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ゆれるジブン

私の中のモヤモヤが小さくなりはじめ、ネガティブな思いばかりだけではなく、前向きなポジティブな思いを綴ることができたらいいのだけど…
私にはどうしても「不安」がついてまわる。

今回は少し長くなるけど、今私の中にある「不安」について書いてみようと思う。

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先週産まれた妹の赤ちゃん。
寝てる姿も泣いてる声も、キョロキョロと辺りを見回す仕草も全てが可愛くて愛しい存在。
「またこんな子を抱けたら…」という思いと共に、「もし私が二人目を授かることができたら、この小さな命を今の生活を維持しながら育てることができるんだろうか」と不安になった。



私は子宮奇形があり、本来1つの空間になっているはずの子宮がハート型になっている。
一人目の不妊治療中、卵管造影検査にて分かった。子宮奇形は妊娠には問題はないが、流産や早産のリスクが高い。
私も帝王切開の予定日までの2ヶ月程、切迫早産で入院、自宅安静でトイレ、ご飯、お風呂以外は寝て過ごす生活だった。

実際に産まれたばかりの赤ちゃんを久しぶりに見て、
「二人目ができたら、娘を抱っこしてあげられなくなる」

「満足に遊ばせてあげることもできなくなる」

「娘に寂しい思いをさせるだろう」

「娘に我慢ばかりさせてしまうだろう」

「そんな思いをして娘は二人目の子を望むのだろうか。一人の方が幸せかもしれない」

「きっとまた切迫早産になる。そうしたらもっと娘に辛い思いをさせてしまうだろう」

「旦那さんにも迷惑をかけてしまう」

そんな不安な思いが次々でてきた。

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そして今日旦那さんとテレビでやっていたスクールカーストの話から娘にそういうことがあったらどうするか、相談しやすい家庭とは、娘への対応、接し方について話した。

私は自分に自信がないため、どうしても一般的に正しいと言われていることを頼り過ぎてしまうところがある。

一方旦那さんは一般的に正しいことを念頭に置いた上で自分なりの考えをもって娘と接しているようだった。

そこで思ったことは「娘には旦那さんのようになってほしい(私のようになってほしくない)」だった。

「娘が困ったとき、私はきちんと娘と向き合えるだろうか」

「感情がすぐに出てきてしまう私は適切に娘と関われないかもしれない」

「娘を傷付けてしまうかもしれない」

「私が子育てしていたら娘は不幸になってしまうかもしれない」

「私のやってきたことは娘に悪影響だったかもしれない」

「私のやってきたことは間違ってるかもしれない」

「自信がないこと母親はよくないだろう」

そんな不安が出てきた。

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でもどちらの不安も頭のどこかで、
「私は一人ではない。旦那さんや家族がいれば乗り越えられるだろう」

「娘に辛い思いをさせるかもしれないが、娘は乗り越えていける力があるはずだ」

「きっと私を責める人はいないはずだ」

「完璧な母親なんていない」

「私なりに娘と一生懸命向き合って変わってきたはずだ」

「私が自信がないからといって娘が同じになるとは限らない」

そんな思いがあるにはある。
けどそう信じて突き進む自信がない。
私の考えることよりも、たくさんの人が言ってることの方が正しいはずだと思ってしまう。

でもそんなジブンをさらけ出せて、受け止めてくれる人がいる。

ゆれてゆれて悩んで、自分と向き合って、自分をさらけ出して人に助けを求めてまた自分を知って私なりに前に進もうとするのがワタシなのかもしれない。

そう思えたら自信がなくてゆれてるジブンも人間らしくていいのかもしれないと少し思えた気がした。
もちろん、変えていくべきところもあるはず。
だけど今はゆれているジブンを受け止めたいと思った。

ゆれてゆれまくってるワタシでいいや!

これからもどんどん悩んでゆれてやろう!

とことんネガティブにたくさん悩んでいいんだ!

私が今抱える不安をどう乗り越えていくかはまだ分からないし、自己満足で迷惑かもしれない。
でもとことん悩んで自分と向き合っていこうと思えた。

そんなふうに少し吹っ切れた夜でした。

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