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出産はナイツと共に

ナイツが好きだ。

お笑いには疎い方だがナイツは昔から好きで、独身時代、ひとりで怖い映画を見たあとは、怖い夢を見ないようにYoutubeでナイツの動画を見てから寝ることにしていた。塙さんのとぼけた口調と土屋さんのまろやかなつっこみ、しょうもない言い間違いやちょっと毒のあるネタが絶妙に面白くて、クスクスと笑っているうちにこれが現実ですよ、さっきまで見てた怖いシーンは本当じゃないですよ、と脳が書き換えられて、その後は見事にぐっすりだ。

夫もナイツが好きだった。

とはいえ、結婚した当初はお互いに「ナイツ?面白いよね」くらいのテンション。

ところが、コロナ禍でステイホーム時間を持て余したのをきっかけに、二人のナイツ好きは一気に1から150くらいに跳ね上がった。Youtubeに上がっているナイツのネタ動画は大体見たし、独演会はオンラインチケットを購入して視聴、平日昼間の「ナイツ ザ・ラジオショー」や土曜日の「ナイツのちゃきちゃき大放送」などのラジオ番組もチェック、トイレには「ナイツ午前9時の時事漫才」や「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」(塙さん著)などの本が並ぶようになった。

塙さんの繰り出す「足元の臭い(悪い)中…」や「僕、肛門見えても(こう見えても)」などのしょうもない言い間違いが日常に挟み込まれ、夫に至っては職場でも「最近インターネットで面白い漫画を見つけたんですけど、鬼滅の刃って知ってます?」と塙さんのボケをパクってウケをとってるらしい。(ちょっとおじさんぽいなと思うのはここだけの話。)


さて、そんな私たちの元にどうやら子どもができたとわかったのは、2020年7月のことだった。

妊娠が発覚した時にはすでにコロナ禍で、産科も健診はおろか立ち合い出産も不可、面会も不可という状態。時期が時期だけに仕方ないかと思いつつも、出産予定日の4月までにはコロナもおさまってくれて、立ち合いくらいはできたらなぁ~とうっすら思っていた。

が、その願いもむなしく、出産を迎えた4月、世の中はまだ「そろそろワクチン打てるらしいよ」というくらいの時期。4月7日の朝におしるしと前駆陣痛があり、夜から本陣痛がはじまった。陣痛の間隔が10分おきになったら産院に連絡を、と言われていたので夜中の12時頃に電話をかけると、「初産ですよね?多分まだまだかかると思うので、家で耐えられるところまで耐えてから来てもいいですよ~」とのこと。「耐えられるところまでってどこ!?」と思いつつも、病院に行って一人になるのは心細いので家であと3時間耐え、日付変わって4月8日の深夜3時、陣痛の間隔が大体6~7分間隔になったところで産院に向かうことに。「次会う時には娘がいるのか」「そうなるね」「頑張ってくるね」「うん、起きてるからいつでも連絡して」と夫と別れの挨拶をして、私はひとり、産院へと乗り込んだ。

到着したころには子宮口4センチ。いい時に来てくれましたねと言われ、そのまま入院。希望通り個室に案内され、これから陣痛の間隔が狭まるまでは一人で耐えることになる。「出産は快感!」とまで言い切った4児の母である姉の教えを守り、陣痛の間は力まないよう、おなかの娘に話しかける作戦。痛みがくるたび、「もうすぐ会えるね」「一緒に頑張ろうね」「待ってるよ」「早く会いたいよ」とうわごとのように話しかけ続け、それでも痛いので歌でも歌ってみようと試みたが音程なんてとれるわけもなく、ただただ早口で歌詞を並べ立てるだけとなった(ちなみに歌っていたのは妊娠中にNHKみんなのうたでよく聴いていた「金魚のジョン」)。体力温存のために陣痛の合間はなるべく寝ておいて、と助産師さんに言われたけど、数分おきに痛みが来るのでそうもいかない。眠いやら痛いやらで、朝になる頃には意識も朦朧。でもどうやらお産の進みは比較的早かったようで、昼前には分娩台に上がることになった。

