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日本語ラップは聞く純文学

私にとって日本語ラップは聞く物語。最近は、この世界に純文学のような美しさを感じています。一曲聞き終わると、物語を読み終えたような満足感。

私は、普段ラップを聞かない層にこそ、日本語ラップをおすすめしたい。

特に私のような典型的な陰キャオタク。陰でこそこそアニメソングを聞いたり、友人と遊びもせずに本を読む普段の私ですが、最近はすっかり日本語ラップの虜になっています。

ラップは偏見が溢れている文化です。
確かに、ヤンキーが歌っているラップもあるし、「大麻が~」と歌っている曲も。悪さ自慢も多いため、聞き始めるハードルが高いかもしれません。海外の真似事と揶揄されることもしばしば。たぶん、高校の友人に出会っていなかったら、一生聞くことがなかった日本語ラップという世界。

今回は、オタクの私が思う日本語ラップの魅力をお伝えしたいと思います。



①言葉遊びの頂点


ラップの世界は、縛りがあるからこそ輝きます。もちろんその枠を超える面白さもあるのですが、基本的には規則的に流れるビートに乗り、韻を踏み、ライムやフローを駆使してオリジナリティを構築する音楽です。

ラップの世界は、覚えなきゃ用語が多い……。私も最初は何が何だかさっぱりで、曲のコメント欄などで普通に会話する人たちに驚いていました。脳死で聞いていればいいアニメソングとは大違いだなと思ったのが最初の印象です。

私は、この枠の中で自分の言葉を編み続ける人たちを見て思いました。

「日本の俳句や短歌みたいだな」

私は短歌が好きで良く詠んでいる人なので、遠い海外の文化が巡り巡って、日本短詩文化を蘇らせていると思ったのです。

韻へのこだわり、31字の縛り、リズム感、季語を入れる(俳句)などなど。限られた文字の中で魂を叫ぶのは両者同じ。私にはこの2つが重なって見えました。

そして、サンプリングと言う文化。

両方とも、聞くにも歌うにも教養が必要。先人が残した歌、歌詞を尊重し、リスペクト込めて使用するのは、両者に共通する文化です。享受する側は、それに気づければニチャつける。そうやって、互いが互いを尊重して積み重なった文化が、日本の短詩文化と日本語ラップだと思うのです。


②魂とメッセージ性~ビートに乗っけるバックボーン~


この点がまさに純文学だと思う点。

誰かの人生や魂を追体験できるのが日本語ラップ。ラップの世界では、レペゼン(出身)が大事にされますから、一人称視点の物語が展開されることが多い。

地元のスーパーとか、友達の名前とか、出来事とか、自分が知らない世界を歌っているのに、なぜか心に突き刺さる。自分歌うから、他の音楽より、魂が直に伝わってくるんですよね。まるで物語を読んでいるみたい。

他の音楽が三人称なら、日本語ラップは一人称を歌う音楽です。

韻やライムのへの意識が、そういう錯覚を起こすのかもしれません。
そして、主張がパンチラインとして現れます。この点は文学と一緒です。本の世界でも、名言って出てきますよね。だいたい一冊読み終えると、心に残るフレーズがあると思います。それと一緒です。

だから私にとって日本語ラップは純文学。生き様を歌うのであれば、そのラッパー自体が「物語」と言えるでしょう。あなたが出会った曲は、彼らの物語の第1章に過ぎないのです。


終わりに


以上のことから、日本語ラップは純文学だと言えます。

私は韻や言葉遊びに着目したことで、ラップを取り巻く悪文化を通り越して日本語の美しさに溺れることが出来ました。

とにかく色んなラッパーの音源を聞いて見ることをおすすめします。
いつか、誰かの曲で、純文学のような表現と言葉遊びに心打たれたのなら……

その人が最初の推し!

アニメや漫画、文芸に飽きてきたなと思ったら、日本語ラップに物語を求めてみてはいかがでしょうか?

ちなみに私が好きなのはGADOROさん。聞けばわかる世界観。独特の韻踏みと人間性がぶっ刺さり。現実に飽き飽きしている人はぜひ聞いてほしいですね。



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