【不幸自慢はいつになったら終わるのかと言うタイトルにしようと思って、全然違う話になってしまった】ということ
私は結構不幸自慢が好きな方だと思います。
不幸自慢という言葉は良くないかもしれない。
別にその方は自慢しているわけではないのだから。
ただ、素直に知って欲しい。
だから伝えている。
ただ、それだけなんだと思います。
でも、学生の時とかって所謂
不幸自慢
が横行してしたように思います。
昨日眠れなかったとか、風邪引いたとかそのくらいのレベルの話から、
本当に耳を塞ぎたくなるような話まで。
申し訳ないことに、私には語れるほどの不幸が無く、
ノロウィルスの猛攻を4回ほど受けた。
それが笑い話にならない、人生でも最大の不幸だと思っています。
このnoteでも本当に目にする機会が増えました。
私はそんな話を聞いたり読んだりする事を好んでしております。
私の中で、あまりに自分の人生とは掛け離れた内容だと、もう共感する事は不可能で、自分はフィクションとして受け入れるのに、その人にとってはノンフィクションという事実が、小さい頃から不思議でたまらない。
そこで、この人の人生はこの人が主役なんだなぁと思う。
特に家族だとそう思うことが強くあり、
例えば妹の話なんかだと、
同じ親から生まれて血も繋がってて、環境も似ている中で育ったのに、
なんでこの人は私とは違う日々を送っているんだろ?
この人って何?
と、ふとした時に思って生きてきました。
その ふとした瞬間 が生まれるのが、
不幸(不幸と言う言い方は良くないかもしれませんね。その方にとってあまり良くない出来事という方が正解かもしれません)な話を聞きた時。
面白い話とか楽しい話は出来れば全て共感したいし、一緒に笑えるので身近に感じることがしやすいのかもしれないのですが、
自分の感じたことの無い感情がその人の中で生まれた話を聞くと、
何故か急に自分を俯瞰すると言いますか、
突然ぶわーっと世界が広がって、この建物の中全てに人がいたとして、その人たちは自分とは違って、違う生活をしていて、家の中も全然違って、違う人間関係があって、その人間関係の人たちもそれぞれがまたそれぞれで生きていて、
私はそれを絶対に見ることができない。
不思議だな……。。。
とここまで書いて、
多分とてつもなく当たり前の事を、ただ当たり前に書いているだけなんですけど、
小さい時はそれが当たり前だと思っていないし、それを上手く伝える方法も無いので、何だかずーっともやもやして
親と妹に
結局あなた達は誰なの?
みたいな事を言って、
はぁ?
とスルーされ、特段何事もなく終わり、誰の記憶にも残ってなんかいないだろう出来事ではありますが、
上手く言葉に出来ないのは今でも変わらず、でも色んな方の色々な話を聞き続ける限り、見続ける限り、今でも続くこの現象が終わることは決してないと思っているし、多分一生付き合い続けて、
いつか誰かが共感をしてくれた時に、その人からこの不思議なモヤモヤが何なのかを教えて貰えたら、
きっとスッキリするんだろうなぁ
と思います。
それとこれとは別にしても、自分と違った人生が広がっている事実を実感として感じられる、その人その人の色々なお話。
私はやはり聞くのが好きなんだと思います。
本日も最後までお付き合いいただき、有難うございました。
それではまた明日!
あーとん
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