見出し画像

10年くらい前に、あるきっかけを頂き、毎年の年の初めにライフプランを書いています。

ライフプランとは、自分が80歳で死ぬと仮定して(寿命は年々延びているのでもう少し長生きしそうですが)、79歳までにどのようなことを実現するか?を計画としてまとめるものです。

計画する項目は様々あります。

▼縦軸
・使命
・社会
・業績
・専門分野
・地位
・友人
・住まい
・財産
・収入
・健康
・心
・趣味
・教養
・資格
・自己啓発
など

について、

▼横軸
・昨年(まず反省)
・1年後
・5年後
・10年後
・20年後
・79歳になった時

にどうなっていたいか?を具体的に書き出していきます。

▼ライフプラン(イメージ)



初めて計画した時は、なかなかの作業量でしたが、一度書くと、書いたものをベースに、①昨年1年を反省したり、②これからの計画をアップデートしたり、③新しい目標を追加したりと、まさに自分自身の人生設計・人生計画となって、良い棚卸しになります。

このライフプランを書いている時に、いつも痛感することが3つあります。

ひとつめは、時間は有限であるということ。

毎年毎年書き、アップデートするのですが、刻一刻と自分の最期が近づいてくる中で、なんとも目標や計画が全く進捗していないことに気づくと共に、時間の有限性に気づかされます。
ボーっとしていると、最期の時間がどんどん近づいてくるし、自分の老い(体力的な限界)も考えると、できることがどんどん狭くなっていくことに気づかされます。

ふたつめは、立てた目標しか達成しないということ。

そもそもどのような生き方をしたいのか?どのような最期を迎えたいのか?をきちんと可視化してPDCAを回さないと、ただ何となく時間を過ごしてしまうと、何も達成しないままの人生になってしまうことを痛感します。
目標も計画もなく、毎日の不満から逃げ、要求や欲求だけを瞬間的に満たしていても、人生を通して実現すること/したいことは、何も前に進んでいないことを痛感するわけです。

最後は、目標のレベルが自分のレベルになるということ。

どのような目標を立てるのか?その目標がその人のゴールになります。「社長になりたい」「有名になりたい」「日本一になりたい」などなど。目標は様々だと思いますが、それらが目標を立てた人のゴールになります。この目標のレベルですが、知らず知らずのうちに、自分自身の天井を作っていることもあります。「社長になりたい」人は、業界を牽引する人にまではならない可能性が高い、「有名になりたい」人は、自分自身が有名になれたなぁと思えば満足する、「日本一になりたい」人は、世界一までにはならない可能性が高いわけです。

そして、この最後の“目標のレベルが自分のレベルになる”ことの一番の恐さは、本人がなかなか気づかないことです。まだまだ先に進める実力や時間があっても、一定の達成という現状に満足してしまい止まってしまうわけです。

つらつらと書きましたが、どうせ一度の人生。楽しくてワクワクして、悔いの残らない、やり切った!と言える人生を送りたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?