自己投影サスペンスがえぐくて薦めたくない小説

娘を殺した母親は、私かもしれないー。

このキャッチフレーズが書かれた帯。
柴咲コウの写真。
連続ドラマ化決定の文字。

「あー、面白そう。角田光代さんなんだ。これは買いだな。」
気軽な気持ちでレジに持っていった小説、「坂の途中の家」。

気軽に読むには危険な小説だった。
他人を蔑む欲望がテーマ。
誰しもが持っている欲望。

内緒話、隠れてつけたあだ名、あの子だけ参加していない交換ノート。些細なこと。
それでも、たしかに人は他人を蔑む欲望を持っている。それも小さい頃から。

自分がその欲求を感じた時の感覚と、他人に向けられるその感覚。
両方、苦手。
私はやったことがない、ではなく、あの感覚が苦手なのだ。

大人になればなるほど、その欲望との付き合い方が身に付いて、発動することも発動されることも減る。
このまま無縁になりたい。
そう考えていた。

この小説の主人公は育児に苦戦する母親。
8ヶ月の幼い子供を殺してしまった母親の刑事裁判にて、補充裁判員に選ばれる。
母親を取り巻く人と、母親の証言を通して、自分のことのように思えて怖くなる主人公。

なぜ、こんなに、恐怖を感じるのか?
この恐怖は誰に感じているのか?
主人公の夫?義母?主人公の実の母?
咎めるような一般論を口にする裁判員のおばさん?

それとも、主人公が言葉にしている、自分もあの母親になりかねないというか恐怖なのか?

そんな簡単な恐怖ではない。
ああ、帯のキャッチフレーズに騙された。
それよりもっと深い話だった。

主人公に感情を移入するほど、私は怖いという感情を持った。
主人公に自分を投影していた。

そして、主人公と同じように
なにに対して怖いと思っているのかがわからず、混乱するのだった。

これは、最後まで見届けたい。
そんな気持ちで読みきった。

途中でページを全て読み飛ばし最後だけ読んでしまいたい気持ちが湧いた。
それはしなかった。
ちゃんと、この主人公が見ること聞くこと考えたことを時系列を追って、観なければ、この恐怖がわからないとわかっていたから。
丁寧に、大事な情報は逃さないように、それでもすばやく読んだ。
早く知りたい、混乱から解放されたい。

読み終わったときに抱いたのは、「この小説読まない方がよかったのかもしれない。」という不安だった。

そのまま、あとがきに読みすすんだ。
あとがきに救われたくて。

あとがきの3ページ目に「もしも出会うことがなかったら、私はなにも知らずに生きていったに違いない。」と書かれていた。

まさしく、この通り。
人間の性について、知らなくていいことを知ったのかもしれない。
無縁になっていく、人を蔑む感覚について密に触れさせられた。

「だから、性別や年代に関わらず、角田光代の小説に多くの人が心動かされ、なぜ作家は私のことを知っているのだろうと思うのだ。」
あとがきの最後のページに、こう書いてあった。

よかった。
これは知らなかったことを知ったわけではない。
みんなが気が付いていることを、エピソードを通してキレイに理論にまとめてくれたのだ。
理解したのだと。

その上で、今の私の世界にはあまり関わりがないことに、幸せを感じた。
理解したからこそ、私が誰かを蔑む衝動が湧いたとしても制御できる気がした。

この本を読んで落ち込まないタイミングで読んでよかった。

とても面白い小説だったけれど、友達に気軽には薦められない。

最近読んだ本が4連続で面白かった

坂の途中の家以外の3冊はとても薦めたいデス。

自分好みのものを見つける打率が絶好調です。
楽しすぎて本屋さんでスキップしそう。
あの駅のブックファーストで両手に本とマンガを持って、ウロウロする時間が好きです。
明日は本屋さんに行こう。


#小説
#角田光代
#坂の途中の家
#読書
#読者メーター

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?