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「切り取る部分」と「感じ取ってほしい部分」を明確にして語ること。


この日に教え子に何を語るか。
あの悲劇から、何を学ばせるのか。
この教訓から、身につけさせるべき力は何か。

多くの犠牲を無駄にしないための
私の使命とは?

あれから10年。
あの出来事を教え子にどう伝えるかの
責任は大きい。

3月11日。午後2時46分


毎年、学校では黙祷を捧げています。
しかし、
教え子たちは、すでに「東日本大震災を知らない世代」になり始めています。

震災を語るとき、何をどう伝えればよいのでしょう。
何が伝わればよいのでしょう。
今日は朝から、そのことが頭から離れませんでした。

「悲惨さ」だけを切り取って伝えることは、恐怖を与えるだけです。備えが必要だということは伝わりますが、それでは
足りないくらいの大きな教訓を震災は、残しています。

復興の様子や被災者と呼ばれる方たちの姿から学ぶべきこと。

それは、
人間のたくましさ
あきらめない心
お互いを思い遣り、助け合う姿
希望の光を見いだす姿勢

あのときの映像は二度と見たくない。聞きたくない。思い出したくない。そんな思いの方も多くいらっしゃるでしょう。
できるなら、この話題を避けて、そっとしておいてほしい。そんな声も聞いたことがあります。

記事にするべきか、、、。
迷いが生じます。

それでもあえて、今日はこの話題です。

なぜなら、私は教育者だからです。誰も触れなくなったら、風化してしまう。教え子たちは、当時の報道の記憶さえない子たち。話題にしなければ、忘れさられてしまうかもしれないという危機感。


「『校舎に上がれ!逃げろ!早く!早く!』とみんなが大きな声で叫んでいました。僕は呆然として、窓に歩み寄りました。国道に面する窓から、車に乗ったまま津波に流されていく男の人が見えました。」

当時の小学生の何人かが、語り部となり、当時の体験を語り継いでいます。


夢だけは 壊せなかった 大震災逢いたくて ても会えなくて
         逢いたくて見上げればかれきのやまにこいのぼり戻ってこい秋刀魚のせなかにのってこい

震災の2ヶ月後に詠まれた俳句です。詠み手は大きな被害を受けた宮城県女川中学の生徒たち。

「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると、信じています。私たちに今できること。それは、この大会を精一杯元気を出して戦うことです。がんばろう。日本!生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。」

未曾有の震災から、わずか12日後に開催された選抜高校野球大会の選手宣誓の一部です。野球をやっていていいのか、そんな葛藤の中で生まれた宣誓は、印象に残りました。


震災十日後の卒業式の答辞からは、試練に立ち向かう強い決意がうかがわれます。

ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。
(中略)
時計の針は、十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心をもち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくこと事が、これからのわたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。


あのとき
前代未聞の大災害の中で
多くの人々が明日への希望を見いだし、助け合い、前を向いて生きる決意をしました。

その姿を教え子たちには伝えたい。

私の教え子たちは、思いがけない天災に見舞われたとき、冷静な判断ができるだろうか。
周りを見渡し、助け合って生き延びることができるだろうか。
いや、私自身は?


被災者の方たちの
苦労や工夫、努力に敬意を払いつつ、私の使命は、教え子たちに、有事に際しても、立ち直る力をつけさせること。
そして、ともに生きること。

今年も

午後2時46分はやってくる。

祈りを捧げよう。
教え子とともに。

その祈りが、形だけのものにならないように、私の言葉で、震災を伝えよう。



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