おお、これが噂の分娩台か。痛い。ドラマで見たのと一緒だ。痛い。台にのぼり、足を開く。痛い痛い。いわゆるお産のポーズだな。痛い痛い痛い。

助産師さん「藤田さんよく頑張ってるよ、赤ちゃんも頑張ってるからね。」

ひとりでの出産を心細く思う必要なんて全くなかったと言えるほど、担当の助産師さんは天使のように優しく、それでいて最強に心強かった。頼もしさの化身だった。

助産師さん「もうすぐ産めるからね、あとちょっとだよ。」

いよいよ産める。娘に会える。

私たち夫婦は、娘を授かるまでに3年半かかった。

秋までに授からなかったら、不妊治療に踏み切ろうかと思っていた矢先の妊娠だった。

いつか、お母さんになりたかった。

夫を、お父さんにしてあげたかった。

妊娠がわかったとき、母も姉も親友も、泣いて喜んでくれた。

みんな待ってるよ。

ずっとずっと会いたかった娘。

やっと会える。

この手に抱ける。

これまでのいろんな思いが走馬灯のように駆け巡る。


助産師さん「ちょっと肛門見るね!」

(肛門…?)

突如、脳内に塙さんの「僕、肛門見えても〜」がこだました。

(肛門見えても!?)

走馬灯、全部消えた。

めちゃくちゃ我に帰った。

と思いきや、次の陣痛の波。

助産師さん「もうちょっとだね、赤ちゃんいい感じに下りてきてるよ!」

ずーーーーーんと、鉛が腰の中でどんどん巨大化していくような圧。

娘が出てこようとしているのがわかる。

紛うことなき、人生最大級の痛み。

助産師さん「もう一回肛門見るね」

塙「僕、肛門見えても~」

(肛門…見えてる…!)

いや、痛いんだけど。今までの痛いという言葉の概念から遥かに大きくはみ出るほど、めちゃくちゃ痛いんだけど、だって人間がひとり、股の間から出てこようとしてるし。でもあかん、ちょっと笑っちゃう。

助産師さん「いい感じだよ、そろそろ産めるよ、頑張ってるね!」

(ふぅ…ふぅ…!)

助産師さん「ちょっともう一回肛門見るね!」

塙「僕、肛門見えても~」

(見えてる、ほんとに見えてる、肛門…!)

脳内には塙さんが三人並んでいる。

塙さん、私、肛門見えてるよ。見えたよ、肛門。

というか人間てこんな極限状態でも余計なこと考えられんのか。脳ってすごい。

助産師さん「はい、いきんでー!」

(え、もういきんでいいの!?)


塙さんに気を取られていたせいか、想定していた痛みのピークの2歩くらい手前のところでいきむことになった。ありがとう塙さん、ありがとう肛門。

今まで我慢しろと言われていたのにいきなりいきめと言われて身体が戸惑う。「ウンチ出すみたいな感じで!」と言われ、再び神経が肛門に集中する。肛門見えてる。いや、違う違う。私は肛門とは別の場所から娘を産むのだ。

「こ、こんな感じ!?」と何回かいきんでみたが、もう頭は見えてるという娘は一向に出てくる気配がない。しまった、「産むコツつかんだわ~」と言っていた姉にいきみ方も聞いておけばよかった。そうこうしているうちに助産師さんが医師の先生を呼んできて何やら話し合いがもたれ、会陰切開&吸引分娩をすることになった。

いろんな出産経験者から「早く会陰でもなんでも切ってという気になる」と聞いていたけど、本当にその通りだった。どうぞどうぞお願いします、もう自力で頑張れる気全然しません。早く産みたいです。ぜひお願いします。部分麻酔がチクッとしてから切られたらしいが、感覚はほとんどなかった。

そんな医療のお力添えをいただいて、すっぽーんと娘は生まれ、脳内にかすかに残っていた3人の塙さんも吹っ飛んだ。おなかにどーんと置かれた娘は元気に手足を伸ばして泣いていて、私も感動で泣いたりするのかなと思ったけど、本当に人間出てきた!という驚きや、やっと会えたー!という達成感の方が大きかった。3キロちょっとの、ふわふわに軽くて重い重い「いのち」。私はもうこの人と出会う前の私には決して戻らないのだなと、当たり前のことをとても強く思った。

