この夜を照らすのは
序文
今回のnoteは好きなもの語りであり、ラブレターであり、お礼状です。
ということで(どういうことで?)早速、私が愛してやまない韓国のアイドル・SEVENTEENへの想いを好きなように好きなだけ書いていきます。
馴れ初め
SEVENTEEN(以下セブチ)は作詞作曲振り付けを自分達で行う13人組の自主制作アイドルです。
彼らとの出会いは今年の7月25日。セブチ好きの友人に
「韓国アイドルのお化粧してる顔好きかもしれない」と漏らしたことで、布教のためのプレゼンが送られてきました。(本当にありがとうございます)
今まで男性アイドルにハマることは愚か、男性芸能人に「かっこいい!」と興奮することすらなく、韓国カルチャー好きでもなかった私が、韓国のアイドルにハマることなんてあるんだろうか…と呑気に構えていましたが、それはそれはもう綺麗にダイブしてしまいました。
なんで急にここまでハマったのか、という理由はよくわかりません。彼らの好きなところならいくらでも話せるけれど、「なぜ今まで見向きもしなかった界隈の沼にハマったのか」という点に関しては比較対象がないので出会いとしか言いようがありません。
ただ、彼らのバラエティ系の動画を見て「言葉わからないけどめちゃくちゃ面白いし楽しそう!なんか見てると笑顔になっちゃう!」とのこのこセブチの領域に入っていき、パフォーマンスでのカリスマ性とのギャップに悩殺されて以降ぶっ壊れてしまったことは確かです。
彼らを知った日付を書いた時点でわかりますが、私はセブチを知ってからまだ1ヶ月半くらいしか経っていません。彼らはもうとっくに世界中で売れているスターアイドルですし、言うなれば今の私は完全に“にわか”です。
好きになってからの時間や課金した金額、知識量が「好き」の尺度にはならない。そうは思っていても言語も文化も異なる彼らのことをもっともっと知りたいと追いかける時、古参ファンの方々との間に絶対的に埋められない時間や知識があることを痛感し、日々悔しい思いをしています。
ただ、想いが溢れて自分の中に留めておけなくなったので徒然なるままに好きを表現することにしました。もう自分でも訳がわかりませんが、いざ。
目を背けたくなるほどの奇跡
SEVENTEENを誇らしく思う理由は、「自主制作」というタイトルじゃないんだ。僕たちの仲がいいことが最も誇らしく思う。
統括リーダーのエスクプスもこう言っていましたが、セブチの魅力はなんと言っても13人という大所帯でありながら本当に全員の仲が良いところです。これはもう奇跡と呼びたいくらい。
これだけ歌にもダンスにもストイックで目立つのが好きな少年が13人で共同生活をしていればギクシャクするのが普通じゃないかと思うのですが、見事に13人全員が互いに思いやり、互いを尊重しているのです。
ただ優しいから喧嘩をしないわけじゃない。ただ馴れ合ってるあわけでもない。時にぶつかり、時に叱り合い、時に苛つき、互いに互いの人生の一端を担っているという責任に耐え、やめたいと思う日を超え…それでも悩みなんて一つもないかのように仲良く笑っている。互いが愛おしくて仕方ないという顔をしている。
自分<チームという意識がものすごく強いように感じます。共通の大きな目標を「チームで」達成しようという意識が強いから、「個」を尊重できるのではないかと…。
一人ひとりの責任感が強く、それぞれが「自主制作」であるが故に大き過ぎる重圧を他の人の分まで背負おうとする。そのくせ自分の苦労は抱え込んで見せまいと笑顔でいる。
そんな哀しいくらの優しさを持った人しかいないことをそれぞれがちゃんと分かっているから、互いに思いやり、見守って、ステージを降りれば少年のように笑いあっているんだと思います。
チームでの信頼とはこういうものかと、そもそもそんなものが本当にあったのかと、驚かされます。
同世代の人間として、見習いたいところばかりです。
…なーんて当の私は綺麗事ばかりなわけでなく。
正直彼らを見ていて自分が恥ずかしくなりました。
15歳そこらで宿舎での共同生活を始めた少年達が、チームとしての目標に邁進して互いの個性・違いを尊重することができているのです。
1番多くの時間を共に過ごす友達であり、仕事のパートナーでもある彼ら。その関係の両立は容易なことではないと思います。しかも「付かず離れず」なんてものではなくビチビチに密着している中で、それでも互いを思いやり良い関係を保ち続けるバランス感覚には正直歌やダンスのスキル以上に畏敬の念を覚えます。ほんとに、ちょっと怖いです。
