見出し画像

『あなたは痛いと知っている』(第1版, 6100字, 短編小説(私小説?), W014)

*()内は前の単語のルビを表します
*全角アルファベット大文字A~Hは人名を伏せて記号的に表記したもので、その読み方とその方とは関係はありません。

0.Re:Re:

 僕たちが3年生になった4月、学校で僕のトイレに行く回数が増えたけど、それは受験生になってストレスを感じているとか「過活動膀胱」とかそういった病気の類ではないんだ。
 いきなり下ネタかって?
 いや、そういうことじゃなくて――ちょっと恥ずかしいけれど「むかしむかし」の話を聴いてちょうだいよ。おじさんってのはそういうもんでしょ?
 とにかく病気じゃなくて、いや病気といえば病気か。
 要は学年が上がって、僕とあの子とクラスが別になった、いや、つまり、彼女の新しいクラスは4組で、その隣には女子トイレと男子トイレがあるってことで、まあ、つまるところは残念ながら、あまりにもありふれていて、ニンゲンを「盲目に、蒙昧にもする、青春(あおはる)の」――恋の病とかいうヤツに罹ったヤツの話さ。

Ⅰ.”The Catcher in the Coop”
 
 1995年――中学3年生になって午後の授業が初めてあった日の話。
 適当にお昼ごはんを済ませて僕は、3ー4の教室と女子トイレと男子トイレと囃子(ハナシ)と口喧(やかま)しの森を抜けて緑青の階段を背にする購買部にいつも通り行った。
 既にお昼のピークを越えたそこにはパンの姿はおろか人の影もなくて、あるのはカウンターにもたれかかる女子ひとりだけでさ。
「ヒトを余りものみたいに言わないくれる?」
 言ってしまうとそこにいたDさんとは――いや、彼女に関する下らないこと言わないけれど――いつも独りでいて、僕たち2年の頃からそこで喋ってたけど、特になにもなかったな。
 要は彼女はお目当ての彼女じゃなかった。
「……君は知らないだろうけど、昨日のお昼は彼女たちいたよ」
「イエスタデイ?」
 いやおかしい。僕は混乱したよ。だって昨日は入学式だけで、午前中でイエでスタディしたはずだ――あ、はい、下らないダジャレはこれくらいにしとくから。
「なに? センセイ、どういうこと?」
 僕はカウンターの向こうのEさんにやんわりと詰め寄った。
「先生じゃないから」
 センセイ――いや購買のおばちゃんが言うには昨日の新入生向け物販があったんだったそう。
「わたしはAさんBさんと一緒に売り子したよ」
 彼女は意味ありげに付け足す。
「……シェンシェイ! なんで僕も誘ってくれなかったんですか!」
「だから先生じゃないって。だって相沢くんは自転車通学でしょ? 家遠いから悪いと思って」
「残念だったね~」
 少し楽しげにくちびるを尖らせて彼女は言うのさ。
「そいえばあの二人なら、下に行ったよ~」
「そう……」
「行くでしょ?」
「いや――図書室に行く」
 右手に持っていた本(ワケ)を盾にかざしたが、「ふぅ~ん」と彼女は興味なさげに矛をおさめた。
 図書室だって階下(した)にある。
 僕は本(タテ)を振り上げたまま、踊り場の窓の先、光差さない曖昧な藍鼠(あいねず)色の空を眺め――
「――っ!」
 階段を降りるとき、よそ見のせいで階段に足を滑らせ数段踏み外して勢いで左ひじを手すりに打ちつけてしまった。
 振り返れば、勝ち誇る揶揄(からか)いの口角と長いスカートが僕を見下ろしている。
「なに見てんだよ」
 歪む顔を抑えて少しは強がって言ったさ。
「ねぇ、あいたかった?」
「ああ、痛かった」
「そういうダジャレはいいから」
「じゃあ捕まえといてよ」
「だれを?」
 ――好きなの知ってるなら、小さな居場所を分け合う好(よしみ)で協力してくれてもいいんじゃない?――ちょっと彼女の態度を疎ましく鬱陶しく恨めしく思ったね。
「ここに降りていく人みんな?」
「バッカじゃないの?」
 もっともなご意見だね。でもバッカじゃなくてSick(シック)のほうがシックりくる(sink in)んだよね。
 あ、これもダジャレか……。

