諦めることを諦めたの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
諦めてたからできた、という話を前回させていただきました。
諦めることは簡単です。とは言い切れません。とてもとても難しいことかもしれません。諦めたフリをすることで諦めたことにしている人はたくさんいます。時間の制限があるモノならば諦めざる得ませんがそれは諦めたことにはなりません。あの時こうしておけばなんて考えたりします。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
つまりは、時間制限がきても諦めきれていません。二度とはこないあの時を何回もシミュレーションして自分を慰めています。
シミュレーションしないまでも、頭のどこかに片隅にそのことがあるなんて人もたくさんいるのではないでしょうか。それがいい思い出と評されることもありますがいいかわるいかは本人次第です。
それが糧になるかも本人次第です。何も諦めきれない、もしくは、諦めたことを糧にする必要もありませんかれど、そうすることで未来が開けたなんて人もいるかもしれません。
しかし、諦めなかったから、諦められた。という人もいます。確かに自分の全部をだせば、あの時、こうしておけば、あーしておけばなんてシミュレーションすることはありません。こうしたし、あーした。でも思っている結果にはならなかった。青春全部かけたと胸を張れるのかもしれません。
でも、青春全部をかけても、人生全部をかけた人にはかなわないってこともあります。才能とか努力とかそんなことではなく気持ち的ことでしょうか。
それとはまったく別に、「楽しむ」なんてことを目的にしている新たな勢力に諦めさせられたなんてこともあるかもしれません。それを是としない人もたくさんいますから、これまた諦められないことの条件のひとつになるのかもしれません。
高校野球などでは十数年前から楽しもうなんてことを言われてた気もします。楽しむために無理やり笑顔なんかをつくっていたように見える少年がそこに映っていましたが、今は本当に楽しんでいるような顔つきの少年が全国を制したのも記憶に新しい気もしないでもないです。
そんな同世代の少年たちはどう感じているのかはよくわかりませんが、楽しむことを諦めなかったからか、それはよくわかりません。
諦めなかった人たちの思いがそうさせたのかもしれません。
夏はまだまだ諦めていない感じなので、このあたりで。
ありがとうございます。
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