいる"母"を見つめる。

エリカは静かに呟いた。
「研究長、、、。
その生き物を、見つけました。」

「幻の数。
それを実数として認知することが出来たなら、
人間が扱える数では不規則な事柄も、全て法則化出来てしまう、、、

ここにかつていた生き物は、それが出来た。
あなたが、、、その生き物なのですか?」

『そうです。

私達は、
不規則性を持つ意識を、規則的なマクロの事柄にしてしまう、架け橋として、
秘少石の中に住んでいたのです。

言わば私達は、石の意識の一部。

物質として存在する秘少石。
しかし、その中は非物質の世界。

そんな概念だけの世界に、
赤子のあなたは、意識だけでやって来た。

色、音、痛覚、知覚
石の中では、様々な感覚が数字として目に見えるのです。
数値化するという意味ではなく、言葉通り、共感覚のように、数字として見えるのです。

そして、あなたが、1番興味を示した数字は、音の周波数。

だから、私達は音を研究し音楽を研究した。
だから、秘少石はあなたとの思い出に、音楽の遺跡を残した。

なぜなら、あなたとの時間が楽しかったから。』

エリカは、頬が紅潮していくのを感じていた。

自身の育ての親が、人間ではなく、動物でもなく、魔物でさえもなく、概念だけの実態のない存在。

高鳴る鼓動。

「私は、、、数字に育てられた。」
言葉にしてみて、府に落ちた。

今まで宙ぶらりんだった気持ちが、すっと胸におさまった気がした。

エリカは、母を見つめて、笑って言った。
「やっぱり、あなたは、私のお母さんだったんだね!」

母は黙って微笑んだ。
懐かしい笑みだ。
かつて、幼い自分に見せてくれた顔、、、。

エリカは、この殺風景な広間を見渡した。
覚えている。
ここにはかつて、様々な数の生き物達がいて、楽しげに暮らしていたのだ。

思いを巡らせていると、大きな疑問が沸き上がった。
そして、その疑問をぶつける。

「私が来たのは秘少石の中ですよね。
でも、ここも覚えているんです。
ここは、石が消えた後に出来た場所でしょう?
私は、石の中から、ここに移ったということですか?」

母は、短く答えた。

『どちらにもいました。
しかし、そこに時系列はありません。』

あまりにも理解に苦しむ答えだ。
心が追い付かないのではなく、言葉の意味が全く理解出来ない。
エリカが難色を示していると、母は話し始めた。

『ここには、時間的矛盾が生じています。
秘少石が抹消されたのは、数年前と、最近のことなのです。

にも関わらず、抹消の瞬間に出現したはずのこの遺跡は、、、遥か昔から存在したことになっていました。』

『そこには、巧妙な、時間的輪が生じているからです。』

『一冊の絵本が、時空を歪めてしまったのです。
魔界について、描かれた絵本です。
そこには、アイリスに関することも描かれています。』

母は、そこで言葉を区切り、エリカを真っ直ぐ見据えて言った。
『作者は、あなたです。
幼かったあなたに代わり、私が描きました。』

エリカも母を見つめ返した。

遠い昔の会話を思い出す。

”絵を描いているの?”
ニコニコと話しかける母。

”うん。見て見て!!”
無邪気に画用紙を見せるエリカ。

”上手ね。”
頭を撫でる母。

得意げに笑うエリカ。

その後の発言は、”絵本にしたい。”だった。

母は不思議そうに首を傾げていた。
”絵本、、、絵本って何かしら。”

”絵のある本”

”絵本も、夢で見たの?

”うん。不思議な夢。
大人っという人がね、読んでくれたんだよー!”

その言葉を聞いて、確か、母は顔を曇らせていた。

エリカはそこで回想をやめて、目の前にいる母を見た。
彼女は、穏やかな表情で言った。

『その絵本は、事故により、過去から既に知られていたことになってしまったのです。
過去に持ち去ったのは、地中の時空の歪みです。』

”どれほど地中にいようと、地上に出れば、入った時と同じ時間に戻っている。”

駅で聞いたことを思い出す。

母は言った。
『遥か昔の時代にいた作業員か駅員が、
地中でこの絵本を見つけて地上に持ち帰った、ということです。』

エリカは問うた。
「こちら側の地(水プラズマ海)と向こう側の地(魔界)の距離は∞ですよね。
つまり、地中は∞に続く。
端があるのにおかしな話ですが。
その原理でいけば、向こう側の大地に絵本が届くことなどないのでは?」

『作業員や駅員が水プラズマから生成されているのは知っていますか?
なぜ、彼等が魔界まで到達出来るのか。

それは、水プラズマ海の逆噴射があるからです。
その強烈な力が、重力と空間を歪め、∞を超越することが出来るのです。

その原理は、アイリス(魔界の空に浮かぶ鍵盤)とその深淵(この遺跡)を繋ぐ穴と同じ物です。』

「つまり、絵本が逆噴射に巻き込まれ、魔界側の地中まで到達。
そこにいた、遥か昔の作業員が、
それを手にして地上に出た為に、
絵本は過去にタイムスリップしてしまった。ということですか。」
エリカは頭を整理するように言った。