ほぼ自分と同い年であるにも関わらず、人としてあまりにもしっかりと立っている。しかもそんな人達が13人。正直信じられない。
ひねくれている私はその事実をにわかには受け入れ難く、そしてそんな自分がとても恥ずかしく、ただただ彼らの眩しさに目を細めるばかりでした。
もちろん彼らの実情は違うかもしれません。綺麗なところを見せているだけかも。いや、でも、彼らの姿を、言葉を、パフォーマンスを…
見れば見るほどその関係は「本物」に思えてならないのです。
「幸せ」を受け止める強さ
本当に良い友達が3人いるだけでも人生大成功なのに、僕にはもう12人もいる
ジョンハンさんが言っていた言葉です。
これを聞いた時、ああ。本当に敵わないなあ…と思いました。
友達の数じゃなく、今自分の手元にある「幸せ」を120%まっすぐ受け止めることのできる強さに。
「自分の得てきたものは全て自分の努力によるものだ」と、そう言い切っても許されるくらいの道のりを歩んできたはずなのに、彼らはいつも「自分は恵まれている、不思議なほど幸せだ」と言うのです。
自分が誰かの幸せになれるなんて、
一体前世でどれだけのことをしてこんなありがたい人生を送れているんだろう
持論ですが、人は自分のしてきた努力の量が多ければ多いほど、
そして明確な正解が提示されていない環境であるほど、
自分の努力を成果の理由に結びつけて、脆く崩れやすい「自信」を守りたくなるんじゃないかと考えています。
自分で選んだとはいえ、アイドルになるために犠牲にしてきたものも多いはずですから、その分が今報われているんだと、そういう意味付けをしたっていいじゃないかと思うのですが…。
でも彼らは自分たちの努力に誇りを持ちつつも、努力だけではどうにも得られないものの存在もよく分かっていて、受け入れている。
だからしつこいくらい「幸せです、ありがとう」と言えてしまう。
私からすればそんな在り方は、身を守る物を何も身につけず、その身一つでいつ乱れるか分からない幸福という大海に身を委ねているようなものです。
だから彼らが「CARAT(セブチのファンのこと)いつもありがとう。この13人で活動できることが本当に幸せです。」と何度も何度も繰り返し言う姿を見るたびに、ああ、強いなあ…と涙腺が緩んでしまう。
頑固ヲタクを解きほぐす
余談ですが私は推しに対するスタンスとして、ただ憧れ賛賞するだけの姿勢でいるのは好きじゃないです。
「すごい才能を持った彼らと平凡な私」と線を引いてしまうのが嫌というか…なんだか上手く言えないけれど、悔しさを感じることもなくただ羨望の眼差しで推しを見ている時、そういう時に一番相手を「消費」してしまっているような気分の悪さを感じます。
でも彼らの姿を目の当たりにする時、悔しさや嫉妬や闘争心のような煮える感情は一切なく、ただただ美しいなという凪いだ思いが浮かんできます。
「なんであの人たちにできて私にできないんだ」ではなく、素直に見習おう、頑張ろうと思えてしまいます。
セブチにはそんな凝り固まった心をほぐす力があるようです。
誰かの前で泣きたいと思っても「私なんかが泣いていいのか」「迷惑をかけやしないか」と涙腺が締まる私の心も、セブチの歌を聴くと解きほぐされます。
聴くと泣いてしまう、というよりむしろ辛い時に頼りたくて聴きに行く、と言う感じです。完全に甘えています。私と同じように甘えるのがヘタクソな方でも、きっと彼らにはちょっと甘え始めてしまうと思います。
会ったことも話したこともないけれど、いつも私の愚痴を聞いてくれて、全部吐き出させてくれてありがとう。
家族にも友人にも恋人にも弱音を吐けなくて、まあそれでもいいやと思ってきたけれど、甘えることの心地よさを知りはじめてしまった。
いつか好きじゃなくなっても
話は変わりますが、私が何かに熱烈にハマる時というのは大抵何か大きなストレスを抱えている時です。
受験期、就職活動のとき、教育実習のとき…そして今は新入社員として慣れない環境に日々押しつぶされそうになっています。
辛い時に好きで楽しめるものがあるというのは本当に救いになりますが、私は今までその後の感情の逆流に悩まされてきました。