Ⅱ.In the Bad for M

 僕があの時ワケに使ったその本は、内容の一部が国語の教科書で取り上げられていたんだ。
 載っていた話はこんな感じだった――ドイツの学校に通う日本人の「僕」が怜悧で芯の強い少女「マドンナB」に恋をしているんだけど、この主人公の「僕」にボクは僕を投影してたんだな。
 先生に頼んで引用元の本を入荷してもらったけど、結局、気持ちは通じ合うけど離れ離れになってしまう話でガッカリしたことは憶えてる。
 僕は【セ】の欄ばかりヤケに手垢のついた国語辞典――そんなの調べたところで「セイカイ」も「セカイ」も分からないのに――のある一階の図書室で、さっさと返却処理を済ませて、さっき通り過ぎたばかりの保健室に戻ってきた。
「……」
 部屋の外で中の気配を伺ってみたが、やっぱり誰もいなさそうだ。
 引き戸をすこし引いて目隠しの衝立の向こうを覗いてみたけど、やっぱり思った通り、養護教諭のF先生しかいなかった。
「いらっしゃい、ちょうどよかった――どうぞ」
 先生は自分の向かいの席を示して僕を促す。
「えっ、センセイとセイトの禁断の……」
「あなた少女漫画読みすぎよ。いいから座って」
 どちらかといったら成人漫画の方な気がするけど、隣にベッドもあるここではちょっとリアルすぎるので黙っておいた――えっ? むっつりスケベ? あなた他人の事いえないでしょう?
「今日は姦しい女子の皆さんがいないっすね」
「あなたいつもその輪の中にいるくせにひどい言い様ね」
 保健室にいつも漂っていたオキシドールの匂い、ほんとはあまり好きじゃなかったけど、それも慣れればどうってことなかったさ。
「僕はいつだって人畜無害な傍観者ですよ」
 さっき女子トイレから漏れ聞いた、レモン石鹸にくすんだ泡(あぶく)の噂話よりも、いま保健室の大きな玻璃(がらす)にうつる、中庭を闊歩する男子の一団の白々しい喧噪が僕には居心地の悪いモノだったんだ。
 ただ高きに登りて見下ろしたい猿山には居たくないと、今ならそう言えるのかもしれないけど、当時は今よりずっと言葉を知らなかったからさ、
「でも、どうせうるさいなら『男子(ダンゴ)』より『女子(ハナ)』のほうがいいです」
 そんな感じでテキトウに答えたかな。
「あら、その『花』のなかにわたしも入ってるのかしら?」
「もちろん! 先生は淡い白薔薇、Rose-Marie(ローズ・マリー)ですよ」
 と、大げさな演技をして言う。
「ちょっと大根役者じゃない?」
「ダンゴよりはダイコンでしょう?」
 そんなライムをきかせたことを言ったかは覚えてないけど、その後あきれ顔の先生が言ったことはよく憶えてる。
「――理科のG先生が言っていたんだけど」
「ああ、黒いグリズリー?」
「うちの学校にクマは飼ってませんが……」
「我が校には『養護教諭にして白衣の猛獣使い』の異名をもつ先生《ブラッディ・マリー》がいるんじゃないですか!」
 ため息交じりの先生は言った。
「……そのラノベ譲りの中2病を直したら? 相沢くん、もう中3なんだし」
 ――いや、ちょっと待って。
 当時はまだ「中2病」とか「ラノベ」って言葉は広まってなかったと思うから――
「……ほんと、ファンタジー小説も好きだよね、相沢くん」
「恐縮です」
 こんな感じのほうがセイカクかな?