『そういうことになります。

あなたは、幼いながらも、そして、向こう側の大地に行ったことがないにも関わらず、魔界について知っていたのです。

なぜなら、
過去にタイムスリップしたその絵本は、
何かのきっかけで人間界にわたり、
あなたがそれを、人間の大人に読んでもらっていたから。』

「?
私は、意識だけは、こちら側の世界にいて、体は物理世界にいたのですよね。
ならば、体の体験=絵本の読み聞かせを、こちらの世界にいた私がどうやって知るというのです?」

『時たま、元いた世界のことも認識することが出来たのです。
体と意識は切っても切り離せない関係なのです。
なぜなら、脳が電気信号を受け取った瞬間瞬間に、意識が造りだされているからです。
マクロ世界での意識は、刹那的な存在なのです。』

「意識が刹那的、、、。
私の脳はこちらの世界を強く意識していた。
けれども、人間界にも時たま意識を戻していたということなのですね、、、。」

「私が自分で描いたはずの絵本は遥か過去にタイムスリップし、
それを私が読み、それを元に絵本を描き、、、というように永遠にループする、時間の輪が生じていると、、、いうことですか。」
袋小路に入り込んでしまったような話に、
エリカは眉をひそめた。

『そうです。
その時間の輪の起源が、秘少石の抹消です。
それにより、あなたがこの世界に来て、絵本を描くことになったのですから。』

「???
ちょ、ちょっと待ってください?
秘少石が抹消した瞬間に、私がここに来た?」

「では、私と秘少石の思い出の産物が遺跡だというのは矛盾していませんか?

私は、この世界の、どこにいたことになるのですか?」

母は答えた。

『それこそが、時間的な輪の虜となってしまった者が抱える矛盾なのです。

どうあがいても、説明しようがありません。

私達、数の生き物でさえ、理解し得ないのです。
理解出来るのは、、、秘少石の中だけでした。
今は消えてなくなりました。』

暫く、沈黙が続いた。
秘少石は、あまりにも大きな疑問を造り出し、そして回答を秘めたまま消え去ってしまったのだ。

自分は、秘少石の中にいた?
石が残したこの遺跡の中にいた?

どちらにせよ、幼少期は、この水プラズマ界側で過ごしていたことだけは確かだ。

意識は魂?

母は、沈黙を破って言った。
『あなたの意識が、水プラズマ海でなく秘少石の中に入っていったのは、
2つの偶然が、寸分の狂いもなく重なったからです。
秘少石が無の壁に呑み込まれる全く同じ時間、全く同じ地点で、あなたの意識はこちら側の世界を認識したのです。
つまり、時間方向へ広がる空間を認識したのです。』

『しかし人間の意識は、刹那的なものです。
悲しいことに、脳の産物でしかないのです。

ですから、こちら側の世界を認識し、その癖がついた脳により、あなたは瞬間瞬間でこの世界を認識していたにすぎないのです。

只し、脳は時たまに正常に働き、元の世界を認識することもありました。

あなたは、こちらの世界にいながらも、自分の本来いるべき世界に意識を向けていたのです。
それを夢だとあなたは認識しているようでしたが、どちらも現実に体験していることです。』

”意識は刹那的”

先ほどから何度か言われているその言葉に、虚無感をおぼえた。

「意識は、魂のように確固たる1つのものじゃないんですか?
本当に、脳の産物でしかないのですか?
意識は魂だと信じたいのです。」
気づくと口に出していた。

『残念ながら、確固たる意識は、素粒子単位まで分解しなければ、宿りません。
意識は、概念的な存在であり、物質ではありません。
だからこそ、物質と非物質の境界線である素粒子にしか、魂を宿すことが出来ないのです。
しかし悲しいことに、その素粒子は、人間のように意志疎通したり、独自の世界を創造したりできる体を持っていません。
ただ、意識が存在するだけです。』
母は、堅い表情でそう言った。

「でもあなたは、非物質であるにも関わらず、私とこうして意志疎通が出来ている。
それは、確固たる意識だからではないですか?」

母は、表情を崩さずに答えた。
『私達は、非物質です。
人間ではありません。
人間の意識は、死んだらそこで終わります。』

「死んだら、終わり?」
ぽつりと呟く。

エリカは首を傾げた。
それは、とても不思議な感覚だ。

母は、ふっと優しい顔に戻って言った。
『刹那的なものだからこそ、人間の意識は美しいのではないですか?

