就職先が決まりました

前職を辞めてから1年7ヶ月と11日が経ち、ようやく次の仕事が決まりました 33社落ちました

結構、大変でした



書類の入った封筒の手渡しをしに行ったら、目の前で息を荒くして急いでびりびりと封を破って中身を確認した人事の人がいました

「あなたは『自分にできる仕事はない』と思ってるの? ん?」と言ってきたハローワーク職員もいました

金曜日の午後に応募したら「月曜日に書類持って事務所きて」と言われたこともありました

書類選考の段階で採る人を決めていた会社もありました

ハローワークの応募数が0人なのに、就労移行利用者の人たちが選考前に人事に接触していて、結果が決まっていたこともありました

ある日の夕方に4人募集の求人が出て、翌日朝イチでハローワークに行ったら枠がぴったり4人分埋まっていた官公庁の求人もありました

就労移行支援が裏で手を回していて、空求人ばかりが乱発されていました

就労移行では、企業が求人を出す前に、プロの交渉スタッフが企業の担当者と接触しています 中には、先に話がついた後に、企業が求人を出す場合もあります そして、一般的にはこのような様を「出来レース」と呼びます
つまり、スタートの位置が、就労移行支援を利用している人の方が、利用していない人より明らかに先にあるのです
「不公平」であると私は感じ行動にも移しましたが、このことにはメディアは一切メスを入れようとはしません それが現実です


一人暮らしなので金銭的に、就労移行支援に通うことはできませんでした 移行支援のほとんどは半年以上無給で拘束されるからです
「スキルを身につければ仕事にありつけるのではないか」と思いPC教室で資格講座を受講しましたが、その数週間後に駐車場で80歳の老人に追突されました 単位が無効になる直前まで休学しながらも必死で資格は取りましたが、首の痛みで事務の仕事はできなくなりました

失業手当は途中で切れたので、預貯金は50万は減りました 生活リズムはめちゃくちゃになりました 「死にたい」という言葉が頭をぐるぐると回り、気持ち悪くなってベッドに突っ伏した日が数え切れないほどありました

それでも、お金のために仕事を探し続けました
座ってやる仕事ができなくなったので立ち仕事を探し、それでも3社落とされ、4社目でようやく拾われました




次の仕事は、事務所内及びトイレの清掃と木の伐採です 最低賃金です 今までのように賞与も昇給もありません かつ、1年7ヶ月も働いていない体で肉体労働に挑戦することになり、最初は少し躊躇いました でも、仕方ありません 熱射の下での伐採も不安でしたが、「お金のためなら少し熱中症になるくらいは構わない」とすら思いました 仕事は大変そうでしたが、幸いそこの所長さんが障害に理解のある方だったので、この会社に収まることにしました

無収入の期間の中で一番恐怖だったのは、月ごとにじわじわと口座の残高が減っていくことでした 
ぼろぼろと周囲の床が外側から崩れていくような恐怖
貧しさが削る心のゆとり
今まであったはずの安定した生活は、全て仕事ありきのものだったのです
それでも、両親に救いを求めるのは嫌でした 距離感がおかしくなってしまうからです

代わりに私を救ってくれたのは、私が今までこつこつと貯めてきた貯金でした
過去の自分が、今の私を救ってくれたのです
ですから今度はまた、未来の自分を救うために今の私が頑張らなければなりません


「1日3時間で週2からとかでもいいですよ」と所長さんは言ってくれたので、私は安心しました 不思議と、今の方が異動にならないうちはなんとか頑張れそうな気がしています

入社したその後は、きっちり1つずつこなしていくしかないと思っています それでも駄目だったらどうにもなりませんが、あんまり考えると今度は何もできなくなってしまいます
なので、早速明日に入社書類を取りに行って、主治医や心理士と最終調整をしてから、あまり間を空けずに新しい生活を始めようと思います

なんだかいつの間にかよく分からない人生になってしまいましたが、
「ではいつまでがまともな人生だったのか」
と自分に問うてみてもどうも答えられないので、このまま流れ着いた先で頑張ろうと思います

なんかよく分からない、不思議な感じ
何とも言えない、不思議な感じです




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