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お世辞から生まれたもの

歳を重ねるにつれ、お世辞がどんどん上手くなってはいないだろうか。
子供の頃、私はお世辞を言う大人を軽蔑さえしていた。しかし、円滑な付き合いのためにお世辞はとても便利で、気がつけば、私もペラッペラのお世辞をいう大人になっていた。今回は、そんな私が招いた、異国の地での事件を告白します。

今回のオードリー・ヘップバーンの言葉は、

「お世辞からは何も生まれません」
山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,28p

山口さんによると、オードリーは好かれるのは好きだが、好かれるための努力はしない人だったという。昔の私なら、このオードリーの信条に激しくそれに同意しただろう。なぜなら、お世辞は、どこか人を見下している、もしくはバカにしているような行為だと思っていたからだ。私はそのうわべだけの安い言葉に大きな嫌悪感を感じる子どもだった。同時に、私は、他人にお世辞など言ってたまるか、褒めるなら本当に素晴らしいと思うところをみつけるべきだ!という強気な意志も持っていた。

しかし、そんな私も、ある時から盛大なお世辞を言うようになった。それは生きていくために自分勝手に撒き散らした責任の伴わない嘘だった。

タイの田舎で働いていた頃の話である。そこは、外国人がほとんどおらず、日本語はもちろん英語もほとんど伝わらないところだった。最低限のタイ語しか、習得せずに現地へ行った私は、1日1日を生き抜くことに精一杯で、何より孤独だった。そこで、私は何とかして職場以外に人との繋がりを作ろう!と決めた。

人見知りが全くない私は、次々と友人を作っていった。市場やカフェの店員、御近所さんや、教会の牧師などあらゆるところに人脈を築いた。家族のような存在になった人たちもできた。

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彼らは、本当に他人をよく褒める人たちだった。本当に褒め上手なのだ。私もお返しになんとか褒めようとしてみる。しかし、毎日そんなバラエティ豊かに誉めどころも見つからない。今落ち着いて考えればそんな無理することもないのだが…。

それに加え、彼らは本当に私によくしてくれた。仲良くなった、おじいちゃん・おばあちゃん・お姉様方は私を世話しようと家へやってきたり、電話をくれたりした。あんまり親切なので、理由をきいてみると、「あなたみたいな子供が、異国で一人働いているなんて!私たちがじっとしていられるわけがないじゃないか!」と。童顔・低身長が初めて役にたった瞬間だった。


そんなわけで、いつもお世話になっている友人たちに私にできることは、数少なく、それに引目を感じていると、私の口からは次々とお世辞が飛び出した。「あなたが作ったバナナケーキは世界で一番うまい!」だの、「あなたの育てたソムオー(柑橘類)は世界一だ!」だの毎日大げさに絶賛していた。もちろん、バナナケーキは、ほっぺが落ちるほど美味しかったし、ソムオーは私の便秘を著しく改善してくれたので完全な嘘ではない。しかし、お世辞といえばお世辞だったと思う。そうして、いつしか、お世辞が挨拶代りのようになっていった私は、昔冷めた目でみていた嫌な大人になっていた。でも、それが大人の付き合いなんだ〜なんて自分を誤魔化していた。

そんな時、事件がおきた!

私と、私のゲストハウスの清掃員は、それを「ソムオー事件」と呼んでいる。

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ソムオーは年中とれる果物であったが、やはり旬の時期がある。その季節がくると、私の部屋には次々と訪問者があった。彼らのほとんどがソムオーをもってきてくれた。特上のものをひとつ持ってきてくれた人もいれば、トラックの荷台にこれでもかとソムオーを乗せてやってきた人もいた。笑顔でそれを受け取る私の部屋は、緑のデカイ球体に埋め尽くされた。清掃員のおばさんは、私の部屋にドン引きだった。バチがあたったのだ。自分の信条に背いた罰だ。

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オードリーは、お世辞から何も生まれないと言っていたが、私の場合は、大量のソムオーが生まれた。結局、ソムオーは近所の子供達と分け合って美味しくいただいた。そして私の便秘はますます改善されて、肌は艶々になった。でも、お世辞はほどほどにしなければと、オードリーの言葉を読み、自分を戒めている。

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