脳が作り出す意識は、時間的余裕とも言えます。

とある実験結果があります。
研究者が被験者に指示を出し、その指示に従った際の脳内を調べるという実験がありました。

驚くべきことに、脳は指示を受ける前に反応していたのです。
つまり、この世のマクロ世界の物事は、既に、ほとんどのことが計算で決められているという可能性が極めて高いのです。
その研究者の指示も含めて、言い換えると、その研究者の脳内の働きも含めてです。

脳は、言わば電気回路のようなものですから。
ところが、脳はコンピューターとは違います。
意識を産み出します。
意識は不規則性を産み出します。
それこそが、この世の完全性を壊しているのです。

それが、実験結果に現れていました。
被験者の脳は、反応してから、行動に移す前に、僅かな、ほんの僅かな時間的余裕があったのです。
その間に、人間は脳の決定に抗うことが許されるのです。

つまり、人間の一瞬一瞬の刹那的な意識には、自由意志が存在するのです。』

「いいえ。
人間の意識は刹那的なものではありません。魂です。」

そう言ったのは、エリカではなかった。

可愛らしい少女の声が、静かな広間に響く。

「意識が、刹那的なものだとしたら、、、先輩は、元の世界に帰ることが出来ていないはずです。

先輩は、魂としてこの世界に来たのです。」

振り返って見ると、広間の片隅に、マリアがいた。

突然の登場にエリカが驚いていると、彼女は、ゆっくりとこちらに向かって歩きながら話し始めた。

「元いた世界に意識を戻させたのは、脳の治療ではなく、音楽だからです。

色が織り成す美術、音が織り成す音楽、感性に働きかけ、意識を操る方法は様々ですが、先輩の場合は音楽と非常に相性が合いました。

元の世界から聴こえてくる音楽が、本来認識すべき空間認知に戻してくれたのです。

音楽は、物理的に言えば電磁波です。
その電磁波が、空間を越えてこちら側の世界に来るようなことはあり得ません。

電磁波が届かなければ、音楽が聴こえることもありません。

しかし、先輩は聴くことが出来ました。
耳ではなく、魂で、聴いたのです。

それを可能にしたのは、偶然の合致です。

先輩がこの世界で奏でていた音楽と、奏者が元の世界で奏でていた音楽は、奇妙な形で、全ての音が互いに協和音だったのです。

お互いが共通に知っていた曲などではありません。
両者も即行で作曲したものです。」

そこで、マリアはぴたりと足を止めた。
エリカの目の前にきていた。

いつものように淡々とした口調、表情であったが、どこか違う雰囲気を感じた。

エリカは彼女に尋ねた。
「奇妙な形で協和音になっていたとは、どういうことですか?」

「互いの奏でる音は全て、
同じ場所で同じ瞬間に、無の壁により消えていたのです。

先輩の魂がいた場所は、
無の壁と遥かに距離が離れていた。
しかし、真空のこの場所では、電磁波は瞬時に壁まで届きました。

無の壁は、元の世界から見れば時間の壁です。
つまり、先輩は、未来にいた。

未来に流れる曲は、現在に流れる曲と、無の壁で消える瞬間に共鳴していたことになります。

先輩の魂は、その共鳴に惹かれて、無の壁に向かっていったのです。

奏者の曲が命綱となり、壁に呑み込まれず、元の世界に魂を戻すことが出来たのです。

生還の楽曲

水プラズマの大地の反対側、魔界では、ドラゴンが空中旋回していた。

フランチェスカ、フランキー少佐及びその従軍を乗せたドラゴンである。

その真下には、空に浮かぶ架け橋が見えている。
鍵盤へと続く、木琴の架け橋である。

フランチェスカは、鍵盤の遥か下を見下ろして言った。

「あの穴に姿を消したペガサスは、無事でしょうか、、、。」

鍵盤と共に移動する、向こう側へと続く穴。。。
フランチェスカには、ペガサスは深い奈落の底に、降りていってしまったようにうつっていたのだ。

その時、ドラゴンは緩やかに降下して、架け橋の真ん中に足をつけた。

橋の向こう側には、鍵盤が見える。
ここを渡っていけば、間近にその正体を目にすることが出来るのだ。

一同は、ドラゴンの背から降りた。

「橋を渡りますよ。」
フランチェスカはそう穏やかに言うと、先人を切って歩きだす。

皆がそれに続こうとした時、神秘的な声がどこからともなく響き渡った。

『この鍵盤は、実態のない幻影です。
楽曲の作者しか、立ち入ることが出来ません。』

フランチェスカは足を止める。

それから、暫く考える素振りを見せた後、にやりと笑って言った。
「なるほど、、、そういうことですね。」

彼女の頭の中で、回想が駆け巡る。

東に向かう路線の駅にいた時、
フランチェスカは密かに駅員と交渉していた。

”駅員さん、あなたは魔物を操る音楽の才がありますね。
笛で、悪魔の闘争心を押さえつけるという話をしているのが、
           耳に入ってきました。

人間界には、魔物を召還するコードSSSという譜面があります。
人間とあなたがた、互いに、
   音楽により魔物を操る術を持っているというわけです。

ですから、共に音楽について、研究したいのですが、いかがですか?”

””あんたは、そのコードなんちゃらとかいう譜面を持ってるんか?””

”持っていませんよ。
私の国にはその譜面がないのです。”

””そいつが重要な研究資料やないかい!””

”では逆にお尋ねします。
駅員さんのどのようにして、笛の音楽を手に入れたのです?”

”そりゃ根気よく、メロディに聴こえる音の羅列を探していったからや!
奴ら魔物は、メロディを認識出来ないようだが、
研究していけば、奴らにもメロディに聞こえるような音楽が作れる。

メロディを届けられれば、奴らを調教出来るんや!

