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剥き出しの心に纏うもの

私たちは、日々他人の目にさらされ、その時代の多数が共有する物差しで評価され生きていく。いとも簡単に傷つけ合う私たちは、自分を守る何かが必要だ。

それは、目に見えない存在や思想かもしれない。あるいは、過去の栄光や誰かに言われたささやかな愛の言葉かもしれない。

今回は、自分の心を守るものについて考えたい。今日のオードリーの言葉は…

「ジヴァンシーが大好き。ジヴァンシーの服にはきらびやかな装飾はありません。いっさいが取り払われているのです。私はアメリカの女性が精神分析医を頼りにするように、ジヴァンシーを頼りにしています。」
山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,26p

私にとって、剥き出しの心のまま生きていくことは、とてもおそろしいことだ。私は、根性論を信じていない。心が壊れてしまうのは、根性がないからだ、気合や経験が足りないからだ、なんていうやつは信用ならない。鋼でできている心なんてあるだろうか。鋼でできているように見える心は、きっと、心に鋼を纏っているのだと思う。

「精神分析医を頼りにするように、ジヴァンシーを頼りにしています。」というオードリー。山口さんによると、オードリーは、ジヴァンシーの作った服を着ていると、その服に自分が守られ、保護されているようだと本人に伝えたことがあったという。オードリーにとって、自分を守ってくれるものの一つは、ジヴァンシーのブラウスやスーツだった。体を覆い守る衣が、心さえも覆い隠し守ることがあるのだ。

では私は、いつでも壊れうる、この心に何を被せよう。私にとっての鋼はなんだろう。25歳のわたしは、これまで、自分の心をまもるために、様々なものを被せてみたが、何度も失敗している。いつの間にか、纏ったものが滑り落ち、心が剥き出しになってしまうのだ。そして、20歳の時、それは壊れて、息をしなくなった。幸い、今は、息を吹き返しているが、心に再び火が灯るまでの道のりで、少しずつ、何が自分を守る鋼になるのかが少しずつ見えてきている。でも実は、今もまだはっきりとはしておらず、目を細め見極めようともがいている。


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