***

 ま、要するにテディベア――じゃなくてグリズリーのG先生が言うには「相沢くんになんだか元気がない。何かあったのか訊いてみてほしい」んだってさ!
 おおよそ色恋とは縁遠そうな色黒な人外にまで伝わっているかと思うと恥ずかしくて人間失格な気がしてきたんだよ。
「相沢くん、あれでしょ、君って――」
「ええ、まぁ、その――」
「未来から来たんでしょ?」
「はい?」
「未来から過去を改変しに――」
「先生はSF映画が好きなんでしたっけ?」
「いや、相沢くんに合わせてみたのよ」
 場を和ませようとしたのだろう……か?
 まぁそれでもここが彼女と話せる貴重な場で、まぁその主人たる先生(Marie)には正直に話すべきなんだろうと人間(ジンカン)らしく計算したわけさ。
「ちょっと、先月の、3月に――」
 それはホワイトデーの次の日、敢えて当日を避けてお返しのプレゼントを持ってきたはずなのに、クラスのある男子にばれてさ。
 そいつは僕の鞄を漁ってそれを出し、さらしものにしやがったんだよ。あいつは今でも許すつもりはないんだけどね……心が狭いかい?
「ううん。そんなことないわよ」
「……そいつにとってはちょっとからかいのネタを見つけただけだったんでしょうけど、ちょっと彼女に避けられてるみたいで……すいません、三文小説のネタにもならない、ショーもないハナシで」
「他人(ヒト)から見たら『小事』でも、当人には『大事』なことっていっぱいあるわよ」
「ああ、『壁に耳あり、障子にMary(メアリー)』ですね」
「ん?」
「どうして僕の大事な事は筒抜けなんですか? 僕はそんな柔い日本家屋じゃなくて堅牢な砦のつもりなんですが」
「別に面白く言おうとしなくていいのよ相沢くん」
「お言葉ですが先生、顔はダメ、頭と運動は微妙な男子が女子から見つけてもらうには、キャラに合わなくても面白いこと言ってくしかないんですよ」
「でも先生はあなたのその風通しのよさ、武器になると思うわ」
 いや障子に穴空いてたら普通ダメでしょう?
「武器より手助けしてくださいよ……この状況で僕ら3年からクラス、別々になったんですよ。こっちは筒抜けだとしても、向こうが何を考えてるのかこっちにはサッパリ――仲良くなったと思ったら遠ざかって、気まぐれな猫みたい――」
「好きな人のことほど分からないもんよ、シッカリしなさいって」
 ……でも本当は気づいていたんだ。ささいな事件がきっかけじゃない。
「僕なんてタダの通りすがりですから。『一さいは過ぎて行きます』よ」
 単に彼女が別のオトコを気にいったか、好きになったか、あるいは付き合いだしたか、そんなところだろうさ。
「そうやさぐれないの」
 それでもずっと犬のように後ろ付けていくのをやめられない。
「……先生、誰か、分かってますよね?」
 一瞬ためらって、先生は明言を避けつつそれを言い当てた。
「……今日はこっちに来てないけど」
「たぶん職員室でしょうね。まったくあの薄らハゲのどこがいいんだか」
「こら! クマの次はハゲって――」
「ケモノからヒトに昇格したじゃないですか」
「ほんとにああ言えば……ま、バレンタインはもらったんでしょう? じゃあきっと脈はあるわよ。先生、応援してるわ」
 言っとくけど先生に恋の応援をされるのってめっちゃ恥ずかしいからね。
「いえ……じゃあ、教室に戻ります。G先生には『不治の病なので心配には及ばない』とかテキトウにお伝えください」
「ハイハイ。うまく言っておきます」
 軋む年代物のスチール製の椅子がギイと鳴いて、僕は微かに消毒薬薫る部屋をあとにしたんだ。