しかし、普通に探しおったら∞に等しい時間かかるがな!
特殊な機械使って探したんや!

自分は作業員と違って実用的でない研究なんぞいうものにゃ興味ない!
機械の使い方教えてやるから1人で頑張りぃ””

”薄情ですね”

”何とでも言い!自分の仕事は駅員や!”

こうしてフランチェスカは、地中にて数年の歳月をかけ、魔物に届く音楽を研究していたのだ。

いくら時間をかけようと、無の壁に侵食される前に地上に出れば、入る前の時間に戻る。

フランチェスカは、壁が迫る前に出て、再び入ってを繰り返し、
エリカ達の気づかぬ間に、膨大な時間を費やして研究をし、楽曲を造り上げた。

しかし、研究のテーマの難解さを鑑みれば、費やした時間は遥かに少ない。
そんな短期間で楽曲を完成させることが出来たのは、協力者がいたからだ。

それは、作業員である。
ところが、作業員はフランチェスカを裏切った。

””感謝するわぃ。
この楽曲をわいらの時代に持ち帰る。
これと共になぁ。””

そう言って作業員がフランチェスカに見せつけたのは、1冊の絵本。
それは、魔界について描かれてた、かの有名なあの絵本である。

この作業員は、遥か昔に生きる者だった。

地中にて、フランチェスカと遭遇し共同研究者となるに至ったが、
共同研究の結果を全て1人で持ち去ろうとしていた。

フランチェスカと作業員は口論になった。

””その楽曲で、自在に悪魔を操ってやる!!!””

”なぜです?なぜ、あなたの時代に持ち帰る必要かあるのですか?
今の時代でも、良いではありませんか。”

””そうしたら、悪魔の奴らが苦しむ様を見届けられんやろ!””

”そんな上手くいくでしょうか。
過去で悪魔を妥当出来ていたとしたら、今は既に悪魔はいないことになっています。
しかし現に、悪魔は未だのさばり、悪事を働いていますよ。
つまり、過去での妥当計画は、失敗したわけです。”

””、、、過去は、変えられるわい!!じゃさいなら!””

そこでフランチェスカの回想は終わる。

「あの作業員さんはどうなったのでしょうか?」
フランチェスカは首を傾げて呟く。

すると、先程の声が響き渡り、彼女の疑問に答えた。

『地上に戻った作業員は、時間の修正作用が働き、事故で死にました。
作業員の足元で突如、向こう側の大地に繋がる穴が出現したのです。
作業員は、奈落の底に消え去りました。

その穴は、この鍵盤の真下に今あるもの。

過去を変えてしまわぬよう、
自然の摂理が働き、
秘少石の残した遺跡、アイリスの深淵に幻影を見させたのです。

幻影、つまりこの鍵盤が、
こちら側の地の空に投影されるように、穴が生じたのです。』

「作業員さんが死ぬことで、
悪魔が淘汰される過去に変わることを防いだ、、、までは分かるのですが、
アイリスの幻影を投影することについては良く分かりません。」

『その楽曲が、アイリスの幻影から発せられる特殊電磁波によって印字されたものだからです。
つまり、楽曲が、過去に行ったならば、その印字に使用された、アイリスの幻影も、既に存在しなければならないのです。』

「つまり、やはり過去は変えられないということですか?
私の作曲した楽曲は過去に行った。
遥か昔から存在していたことになったのは、そこに矛盾を生じさせない、自然の修正作用の為ということですか。」

