[恋愛小説]1978年の恋人たち...12/晩秋の痛い朝
明け方、優樹は急に右胸に刺すような痛を感じ、目が覚めた。また、あれだと思った。
優樹は「自然気胸」という持病を持っていた。最初に発病したのは高校1年の前期中間試験の直前で、親に仮病だと疑われたが、総合病院でレントゲンを撮ると右の気泡が収縮していた。自然気胸という病気だった。肺の気泡にピンホール大の穴が開き、肺が収縮する。肺活量は半分になるから、少し動くと息切れがし、無理すると肺炎になり重症化する場合もある。安静にしていれば、自然治癒で10日もすれば、直るが、再発するケースもある。優樹もすでに2回発病しているので、次再発した場合は開胸手術した方が良いと、医者から言われていた。
美愛と付き合い始めてからは、落ち着いていたので油断をしていたが、やはり再発したかと落ち込んだ。桃花荘で一人で安静にして寝ている訳にもいかず、また肺炎になると面倒なので実家に帰ることにした。一人痛む胸を抱えながら、バス、山の手線、常磐線を乗り継ぎ帰省する時間は長かった。
その夜、実家から美愛に電話し、持病の再発を説明した。
美愛「えっ、それで大丈夫なの?」
優樹「明日病院へ行くけど、多分手術になると思う。」
美愛「えっ、手術…。…どんな手術なの?」
優樹「そんなに難しくないって、医者は言ってる。」
受話器の向こうで、美愛が涙ぐんでいるのが分かる。
美愛「…そしたら、毎日見舞いに行くね…。…付き添いはいらないの…。」
優樹「今の病院は完全看護なので、付き添いは無いよ。」
安心させるために、その後10分は説明した。美愛は少し落ち着いた。
美愛「綺麗な看護婦さんに手を出しちゃ駄目よ。」
優樹「そんな元気ないよ。」
翌日、大学病院の専門医の診断は、やはり手術だった。このままでは、また再発するので、患部を切除した方が、良い。そうすれば再発する確率は下がるという。
但し術後1ヶ月の入院は必要とのことだった。
そうなると、今上野達と進めている卒業研究は、出来なくなる。その日に、上野に連絡を入れて、状況を説明し、謝る。
「それならしょうがない。卒研は有村と進めるよ。」と上野。持つべきものは友である。この時ほど、友人の大切さを痛感したことは無かった。
翌日、美愛が実家に見舞いに来た。寝ている和室の枕元へ案内する母の声が聞こえる。廊下の方を見ると、美愛の足がそこにあった。
美愛「どうなの、痛くないの?」
優樹「痛いのは、卒研が出来ないことだけど、上野たちがやってくれるって言ってる。」
美愛「そう。手術はいつ頃になりそう。」
優樹「10月の下旬で、入院は1ヶ月になりそう。」
美愛「私、毎日病院へ行くね。」
優樹「良いよ、そんなに来なくて。」
美愛「だって、心配だもん。ゆーちゃんが、看護婦さんに手を出さないように、監視してなきゃ。」
優樹「ばかだなー、ははっ。痛てて、笑わせるなよ、笑うと痛いんだよ。」
美愛「ごめんなさい。」
思ったよりも、元気そうな優樹を見て、美愛は少し安心した。昨晩電話で病気と言われてから、気持ちが沈んでいたのだ。
優樹と話した後、美愛は茶の間で母親としばらく話をしてから帰ったようだった。この頃は、母親とだいぶ仲良くなっているみたいだった。二人の相性は良いのだろう、どうせ二人で優樹の悪口でも言ってるんだろうが…。
優樹の手術は、無事に終わり、1ヶ月の入院生活後、11月下旬に退院した。
美愛は言ったとおり、ほぼ毎日病院通いをして、看護婦達を驚かせた。
優樹は、美愛にまた借りが出来たなと思った。だが、美愛が通ったのは、他にも理由があったが、それは後に分かる。
退院はしたが、1ヶ月以上ベットに寝ていたので、体力はかなり落ちていた。少しの散歩でも、疲れてしまう。
それにしても、この間のブランクは優樹の卒業設計に暗雲をもたらした。卒業設計の提出期限は1980年1月31日12時である。1秒でも遅れたら、卒業延期である。それまでに、この体であのタフな卒業設計が出来るか?残された期間は約2ヶ月…。
それが、1979年11月の出来事だった。
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