Ⅲ.青春の陽炎

 保健室を出て階段を上がろうとしたとき、ヒトの気配を感じて右を向くと、
「わ、ビックリした!」
 そこにCさんが立っていた。
「いや、それはこっちのセリフなんだけど……」
 階段下用具入れの前の、球の切れかけて明滅する蛍光灯の下で、決まり悪そうに立っている。
 僕とタッパが変わらない彼女が気持ち小さく縮こまってるようにみえた。
「ごめん、聞こえちゃった」
 状況的に気づいてはいたけど、彼女からそれをあっさり認めた。
「……いいけど、Cちゃんなら」
「あはははは、いや、申し訳ない」
 あまり反省してないよな乾いた笑いとともに彼女は言う。
「まぁ、分かってたけど」
「まぁ、分かってるのを分かってたから」
 なんだかスマートな会話をしているように見えるかもしれないけど、ただ僕が無防備なだけヤツなだけじゃないか?
 階段を上り始めながら、恥ずかしさを隠すためにか僕はたぶんこんなことをぽつりとつぶやいたんだ。
「自分でも無駄なことしてんなとは思うよ」
 笑い合う過去(とき)もあったのに、僕は機会(チャンス)をのがしてしまった。
 それでも僕は気づかない振りを続けたかった……タヌキやキツネだって自分を騙すことはないのにね。
 きっと、好きで居続けたかったんだろう、当時の僕は。
「……きっと、報われると思うよ」
 僕は立ち止まった。その彼女の言葉の行方を追うと、僕の背中を通り過ぎて、彼女の手元に戻っていったようにみえたんだ。
「――それよりこの前、Hくんに呼び出されてさ、あいつなんて言ったと思う? 『俺のCに手を出すな』ですって! 知らねぇよっての」
 僕はなんとなくそれを見ないフリしてしまったけど――
「そっか、Hくん、わたしの名前呼び捨てかぁ」
「こっちが迷惑だから、そっちからスパっと振ってやりなよ」
「その前に告白されてないからなぁ」
 ――何かあったのかしら。ま、こんなこと急に振られてもCちゃんは苦笑するしかないよね……当時のHくんには悪い事したけど、いいよね、脈なかったし。
「それより、保健室に用があったんじゃないの? もうすぐ昼休憩おわるんじゃない?」
「あ、そうだ! アッチ、またね!」
 今にして思えば懐かしいあだ名を言い残して、短いスカートをはためかせながら彼女は保健室のほうに行ってしまった。

***

 そうして僕はまた降りてきた階段を上りだすと、空が白けて雲間から光が差し込んできた――はずなのに、突然の閃光。そして雨が燦燦(さんさん)と窓を叩きつけた。春の淡い光に砕け散った雨水が形を失って滾々(コンコン)と流れ伝う。
 ……こんな天気雨のことをなんて云うんだっけ?
 ふいに痛みを感じて学生服の袖を少したくし上げると、さっき階段で打った肘のあたりが、どどめ色に変わっている。
 痛み以上に痛そうな見た目で、慌ててそれを隠して僕は、左ポケットに忍ばせたポータブルCDプレイヤーでも掛けようと思いつく。
 春休みにようやく手に入れた『Atomic Heart』を再生し、そのブックレットを取り出して目の前にかざす――視界の左半分を救いようのない瑠璃色のジャケットで覆うと、巡る季節を惑わせる「青春」というやつに帳尻が合った気がしたんだ。
 僕はこのミスチルの名盤を武器にまた男子の社会に戻るべく、蔓のようにからまったイヤホンをほどきながら、紫の影を引きずって階段を渡った。


Ⅳ:「ボクより僕を痛いと憶えていてよ」


 月の照らさない今夜、あの日と同じような強い雨がまた燦燦と降りつけている。
 風の吹かない店内は祭りのあとのように静かで時が止まっているかのようだった。
 向かいに座る彼女に視線を戻すと、彼女はテーブルの上でまだ眠ったままだった。
 過去の佇む睫毛と未来を待つ瞼は34年の彼女の月日を感じさせない。
 ボクはそこでようやく思い出す。
「あ、そうか、『狐の嫁入り』か」
 あなたは猫よりも狐に似てるのかもね。
 それって褒めてるのかって?
 もちろん、褒めてるさ……ねぇ、面と向かって交わした最後の言葉って覚えてる? 体育祭のフォークダンスで偶然僕に当たった時にあなたこう言ったんだよ。「なんだ、アッチか」「……ボクで悪かったね」たったこれだけだったよ淋しいもんだと思ったね。
 え、全然覚えてないって? まぁそりゃそうだよね普通。
 細かいことまで覚えてて気持ち悪い?
 せめて「痛いヤツ」って言ってよ。
 雨を避けて席に座るために買ったオールドファッションドーナツは、もう固くなっている。
 痣の残る左腕をポケットに突っこんだまま、ボクはそのドーナツを手に取って右目の前にモノクルのようにかざしてみた。
 その穴の向こうには、あえかに色づく美(うるわ)しの貴女(あなた)と、
 あどけなく幼気(いたいけ)で初心(うぶ)な頃の僕がひび割れた玻璃に反射(うつ)っていた。
「――痛いと覚えてて」

[EOT]

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?