ストレスから解放された後、当時大好きだったものを見ると逆にその時のストレスを思い出して辛くなり、段々それを見ることすらできなくなってしまうんです。あんなに大好きだったのに、あんなに救ってもらっていたのに、目を背けてしまう。
それが好きになった人やモノ達に対してとても後ろめたく、本当に残念で、哀しかった。
なのでセブチにハマり始めた当初は、今回もまた同じ様にこのストレスから解放されたら、セブチを見るだけで辛くなってしまい、見ないようにしてしまうんじゃないかという不安がありました。こんなに大好きで救われているのに、ハマればハマるほどセブチと苦しい時の記憶とが強固に結びついてしまうんじゃないかと。
好きで好きで仕方なくて購入したCDや、グッズや、雑誌、韓国語のテキストなど…そう言ったものを見るだけで苦しくなってしまう時が来るんじゃないかと。
しかし今は、もしそんな時が来ても、もし好きな気持ちがなくなってしまったとしても、こうして私がセブチを大好きだった証が物として遺ってくれるのは幸せかもしれないと思えます。
別に好きじゃなくなったら無理して見る必要はないし、グッズやCDを押し入れにしまっても良い。でも確かにそこにセブチを好きだった気持ちが物として遺っていて、確実に私の生活空間の中で一定のスペースを占めてくれるということが嬉しくて頼もしくて温かい気持ちになります…
…ちょっとおかしいかもしれない。狂ってるかも。でもそう思えるのは間違いなく推しが彼らだからです。
筋金入りのネガティブである私がこんなにポジティブな考えを持てたんだから、好きじゃなくなるかもしれない未来も全部ひっくるめて、恐れず彼らを愛そうと思います。
本当は一生大好きだよと言えればいいけれど、一方的とはいえ今それを言い切ってしまうのが私の中で誠実とは思えないので、これが今の私にできる精一杯の愛の宣言です。
異国の言葉で愛を伝えるには
突然ですが私は日本語がすごく好きです。日本語が好きで国語の教員免許と日本語教育資格取ったくらい。
文化・音声・文法・経験などさまざまな要因から言葉を選び、そして受け取ることが楽しいのです。
特に愛情表現なんて雰囲気的な部分が大切なのだから、20年以上培ってきた言語の感覚をフルに活用したい。そんな私だから、外国語での愛情表現が必要な恋愛はまずしないだろうな、と思っていました。(してないですが)
しかしこちらについても何やら狂った自分が顔を出しました。
「20年以上かけて身につけてきた言語を脱ぎ捨てて、愛を伝えるためだけに0からまた言語表現を培っていくのもなんて素敵なんだろう」と。
これはもう凡そ恋ですね、なんでもかんでも相手の元へ向かうためのエネルギーに変換できてしまう。
ありがとうセブチ。
人を好きになるということは、
あなたたちを好きでいることは、
こんなにも楽しいですよ。
いつか直接想いを伝えられる機会をえられたら、あなた達の国の言葉で、自分でも納得できるような愛情表現をできるように今から勉強しておきます。
この夜を照らすのは
最後にガラッと雰囲気が変わりますがここからは本当に懸想文です。
ここ10年くらい、私はずっと夜を歩き続けてきました。特別不幸だと言いたいわけじゃない。ただ夜が明けないのです。嬉しいときも悲しい時も楽しい時も、ただただずっと夜なのです。
しかし今、星灯を見つけました。
あんなに眩く輝いているのに、どうしてか昼より夜が似合う。
どうしてか微かに哀しさの香りがする。
一度見つけてしまったらもう目を逸せなくて、
でも見つめていると何かが込み上げて泣けてくる…そんな星。
どうかどうか
美味しいものたくさん食べて
気持ち良い分だけ寝て
お腹が痛くなるほど笑って
泣きたい時は泣いて
ダメになったらちょっと止まって
誰よりも愛されて
困っちゃうくらい愛されて
そして、あなた達の望む道を
あなた達が納得できる形で歩んでいけますように。
できればあなた達のその美しい姿を、少しでも長く見ていられますように。
この夜を照らすのは
この夜に光を見せてくれたのは
他でもないあなたたちです。
ああ、なんで私の声はあなた達に届かないんだろう
わかっちゃいるけど、届くようなこともしていないけれど、
いや、でもなんで、なんで私1人じゃあなたたちを照らせないんだろう…
やっぱり、私は夜だ
でも夜だから
あなたたちがこんなにも美しい。
SEVENTEEN 사랑해.
나의 밤을 비추는 것은 당신들입니다.