『その通りです。』

謎の声は一言、そう答えると、
声色を変えて、フランチェスカに決断を迫った。

『この先は、楽曲の作者であるあなたしか、行くことが出来ません。
しかし、行かぬ選択をすることも出来ます。
いかがいたしますか?』

その口ぶりからは、これ以上の会話は、認めてくれそうにない雰囲気が感じとれる。

フランチェスカは、覚悟を決めた。

振り返って、後ろに控えるフランキー少佐を見上げる。

「私はこの先に行きます。
少佐を、この任務から解放します。
その後のことは、自由に自身で決めてください。」

「承知致しました。」
少佐は重々しくその最後の命を受け取った。

が、懸念の様子を浮かべている。
その心の内をさらけだそうとして、一瞬躊躇した。

フランチェスカは少佐に背を向けて、今にも行ってしまおうとしている。

「研究長。」
次の瞬間には、少佐がそう声をかけていた。

立ち止まったフランチェスカに、彼女は言った。
「この鍵盤は、確か幻影。。。
実態が無いのですから、足をつけたとたん、らっかしてしまうのではないですか?」

フランチェスカは、顔だけを少佐に向け微笑した。
「しかし、鍵盤はこの先に私を通す、と言っているのですよ?
私は、行きます。」

それから、フランチェスカは、木琴の架け橋を下っていった。

最後まで分かち合うことのなかった研究長と少佐であるが、穏やかな別れであった。

残された従軍は、彼女の後ろ姿を、最高敬礼で見守った。

「リー大佐を探そう。」
フランキー少佐は、そう言うと、
ドラゴンを見上げて頭を垂れお願いした。
「地上に、降ろしていただきたい。」

彼女の意思は尊重されたようだ。
ドラゴンは、頭を下げて、人間達を乗せた。

~~~~~~

ドラゴンが飛び立つ頃、フランチェスカは鍵盤にたどり着き、右足をかけていた。

ゆっくりと重心を移すと、鍵盤は押し込まれていき、1音鳴らして底についた。

つまり、足はしっかりと鍵盤を踏んだのである。

足で鳴らした音は、音階の基本、ド(C)。

続いてもう左方の足も、右足と同じ、ド(C)の上に乗せる。
足はしっかりと、鍵盤の感触を捉えた。

「実態のない鍵盤と聞いていたけれど、、、」
フランチェスカはぽつりと呟いた。

「なぜ、踏むことが出来るのでしょうか。
この鍵盤には、実態があるというのでしょうか。」
疑問に首を傾げる。

レの音に足を駆けたその時、フランチェスカの頭の中に、ふと考えが浮かび上がった。

彼女は、それを1人で口にする。
「物質の存在は、空間を歪める。
そして、物質は、素粒子の集まり。
と、いうことは、物質は、小さな小さな空間の歪みが沢山集まって出来たもの。」

どうやら、この鍵盤は、踏みしめる者に、考えを与えているようだ。

フランチェスカは、1音1音踏みしめながら、浮かび上がった、いや、浮かび上がらされた考えを口にしていく。

「素粒子の存在しない物体というのは、その物体全体が大きな空間の歪みとして存在するということ。」ミ

「ドラゴンやペガサスは、物体として存在する。
しかしその正体は、全体としての大きな空間の歪み。
つまり彼等自体が、1つの超絶巨大な素粒子であった。」ファ

「そんな物質、通常存在しえるはずもありません。
、、、秘少石の力が、、、、その存在を可能にしている。
概念上にしか存在し得ないものを実在化する力を持つ石。
それが秘少石。」ソ

「そもそも、この世は、概念世界から成り立っていた。
概念世界の内、人間という個体が認識出来るものが、物質世界と呼ばれているに過ぎない。」ラ

「魔物の正体は、人間の幻覚が共通に見えるという不思議な現象であると考えられてきた。
そんな、概念上しか存在しないはずのものを、
物質世界に持ち込んでしまった石、それが、秘少石。」シ

「物質として存在するドラゴンやペガサスも、幻覚でしかない魔物も、その正体は同じ。
概念上にしか存在し得ない物を、秘少石の力で現実化させてさせてしまった物。」ド

ここで口を閉ざしたフランチェスカ。
いつの間にやら、オクターブ上のドまで、足を運んでいた。

そして察したように言った。
「この鍵盤は、やはり幻覚。魔物です。」

その瞬間、フランチェスカの足元は実態を失くした。
しっかりと鍵盤を踏みしめていたはずの足は、足場を失う。

フランチェスカは、らっかしていった。
彼女のおちていく先は、巨大な穴。

向こう側の大地へと続く穴。。。。

彼女は、穴の中へと姿を消した。

その頃、エリカとマリアは、遺跡の中にある大広間で考えを巡らせていた。

元の世界に帰る為の楽曲を探さなければならない。

もし、その楽曲が存在さえしなければ、2人で造り上げなければならない。

「どうしましょうか」
エリカは、そう言って苦笑した。

もう、苦笑するしかなかった。
何も考えが浮かばない。

この広間には、ぽつりとグランドピアノが置かれているだけ。
大きなアーチ状の窓に、
高い天井に吊るされたシャンデリア。

豪華で壮麗な造りには釣り合わぬほどに、閑散としている。

「取り敢えず、この広間を徹底的に探すしかありません。
それで無ければ、諦めて、無の壁に呑み込まれるのを待つしかありません。」
マリアが言った。

「ま、まぁ、そうなりますよね。」
と言って笑うエリカ。

から笑いしか出ない。

その時、広間の隅から足音が聞こえた。
それは、こちらへと近づいてくる。

音の方へ目をやると、一人の美女がいた。

