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[恋愛小説]1978年の恋人たち...13/入谷の助っ人

優樹は台東区入谷の上野成文の家で図面を描いていた。1980年1月10日である。

自然気胸の術後、1ヶ月の自宅療養から漸く、南台の桃花荘に戻ったのが、年が明けた1月8日だった。すると卒業研究グループの上野から電話があった。暇そうならちょっと卒業設計のエスキースを見てくれないかという。
上野の家は、三社祭で有名な、台東区入谷にある。場所が分からないというと、鴬台駅の改札口に3年の小川真知子を迎えに行かせるという。卒業研究では、自分の不在の穴を補い、提出して貰った恩義もあり、断れず、のこのこ鶯谷駅まで行った。
改札口には小川嬢が待っていた。並んで、駅前のラブホテルが乱立する路地を歩く。
優樹「凄いところだね。少し休んでいこうか?」
小川「せんぱい!そんなこと言って良いんですか?私聞いてますよ、美愛さんっていう、凄い美人のフィアンセがいて、来年結婚するって、上野先輩、言ってました。」
優樹「うっ、まー。」
小川「早く帰りましょ。上野先輩、首を長くして待ってますよ。」

上野の家には、小川の他にも3年生が2名居て、模型を作り始めていた。
上野が平面の説明をする。
上野「この展示室は、玄関ロビーから一番近く、トイレに行きやすい。それで、この講堂もロビーに近いから、トイレも近い。でレストランもトイレに近い….。」
優樹「要は、このプランはトイレを中心に展開しているんだ。」
上野「…うっ、そうとも言える。」
それから、1月31日の提出日まで、ろくに外出も出来ず、上野の妹の部屋を宛がわれ、泊まり込みになった。妹は親の部屋へ移動した。食事は、上野の家族と一緒に、風呂は近所の銭湯に行く生活である。
勿論、美愛には事情を話し、桃花荘には居ないけど、決して怪しいことはしていないからと、説明はした。
美愛「そう、大変ね。直ったばかりなのに、体大丈夫?」
優樹「図面描いて、動かず、三度三度食べてるんで、太りそうだよ。」
美愛「そう、少し太ったゆーちゃんでも良いかな。」
優樹「…。」
美愛は、優樹の手術が無事終わり、元の生活に戻ったので、明るくなったみたいだ。

31日11時に西新宿校舎の11階の製図室に、上野と図面を持って行った。あと1時間だというので、製図室はてんてこ舞いだった。挙げ句の果てに、まだ終わっていない、図面を次から次と手伝う羽目になった。

12時になり、図面の受け取りが締め切られ、受付をしていた助手達は準備室に図面の山を入れて、ドアが閉ざされた。
その瞬間、優樹の留年が確定した。後1年、大学に居ることになった。受ける授業も無く、提出する課題も無い。何か、宙ぶらりんな、感覚を覚えながら、南台の桃花荘へ一人戻った。

美愛は、昨年11月に優樹から病気だと言われてから、心穏やかではなかった。もし、優樹がいなくなったら、どうしようとさえ、考えた。あれから、3ヶ月は長かった。術後の面会は、毎日のように病院へ通った。職場から車で、病院まで1時間、往復2時間は掛かる。でも、優樹の顔を見ないと、心配でたまらなかった。美人の看護婦が多いのも気になっていたが…。

優樹から卒業設計の提出は無理なので、卒業は1年延期になると聞いた。それもしょうがないと思った。ただ、一緒になれるのが、1年伸びるのは、少し残念だった。だが、これも試練だと覚悟を決めた。神様は私たちがそう簡単に、一緒になることをまだ許してくれないんだと思った。どうも私たちふたりには、超えなければならないものは、まだまだ有りそうだと知った。

それが、1980年1月の出来事だった。



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