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おわらせる

昨日旦那さんに手紙のことを話した。

きもちをまとめる|yume* #note https://note.com/aaaayuu/n/n5fa6ca4834cf

「私はこのまま終わることがいやだ。
何故なら楽しい思い出、一緒にいれた時間、すべての出来事がこのままでは嫌な思い出で終わってしまうから。」

そんなことや自分の中でモヤモヤしてた気持ちを打ち明けた。

そんな中で旦那さんに言われた言葉。
「こちらは思いを伝えたのに、相手は自分のしたことを謝ることすらしない。それはキャッチボールで投げたボールを相手が放置してるのと同じだ。投げるべきボールは相手の足元にあるのに見てみぬフリをしてるってことだ。」

そうか…
ボールを投げても受け取ってもらえない。
だからもう一回投げた。
でも受け取ってもらえない。
だんだん意地になってひたすらボールを投げた。
でもやっぱりだめだった。

私がモヤモヤしていたのはキャッチボールができなかったからなんだな、と気付いた。

もちろん、相手のことを考えずに投げ続けたことは私のよくないところだ。
もっと投げ方はあったのかもしれない。
相手をよく見てなかったのかもしれない。
その結果、相手と分かり合う道は絶たれてしまった。

旦那さんと話をするまで手紙は出さないつもりだった。
どうせ手紙を出しても友だちをまた嫌な気持ちにさせるだけだと思ったからだ。

でも私はどんな自分でいたいかと考えてみた。

友だちにされたように、投げられたボールは無視していつか無くしてそれでおしまいなのか。
それとも今まで長い間キャッチボールを続けてくれたことを感謝して、そのボールを大切にしようとするか。

私は後者でありたいと思った。

自己満足なのかもしれない。

自分勝手なのかもしれない。

コントロールしたいのかもしれない。

後悔させたいのかもしれない。

わがままで幼稚で引き受けることができない器の小さいやつかもしれない。

でも友だちのようにはなりたくない。

それが私のなりたい自分。

最後まできちんと向き合って終わらせたい。

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