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変化は圧倒的にの話

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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!


解決しない問題、という話を前回させていただきました。

高齢化問題やフェルマーの最終定理など、個人的に解決できない問題があったりなかったりします。高齢化問題は社会的にも解決している問題ではありません。社会的にと言えば、解決しない問題はたくさんあったりなかったりします。しかし、問題が問題だと認識できた瞬間に。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。

解決できる問題だと、どこかのエライ人が言っていたように思います。

解決できない問題は問題にすらならない。なんて理屈です。

人の死をどうにかしよう。なんて問題もいずれは解決するなんて言われています。そんな遠い未来ではなく、近い将来に実現するなんて言われています。

小さなころには、SFの世界だとファンタジーの世界だと思っていた人工知能が、人間に戦いを挑んでくる、駆逐しようとしてくるなんて世界はもはやファンタジーではなく、このまま行けば人工知能はそうなる可能性も現実的に想像が誰しもが想像ができる世界へと現代はなっています。

そんな携帯電話と会話なんて、電話もかけていないのに会話なんてそんなことができるなんて昭和のころには思ってもいませんでした。

テレビ電話なんてモノは、出来るだろうなと思っていたモノでは日常的にもう令和の時代ではつかわれていますからね。

技術的には平成の頃から出来ていましたが、その必要性に便利さに気がつかなかったのか、実用はされていませんでした。

どんな便利なものでも、一度つかってみなくてはその便利さはわからない、想像できないことはたくさんあったりなかったりします。

スマートフォーンが発売された当初はなかなか普及しませんでした。

携帯電話があるし、スマートフォーンはそんないらない。なんて理屈です。

実際、コトは携帯電話、いわゆるガラケーで足りる。ということです。

写真を撮れるし、音楽も聞ける。ゲームだって出来る。ネットにも繋がる。

確かにコトは足りています。今のスマートフォーンと機能だけ見れば、なんら変色はありません。

できることは同じでも、性能がだいぶと違っています。

つまり、写真の美しさや、音楽の入る容量が圧倒的に違った。

ことが、スマートフォーンへと変えていったのだと思ったり思わなかったりします。

今では圧倒的な通信速度が違うなんてこともあったりなかったりします。

しかし、圧倒的に大きくなってしまったことも合わせて言えなくもない。

梅雨に入りそうもない天気なので、このあたりで。


ありがとうございます。

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