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美しさを決めるのは誰?
雑誌やSNSなどをみれば、美の基準が決まっているように見える。それに自分が当てはまらない時、鏡の中の自分になんと言おう。自分の美しさは他人の評価100パーセントで決まるものなのだろうか。オードリー・ヘップバーンの言葉からこれについて考えてみる。
今日の言葉は…
「私は自分を美人だと思ったことがありません」
山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,18p
またまた〜といいたくなるが…これは彼女の本音だと言われている。それまで美しいと言われてきた体型は、胸もお尻も大きいカービーな体型だった。たしかに、オードリーの体型は放漫なボディとは言えない。他にも、彼女は、当時、社会が作り出した美の基準とは異なる点にたくさんコンプレックスを持っていたようだ。しかし、オードリーがスターになると世界の美が大きく変化してゆく。美しさとは、時代や文化によって変化していくもののようだ。
雑誌やSNSを見れば、至る所に美の基準が示されている。毎日繰り返しそれらを見ていると、それに当てはまらなければ、美しくないのだ!と錯覚してしまう。そして自分の美しさが他人の評価100%で決まるものだと思い込んでしまう。
でも、もし美というものが時代によって揺らぐような不確かなものなら、それに合わせて一喜一憂するのは少しばからしく思えてくる。10代の頃、私は人と比べ、鏡の中の自分を見て落ち込んだ。自分に足りないものをわざわざ探し、見つけては落ち込んだ。私にとって、他人に良い評価をしてもらうことを期待して生きるのはとてもしんどいことだ。
だから、私が他人の視線や基準が気になる時は、「自分はこの自分をどう思う?」と問い直すようになった。自分で自分の評価を下したいのだ。いつか、「ありのままのわたしを愛している」と自分に言えたらずっと生きやすくなるだろう。
しかし、私は、本物の美しさは、それだけでは不十分だと思う。「私は自分を美人だと思ったことがありません」(山口)と本音で語るオードリーの中に、私たちは謙虚さや慎ましさを見出す。本物の美しさには、オードリーの持っていた謙虚さが不可欠だと思うのだ。それは彼女が十分に証明している。そして、その謙虚さや慎ましさは、きっと他者を見る目も変えていくのではないだろうか。「あなたは美しい。あなたをあなたのままで大好きよ」と友達を愛せるかもしれない。
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