抱える幸せ

時間があるときはよく映画館に行く。幸せを得ることができるからだ。

映画はジャンル問わずなんでも観る。記憶がある中で、一番古い映画館の思い出は子供の頃、家族でジブリ映画を観に行き、特大サイズのポップコーンを弟と二人で一つ買ってくれたのが映画館での思い出。ジブリ映画もとても美しくとても良かった。その映画は大人になった今もよく観ている。

しかし、私の心をもっとも動かしたのは特大サイズのポップコーンだった。普段から、スーパーで販売している超王道メーカーのものをよくおやつに食べていたが、この日の高揚感は忘れられない。

私は普段から甘いものが苦手で塩派なのだが、弟は甘くコーティングされたキャラメル派なので特大サイズのミックスにした。映画館のポップコーンは初めてだ。店員のお姉さんは言った「塩味にバターはおかけいたしますか?」…バター?と袋のポップコーンばかり食べていた私はすぐに答えることが出来ずにいたが、母は「お願いします」と言った。お姉さんは慣れた手つきで大きな空のボックスを手に取り、銀色のスコップで何度も何度もふかふかの山を掬う。すぐにボックスは白と茶色でいっぱいになった。仕上げに、金色の輝く液体をひとかけし、大きなボックスを渡してくれた。近くでよく見ると、たっぷりに入ったポップコーンが目の前がキラキラしている。鼻で息を吸うと甘さと香ばしさ、バターの香りが身体を包み、口の中に唾液がわき、多幸福感でいっぱいになった。

それからというもの、私は映画館のポップコーンの虜だ。

成人を越えた私は未だに、映画館で映画を観ながら大きなカップを抱えて幸せを独り占めするのがたまらない。決まって、味はもちろん「塩」一択。とろりと甘いバターもかけちゃって、メロンソーダで流し込むのがお気に入り。初めは、楽しみにしていた映画が主役でも、気づけば目の前のポップコーンに夢中、とまらない右手。映画開始30分で半分以上空になっているのに気が付くと少し反省する。周りの大人は、食べきれないとか言うので、意味もなくわざとペースを落として我慢をしたりもする。結局は空になっちゃうんだけど。

一時、社会現象になった街で2時間待ちと噂の艶々の甘くコーティングされた高級ポップコーンが流行った時、私がポップコーン好きなのは友人たちに有名で誕生日をポップコーンで祝ってくれたことがある。わざわざ高級なやつを買ってきてくれた。嬉しい気持ちももちろんあるが、私が好きなのは種類が違えば全然違う。その金額で2つぐらい買えてしまうのが好きなのだ。

友人や好きな人と映画館に行ったとき、相手の映画のお供がお茶や無糖のストレートティーだけの時、いつもの私を恥じてとても恥ずかしくなる。そういう時は、空気を読んでストレートで大人を演じることもある。それも、まあまあ良い思い出だ。

会えない、できない、と思うと余計に求めてしまうものだ。しかし、好きなものには記憶や思い出の中には、形や色や香りがある。それを思い出して、むずがゆくなったり、愛しくなったり、口の中を唾液いっぱいになったりして再び来る日常をメロンソーダを飲みながら待つことにしよう。

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