黄金の髪を横に束ねて肩にかけ、白衣を身に纏う研究者。
フランチェスカである。

「研究長!ご無事で!」
エリカが顔を輝かせた。

「ごきげんよう。」
フランチェスカはエリカ達の側に立った。

そして、彼女は、懐から3冊の冊子を取り出した。

「貴方方の探しているものです。
作者は、フランチェスカ・フランソワー。
この遺跡と共に、過去へ持ち去られたものです。」

「え!」
思わず声が出てしまったエリカ。

「研究長が作ったんですか!?」
そう言って、フランチェスカを見上げる。

「そうです。
これが元いた世界に戻す為の楽曲かどうかは、運に任せるしかありません。

しかし、私はこのピアノと音楽と、元の世界は何らかの関係があると思っています。」

「だ、誰がその重責を担い、音楽を奏でますか?」
エリカはそう言いながら、グランドピアノを見つめた。

フランチェスカは、マリア、エリカと交互に見つめる。

それから、彼女は予想外のことを口にした。

「三人全員です。」

一瞬意表をつかれたエリカ。

”そういえば、冊子は3冊ある。”

そう思ったとき、フランチェスカが、3冊の冊子を広げながら言った。
「譜面は3冊あります。
一冊はピアノ、1冊は笛、1冊は、、、歌です。」

それから、エリカとマリアの顔を交互に見て言う。
「お二人の過去の関係性は、ここに来る過程で、アイリスが教えてくれました。
ブラウニーさんが元の世界に帰った時の楽器は、ピアノと笛でしたよね。」

「では、私達、2人の担当は、ピアノと笛ですね。」
エリカはマリアを見て言った。

「はい。」
マリアが頷く。

「、、、歌は研究長ですか?」
エリカが聞いた。

しかし、フランチェスカは首を振った。

そして、またもや予想外のことを口にした。

「歌は、、、魔物達に、歌ってもらいます。
魔物は、人間界と魔界を自由に行き来することが出来る。
彼らと音楽で心を1つにすれば、人間界に戻れるかもしれません。」

「但し、一か八かの賭けです。
私達が生還出来るのは、無の壁と衝突した時ですから。」

「ここは、元の世界と垂直に交わる世界でしたよね。
つまり、無の壁に対して垂直に交わる世界。
なので、その壁が衝突するその瞬間に、壁に対して垂直方向の空間、つまり元いた世界の空間の広がりを認知すると共に、
この世界の空間認知を捨てなければなりません。」

「音楽により、本来認識すべき空間認知を取り戻すことが出来たなら、無の壁の襲来と共に、元いた世界に生還することが出来るでしょう。」

「なるほど。
分かるような分からないような。」

「つまり、生還するには、この楽曲に賭けるしかないということです。

この楽曲、笛だけは、元いた世界の時間の流れに合わせて演奏しなければならないのです。
でないと、互いの音は、不協和音になってしまいます。

ですから、無の壁の速さから、元の世界の時間経過を計算し、笛に対して指揮を取らなければなりません。
その役割を、私が担いましょう。」

「、、、魔物は、本当に歌ってくれるでしょうか。」
エリカが不安げに言った。

「この楽曲は、魔物と合奏出来るように精密な計算の元つくられたものです。
信じましょう。」

フランチェスカはそう言うと、
厳しい顔つきになって事態の緊急性を伝えた。

「直ちにやりましょいう。
一刻を争います。
無の壁が迫る速度が上がっているのです。
厳密に言えば、数キロメートルごとに空間が崩壊しているのです。
隔たりの川の氾濫です。
その影響で、大地が南から北へ崩れていっているのです
消失した空間を埋めるようにして、南から北へと空間が移動していき、無の壁がより速く迫ってきているように見えるのです。」

音が消える刹那

エリカは、懐から笛を取り出した。
銀色の光を放つ綺麗な笛。

微かに思い出した。
それは、母からもらったもの。

エリカはマリアの顔を見る。
彼女の顔に、母の面影を見た気がした。

エリカは、ふっと笑うと、フランチェスカとマリアを交互に見て言った。
「私達の演奏が世を救うだなんて、何だか気分が良いですね。」

フランチェスカは、ほほほほと上品に笑って言った。
「代わりに失敗すれば、世界を崩壊させた大罪をおうことになりますよ。」

エリカは苦笑する。

マリアは黙ってピアノに歩いていき、
譜面台に譜面を乗せた。

ピアノの椅子に座り、
「ピッチを合わせましょう。」
と言うマリア。

エリカは、「はい」と頷き、笛に唇を当てた。

そして、
ピアノの、基本の「ド」が鳴り、笛の「ド」と重なり合う。

その瞬間、グランドピアノは独りでに屋根を開けた。

それと同時に、エリカとフランチェスカの足元から黒いものが顔を覗かせる。
それは、どんどんと上へと伸びていき、正体を露にした。
譜面台である。

「まるでアイリスが、私達の演奏を歓迎してくれているみたいですね。」
エリカはそう言って、譜面を置いた。

「みたいではなく、そうなんではないでしょうか。」

フランチェスカもそう言って、
懐から、タブレットを取り出し、譜面と共に、譜面台に置いた。

「研究長は、譜面台を前にしても、タブレットがお似合いです。」
エリカがそう言ったその時、、、

足元に何やら変化が起こった。

床がみるみる内に透明になっていく。

透明な床の向こう側から、夜空が現れた。

足元に見える空は、いつの間にか、美しい星久の光を取り戻し、遥か下には揺らめく鍵盤が、、、
アイリスの幻影が見えていた。

