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君のことばに救われた

 初めて「お題」を出発点とするnoteを書きます。

 言葉に救われた経験は沢山あって、中にはそれがなければ今ここに私はいないんじゃないかと思うものさえあります。本や雑誌の一部だったり、歌詞だったり、SNSの誰かの言葉だったり…。

さて、どれを取り上げて書こうか…と考えた時に頭に真っ先に浮かんだのは、サークルの後輩から貰った手紙でした。

 他の誰でもない、私のためだけに紡がれた言葉。そして格好悪いけれど、何度も何度も泣きながら縋りついていたいた言葉です。


 少しだけ背景をお話しします。その差出人は一つ年下の女の子で、サークルの運営学年を終えた節目のお礼のために手紙を渡してくれました。

 どんな団体の運営でも苦労しないなんてことは無いと思います。しかしそれを差し引いても「なんでこの子はこんなに苦労しなきゃいけないんだ…」と思ってしまうくらい、彼女は人間関係で苦労していました。

 素直で、真っ直ぐで、少し脆くて、とても不器用な彼女。私もどうしようも無く不器用だから、どこかで自分を重ねていたのでしょう。たくさんお節介を焼いてしまいました。

 だけど相談に乗るたび、アドバイスをするたび、とても不安でした。

 似ている面があるからこそ、自分のコンプレックスや後悔を投影してしまっているんじゃないか。切羽詰まっている後輩に頼られて悦に浸っているんじゃないか。私は「相手のための言葉」じゃなく「自分のための言葉」を話しているんじゃないか…

 正直今考えても、この不安は大方当たっていたような気がします。

 それでも彼女は手紙でこう言ってくれていました。

 秕さんは、私が辛くなりかけると、どこからともなく察知して、ご飯に誘ってくれて…いつも申し訳なくなるくらい感情移入して、話を聞いて下さりました。(中略)人として、とてもとても尊敬していて、憧れるところもものすごくたくさんあって、こんなにも気にかけてもらえた私は、実は超ラッキーガールかもしれません。(笑)

 別にこう言ってもらえたからといって、自分のやってきたことが間違ってなかったとは思いません。私は褒め言葉を素直に受け取るのが本当に苦手です。

 ただ、あれだけ苦労した彼女の経験に「ラッキー」と思えるような何かを添えられたのなら、私は彼女の相談に乗ることから逃げなくてよかったと思います。

 この手紙をもらった時、私はといえば就活真っ只中で、以前「就活断腸回想記」というnoteにも書いたように自分の歪みと社会との狭間で苦しみ喘いでいました。そんな私のために彼女は「気持ちの支えになると嬉しいです」と、就活お守りを添えてくれていました。

そして、手紙の終わりにはこう書かれていました。


秕さんが、素晴らしすぎる人間であると、ちゃんと世間に気づいてもらえたらいいな、と思います。


この言葉に、救われた。

 それまでの私が、どうしても自分の手では持っていられなかった「自信」というものを、彼女が目に見える形にして私に手渡してくれたのです。

 何故この子は、私という人間の価値をこんなにも真っ直ぐに信じていてくれたのでしょうか。彼女は意識してないだろうけど、まるで私が認められなかったらそれは世間が悪いかのような、私の価値があまりにも当然視された表現で、思わず笑ってしまいました。笑っていたはずが、気づいたら泣いていました。

 就活用お守りも勿論嬉しかったけれど、私にとっては彼女の手紙が一番のお守りでした。

 履歴書を書く時、面接に向かう前、お祈りメールが届いた日の夜…何度も何度も手紙を読んでは救われました。彼女の手紙があったから、私はまた次の日も部屋を出て、自分と世間とに向き合うことができたのです。

 彼女本人にはもうお礼の手紙を書いたけれど、このお題を見たら改めて書かずにはいられなかった。うまく言えないけれど、こんなにもひとつの言葉に「点」ではなく「面」で支えられたと感じたことはなかった。

 彼女とのそれまで過ごした日々、手紙に書かれたすべての言葉、それらが結晶となった終わりの二行。きっとこの先何度も読み返す。

私は、君のことばに救われた。


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