【推し考察】純度をあげるには覚悟がいるわ。
わたしにもとうとう「推し」ができた…。
アイドルとか芸能人とかにあまり興味のないわたしは、「推し活」している人を見て、「あんなに情熱的に元気もらえる存在がいるなんていいなあ」と思っていた。
元気もらえるじゃん。
栄養剤じゃん。
いいないいなー!
好きなものはこの世に多いほど楽しいにきまってる。
でもわたしにも唐突にその波はやってきた。
にゃああああああああああああああん
である。
もうだめだ、これは勝てない。勝てるはずもない。
2秒でサレンダーだ。
かわいい。
ずっとみていたい。
ついつい記録におさめてしまう。
えっ…今の表情は…わたし一体どんな顔して笑えばいいのかわからないの…である。
居酒屋にはいったおじさんが何も考えずに「とりあえずビール」と言ってしまうくらいには、無意識的にカメラをむけては恍惚の表情。
すごい…
今まで生活になかったタイプの時間が爆誕している…
これが尊いという感情。
これが推し。
そうして猫さま2匹はいとも簡単にわたしの推しとなったのだが。
そもそも推しとはなんなのか。
どのあたりが推しのポイントなのか。
ただ好きなだけじゃない。
自分のエネルギーを注げば注ぐほど愛が増大し、自分にその栄養分が還ってくる。まさに愛の循環。
エネルギーも物質も放出しているにも関わらず。
相手はただこの世界に存在しているだけにも関わらず。
(対象によっては、物理的には存在していないということもあると思うし)
すごい。
何も還してこない可能性があっても、愛を注ぎ続けて、むしろ自分の放出した愛でダムの水ガメはたぷたぷになっている。
ということは…?
「推し」カテゴリーを自分の人生にいかに増やすかが自分の人生の質を決めるということになりますね?
出しても出してもかれない愛。
そしていうてしまえば、自分自身が自分の推しになってしまえれば、これはとんでもねえ愛の永久機関ということになりますね?
いわゆる自己愛。セルフラブってやつです。
そして私は身をもって体験しちまった…
2匹の推しと暮らす自分の推し感情が爆発的にあふれていることに。
頭で理解するよりも「体感」があって、この感覚を味わいたいっていう設定の方が、肉体を持つ人間にははるかにやりやすいしわかりやすい。
自分のことは、もちろんそこそこ好きだ。
でも、この感覚をゆるぎない「自分推し」にまで育てることができたら?
おやおやおやおや…世界平和ですねえ…
「好き」を自分のそばに集めること。
自分を自分の推しにすること。
わかっちゃいてもさ、こういうところこそ選択は「日常のちょっとしたこと」の積み重ねだから、ついつい妥協しちゃうことが多いもの。
だからこそ、どれだけ自分の純度高い「こっちがいいな!」を増やしていけるか!
ここも3カ月自分を楽しむキャンペーンに入れてみようかな。
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