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吃音のある彼のスピーチを柔らかな空間が包む


彼はがんばり屋である。
彼は授業に積極的に取り組む。
彼は発言を恐れない。
彼には吃音の障害がある。

彼が授業中に積極的に手を挙げるのは、いつもの光景だ。指名されると立ち上がり、ひとつふたつ間を置いて、ゆっくり話し始める。

話し始めても、言葉はすぐに出てこない。何度も何度も言い直し、他の人の何倍も時間をかける。

その間

級友たちは待っている。

誰も通訳はしない。
助けない。

ただ待っている。

教師は聞き取れないとき
何度も聞き返す。
彼は何度も言い直す。

伝わった。

その瞬間を
級友たちは待っている。


個人で教科書を音読する指示が出た。一斉に読み始める級友たち。

最後に残るのは、決まって彼。

静まった教室に
彼の声だけが響き渡る。思うように言葉は出ない。何度も読み直す。他の子たちはとっくに読み終わっている。
彼は決してあきらめない。どんなに時間がかかってもあきらめない。

そして

読み終わった。

その時を級友は待っている。

少し彼に顔を向けながら、そのたどたどしい音読を聞いている。

彼が無事に読み終わると
少し嬉しそうな空気がほんわか流れる。

皆、彼ががんばり屋であることを知っている。


ある日

その日の国語は
スピーチの時間だった。

ひとりひとり
「私が伝えたいこと」
というテーマで話す時間だ。

彼の順番がきた。
彼は大きく息を吸った。
見守る級友。

「友だちについて伝えたいことがあります。」
いつものようにつっかえ、つっかえ、彼のスピーチは始まった。

「ぼくが」

待っている。

「ぼくが」

「ぼくが授業で頑張れるのは友だちのおかげです。積極的に手を挙げて、発言しようとするのも友だちのおかげです。ぼくの友だちは、ぼくの話し方を笑わない。ぼくが話し終えるのをずっと待ってくれる。ぼくの話を勝手に作って、伝えようとしない。ありがとうと伝えたいです。」

内容はこれだけ。
しかし、長い時間が流れていた。それは彼が伝えることを諦めなかった時間だった。級友がじっと待っている時間だった。
その間、誰も急かすことをしなかった。勝手に通訳しようとしなかった。
彼は長い時間かけて、自分の想い伝えることができた。それは、今まで語ることのなかった本心だった。
話し終えると、彼は大きくお辞儀をした。拍手。
教室には柔らかな空気が流れていた。


放課後
彼らは何事もなかったかのようにじゃれあっていた。

いつもの光景。

「特別」は存在しない。

だから
彼はがんばり屋でいられる。
だから彼は積極的に挙手することができる。
だから彼は発言を恐れない。

苦手なことをがんばる者と
それを見守る者。

それだけだ。


世の中には彼のように
いろいろな「障害」を抱える子がいる。彼のように自然と受け入れられている例は少ないのかもしれない。

しかし
確かにそこには
柔らかな空間が彼を包んでいた。


子ども同士だからできること。
子ども同士だからこそできる。


いや

はたして
「子どもの空間」限定のことだろうか。

こんな空間がきっと世界のあちこちにあるにちがいない。

だから

私が彼に伝えたいこと

社会に出ても
がんばり屋でいてほしい。
積極的であってほしい。
発言することを恐れないでほしい。

伝えることをあきらめないで。


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