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短歌「読んで」みた 2021/07/31 No.10

平泳ぎ競ふあたまが描きゆくサインカーブとコサインカーブ
 光森裕樹 『鈴を産むひばり』(港の人 2010年)

スポーツが詠まれた短歌は意外に少ない。いや、あるにはあるが、主題ではなく景や一部としてなら、という条件がつく。メインのモチーフとしてスポーツが詠まれている歌は以外に多くはない。

今回挙げたこの歌は水泳を詠んでいる。作者がどこで見ているのかは歌の中から読み取れないが、とにかく見ている。しっかりとではなくぼんやりと見ているのかもしれないが、泳法の特徴をよく掴んでいる。
サインカーブとコサインカーブと言われて一瞬、なんだっけとなるが、記憶の遠くにあるあれ、三角関数である。一定の周期でうねる曲線が描かれたグラフが頭に浮かぶ。その曲線のように頭が弧を描くのは4泳法の中でも平泳ぎだけだろう。バタフライも動きはあるが、ちょっとイメージが違う。
ここに理系の視線があることが意外であるが状況を的確に表わしており、そのことが新鮮な印象を生んでいると感じた。
ストロークが繰り返されるたびにゆるやかに弧を描く頭。「競ふ」とされているからこれはただ泳いでいるのではなくレースであって、複数の選手によるたくさんの曲線が描かれてゆく。冷静でありつつも冷たくはない、クローズアップでも引きでもない独特の視点からの捉えが唯一の比喩を編み出している。

 *  *

オリンピックだ。TOKYO2020。
連日の熱戦。色んなものを投げ出して観戦してしまっている。メダルに関わらず私たちを魅了するスポーツ。この機会にスポーツの短歌を今回は取り上げたいと思い探したが、無い。冒頭にも書いたがあるにはあるのだ。一首の中心というととたんに少なくなる。短歌コンテストのようなところにはたくさん投稿があるが、歌としての密度を考えると取り上げたいと思えるものを見つけることが出来なかった。
探すうちに、欲は増長する。見つから無いのだからあきらめればいいのに、もはや無いものねだりである。どうにもアスリート目線で詠まれたものが読みたいと思ってしまうのだ。競技をする独特の感覚を、心身両方の方向から感じて詠まれたもの。こうなって来ると皆無と言っていい。
そもそもそういうことを歌人は好まないのかもしれない。そういえば歌人には運動音痴を標榜している人が多かったような気がする。そうなると「見る」を超えて「やる」など高い壁であり、そこを超えるなどありえない話に思えてくる。
どなたか、上記のようなアスリート自身による短歌作品をご存知であれば教えて欲しい。






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