その後はあれよあれよとあらゆる処置。股を縫われ(痛い)、麻痺してる膀胱から尿を出され(わりと痛い)、子宮に残ってる血をぐりぐり押し出され(めっちゃ痛い)、あらゆる痛みのフルコースを体験。陣痛の間は「娘が頑張ってる」と思って痛いと言わずに乗り切ったが、娘が別個になったいま、痛みは私だけの痛みになるので、ふつうに痛い。めっちゃ痛い。「痛い痛い痛い…」と小声で呻いていると、助産師さんに「でも藤田さん痛みに強いよねぇ」と言われ、その後入院中に担当してもらった全助産師さんにも「痛みに強い」との太鼓判を押された。そんな、どうやら痛みに強いらしい私でも、妊娠中からずっと思っていたけど改めてめちゃくちゃ思った、子どもを持つにあたって女性側が耐えなきゃいけないこと多すぎだろ。

処置を終えると、助産師さんがタオルにくるまれた娘を私の脇に抱えさせてくれた。「旦那さんに電話していいですよ」と言われ、え、ここで!?と思ったけど、早速ビデオ通話(後で見返したら娘誕生からここまでの所要時間、たったの20分だった)。家でじっとしていられなくて、早朝から病院のまわりをうろうろ散歩していたという夫に、娘の顔を見せる。とりあえず二人とも元気でよかった、と安心してくれた。分娩台から顔見て電話できるなんて、すごい時代だな。文明の利器よ、ありがとう。

その後しばらく分娩台で休んでから、部屋に戻った。伸びきったお腹が気になって見てみると、ついさっきまですいかみたいにパーンと張っていたお腹はたゆんたゆんにたるんで、老いぼれたぬきみたいだった。お疲れさま、たぬきさん。よくぞ十月十日、娘を守ってくれました。

おそるおそる仰向けで寝てみると、もうお腹は苦しくなくて、数時間前まで話しかけていた娘がもうここにはいないんだと思うと、少し寂しかった。このあとは夕飯まで部屋で休んでいていいらしい。まだまだ気持ちは高ぶってるけど寝られるかな、と思いながらも一瞬で、どろんと深い眠りに落ちた。


以上が私の出産体験記だ。本当はもっともっといろいろあったし、ちゃんと覚えていられるように全部書きたいくらいだけど、絶賛子育て中でなかなかまとまった時間もとれないし、ここまで書くのにすでに二週間くらいかかっているので断念。でもここまででも書いておけてよかった。

おわりに、出産を経ての感想を述べるとするならば、「感謝」に尽きると思う。

出産後の定番の感想だけど「お母さんありがとう」。こんな大変な思いをして産んでくれて、ありがとう。そして人類全員、お母さんがこれ(あらゆる出産方法全部含めて)を経て誕生したのかと思うと、本当に町中ですれ違う全員と握手して歩きたいくらいすごいことだと思う。その後の子育てしてるお母さんたちもみんなすごい。えらい。えらすぎる。全員金メダル。

「医療従事者の方々ありがとうございます」。コロナ禍の初出産、不安もあったけどお医者さん助産師さん看護師さん全員の後ろに後光が見えたし、産後の心も体もケアしていただいて、本当に尊い仕事だと思った。この世に生きる天使と思う。産後も病院の前を通るたびに心の中で感謝の念を送っている。届け、ビーム。

「何もできないけど落ち着かないから」と早朝から病院の周りをうろうろして娘の誕生を待ちわびていた夫よありがとう。家で陣痛に耐えていたとき、謎のヒーリングミュージック流してくれていたの、今思い出すと結構面白い。入院してからも実況中継ラインを送っていたけど、常に秒で返事を返してくれて、なごむ写真や言葉をたくさんくれて、嬉しかった。娘が生まれてからも、楽しいパパになってくれている。本当にありがとう。

そして最後に、分娩台の上でナイツのことを考えるとは露にも思っていませんでした。人生最大級の痛みの中で、気持ちも痛みも和らぎました。笑いの力を感じました。笑いが世界を救うかはわからないけど、私は救われました。ありがとうございました。壮絶な体験だったはずが、今では楽しかった体験に脳が書き換えられています。そして今後娘の誕生日が来るたび、出産のことを思い出すたび、きっと一生ナイツのことを思い出すと思います。肛門見えても、記憶力は良い方なんで。

おあとがよろしいようで。


おしまい。



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