~~~~~~~

その頃、ドラゴンは人間を乗せて、地に降り立っていた。

フランキー少佐と、フランチェスカについていた従軍である

「大佐を探しだせ!」

非常事態にそぐわぬ命にみな戸惑うが、少佐は焦りを露にして恫喝した。

「何をしている!!」

その時である。
大地が轟き、
その振動は、向こう側の大地、エリカ達のいる場所にも伝わった。

「無の壁の進み方が速くなっています。」
エリカは、張りつめた声で言った。

フランチェスカが言うと、
マリアが、緊迫した声で言った。

「時間がありません
直ぐ様開始しましょう」

エリカは、2人を見て、力強く言った。
「3人で協力しましょう!!」

そして、音楽が始まった。

懐かしい曲。

優しい旋律が響き渡る。

マリアは、滑らかなピアノの音を響かせ、
エリカは軟らかな笛の音を響かせ、
フランチェスカは、片手でタブレットを操作し計算しながら、拍を取った。

穏やかな曲に見えて、
裏の旋律は複雑で難解、
32連符の和音が連なる激しい響きが根底で曲を支える。

透明の床から見える巨大な鍵盤は、マリアの指に連動して、ものすごい速さで押されていた。

それに合わせ、鍵盤の隙間からは、輝く音符達が出現し、飛んでいく。

そして、それらは並び、虚空に浮かぶ、6本の線にからめとられ、楽譜へと姿を変えた。

ピアノから、沢山の音符が空に浮かび上がるその様子を、地上の魔物達は見ていた。

エリカ達の床下に見える鍵盤は、魔界に浮かぶ鍵盤と同じものだったのだ。

1ページ、2ページ、、、
曲が進むごとに、エリカの不安は募る。

歌が、始まるのは第2楽章30章節目から、、、。
魔物達は、歌ってくれるだろうか。

変調が始まり、そして遂に
穏やかで煌びやかな
第1楽章は終わってしまった。

2楽章に突入した時、
曲は、向こう側の大地、魔界にまで到達した。

魔界に、甘美な音色が響き渡る。

西の国では妖精達が、東の国では悪魔が立ち尽くしていた。
彼らは、初めて、音を旋律として認識したのだ。

皆が我を失い曲に聞き惚れている中で、人間達は世話しなく動いていた。

「この辺りにいるはずだ!
くまなく探せ!」
少佐は探し続けていたのだ。
彼女の上司を、、、

~~~

遂に、2楽章30章節目に突入する。

31章節目で、、、
ピアノと笛以外の音色が、、、交じりあった。

これまで、穏やかだった曲調は一気に変わり、壮大な曲へと変簿していく。

エリカ達の足元で、遥か下の、向こう側の地で、、、魔物が音楽を、奏でたのだ。

魔物達が演奏する様子は、残念ながら、ここからでは黙視出来ない。

しかし、煌びやかなハープの音や、深みのある地響きの拍、、、
それらは、決して人間に出すことなど出来ないであろう、不思議な音色。

”これは、、、!”
思わずエリカは心の中で感嘆した。

主旋律は初めて耳にするものだが、その裏では、自分の知っている曲となっていたのだ。

コードsss、皇族に代々伝わる子守唄、そして、幼きエリカがここで歌った子守唄、、、

それらは全て、同時に奏でられ、協和音となり、新たな旋律を生み出しており、それが主旋律となっていたのだ。

エリカは思い出した。
無の壁と、平行に進む体の向きを、、、。

いよいよ、無の壁が迫ってくる。。。


 さらば魔法よ 『完』


人間界では、地球規模の嵐が吹き荒れていた。

更に、魔界へ誘った魔法の雲の崩壊により、そこに住くわらう魔物達が放たれ、暴れまわっている。
正に終焉の始まりかのような景色だった。

それだけではない。
人間達も、荒れていた。

女帝ヴァイオレットが、旅立ちの前に施した、帝国を守る守護魔法は、薄れかけていたのだ。

それを好機とみた敵軍が、攻めいっていた。

宮殿の守護を委任された、アルベルト補佐官は慌ただしく指揮をとっている。

その時突然、空が光った。

その光は、大洋のど真ん中の、赤道と日付変更線の交わる箇所から出ていた。

嵐は次第に止んでいき、空には大きな虹がかかった。

すると、世界中に音楽が響き渡った。

みなが、突然引いていった嵐と、謎の音楽に呆然としていた。

それは、帝国に攻め入っていた敵国と、それを迎撃していた帝国軍も同じだった。

1人の敵軍が、我にかえって叫んだ。
「今こそ、魔法について聞き出すのだ!」

それから、ふと顔をしかめて呟いた。
「魔法、、、?」

仲間の1人が聞いた。
「魔法って、、、架空の?」

それからみな戸惑いながら言った。
「何の為に襲撃していたんだ?」


大洋では、遭難した人間が、通りかかった船に救出されていた。


数日後、女帝が即位した
ジュリエッタ・フランチェスカ・メイデンである

「姉は、皇帝の器を持っていないからな!
よろしく頼むぞ」
病床の父に言われ、ジュリエッタは皇帝の地位を手に入れ、同時に責任をおうこととなった。

即位式を陰から見ていたエリカは疑問で一杯の顔で呟いた。

「魔法が元から無い世界線に移行したのかしら。
だから、魔法の影響で死んだはずのジュリエッタ様が生きているの?
だから、魔法の支配から逃げ出した民が作った国も無いということになっているの?
じゃあ、なぜ私は産まれたの?

それに、元からあった魔法が消えた世界線は、どうなってるの?」

それからふと考えてから言った。
「あれ、、、
何で、魔法が消えたんだっけ?」

恐らく魔法のない世界線に移行した為に、魔法についての記憶から消えかかっていた。

エリカは、記憶がなくなってしまう前に書き残すことにした。

物理学を学ぶエメラルド学園。
その庭で、エリカは、ひたすら記憶を紙におこしていた。

「何やってるの?
エリカ・ブラウニー」
意地悪そうに話しかけてきたのは、アリス・アリアであった。

アリスは、エリカから紙を取り上げて、声高らかに読み始めた。
「魔法物理学は、物理学の延長にある学問?
それを理解することで、魔法を扱うことが出来るですって?」

アリスは笑って言った。
「何これ!
物語?」

すると、黒髪の涙袋の女の子がやって来て言った。
「何々?
面白そうな話、私も聞きたい。」

ジャスミン・ベンジャミンである。

彼女は、振り向いて声をあげた。

「エヴァン?
こっち来なよ!」

ジャスミンの視線の先には、眼光の鋭い少年がいた。

エヴァン・ブラックである。

彼は、険しい顔で歩み寄っていくと、ジャスミンの腕を掴んで言った?

「お前!ゴルテス様の言い付け、また忘れてるぞ!
あの方の部屋を今すぐに掃除しろ!」

「あ、忘れてた」
ジャスミンは青ざめた顔でそう言うと走っていく。

「ブラック!あんたにも聞かせてあげる」
アリスが、紙を見せたが、エヴァンは困った表情を浮かべて立ち去って行った。

「いい加減、返してよ!」
エリカがアリスから紙を奪った時、分厚い本を抱えたシルバー髪の女の子が歩いていくのが見えた。

彼女は、団子ヘアではなくら髪を下ろし、前髪も作り、お洒落にハーフアップしていた。

エリカは、マリアの元に行くと声をかけた。

「ルイスさん!!」

マリアは、ちらりとエリカを見て言った。

「何でしょうか。」

「私、魔界の記憶を書き写しています。
死んでしまった人が生きていたり、私の記憶が薄れかけているのは、元から魔法の存在しない世界線にいたからでしょうか。
それなら、私達がいた世界はどうなってしまったのでしょう?」

マリアは顔をしかめて言った。
「何の話でしょうか。」

その言葉で、エリカはマリアも記憶がなくなってしまったことを悟る。

エリカが戸惑っていると、マリアが相変わらず淡々とした様子で言った。

「時空についての考察ですか?」

「ま、まぁそんなとこです。」
エリカは誤魔化すように言った。

「先輩なのになぜ敬語なのです。」
ふいにマリアが尋ねる。

「え、だってルイスさん、飛び級して同じ学年ですよね。」

エリカはそう言ってハッとした。
マリアの飛び級についても、異なる世界線に来てしまったのだろうか。

しかし、予想は外れた。
マリアは無表情で言った。
「ありがたいことに、そうしていただいていますが。
先輩は先輩です。」

敵国の宮殿では、王子が穏やかに、空の下でお茶を嗜んでいた。
エレン・?・?である。

帝国の宮殿では、1人の軍人が、部下に追い回されていた。

リー大佐とフランキー少佐である。

フランキー少佐が、リー大佐を追いかけまわしながら言った。
「リー大佐!
フランチェスカ研究長の冒険の護衛にまたつくというのですか?
今度は、地中探索ですよ?」

リー大佐は、脚を止めてから言った
「研究長様の命は絶対です」

エメラルド学園へと向かうフランチェスカに、ヴァイオレットが尋ねていた。

「フランチェスカ先生。
魔法を研究するとはどういうこと?」

フランチェスカは言った。
「言葉の綾ですよ。
発展しすぎた科学は、魔法と違わないと言いますし。」

「話が飛躍しすぎて、言葉の綾の範疇を越えているわ。」
ヴァイオレットは呆れたように言った。

その時、小麦色の肌の男がやって来て、声をかけた。

名無しの船長である。

「研究長!
面白い航海話、持ってきましたよ。」

ニヤニヤしながらそう言う船長を見て、フランチェスカは微笑を浮かべながら言った。

「お聞かせ願えます?」

エリカは、学園の空を見上げて、笑って言った。
「魔法が消えてしまうのは、どことなく寂しいけれど、仲間は消えなかった。

多分、魔法があっても無くても、私やルイスさんやアリアさんが産まれる運命は、変わらないということなのかもしれないわ。

さぁ、物理学を勉強しなきゃ!
量子力学の授業を受ける資格を得なきゃね!」 




目次(プロローグ)へとぶ



後書き


最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
これで、このシリーズは完結になります。

3話は文章だけでは伝わりにくい場面も多く、読みにくかったかもしれません。
拙い文章ばかりに申し訳ありません。
随時、挿絵を入れたり修正等行っていく予定です。

尚、アドバイスやご意見等ございましたら、遠慮なくコメントしてくださると嬉しいです。
参考にさせていただきたいと思います。
勿論、普通の感想も、とても励みになるので、お気軽にコメントください😊

ありがとうございました。

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