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今度こそあの日の願いを
1年前の5月11日。
飲み会の空気とアルコールに浮かれている中、携帯に目をやるとLINEの通知が届いていました。
何の気なしに本文を開いた途端、頭で内容を理解するよりも先に短い叫び声と大量の涙が零れていました。
それは大好きだったサークルの先輩の訃報でした。
彼は4歳年上の男性で、誰よりもしなやかで美しくバレーをする人であり、皆を笑顔にする天才でした。一人でサークルに行っても独りにならないように、気がつくと横にきて話しかけてくれる…そんな先輩のつくり出すあたたかい雰囲気に惹かれてそのサークルへの加入を決めたし、卒業に近づいた今でも1番目標としている人です。
亡くなる1年ほど前から先輩はサークルに顔を出さなくなり、しばらくしてから末期ガンを患っていたことを聞かされました。
見るたびやつれていく先輩でしたが、クリスマスの日にはサンタの仮装をして体育館にうまい棒を配りに来てくれました。「運動中にうまい棒なんて!」とツッコミながらも、先輩の顔を見れたことが嬉しくてたまりませんでした。
その時「君には特別にこれをあげようね」と渡されたのが、写真に写っているめんつゆです。
チョイスはめちゃくちゃだったけれど、本当に嬉しくて大事に大事に持ち帰りました。
そんな先輩が卒業してすぐ、サークルのグループLINEで初めて彼自身の言葉でガンについて話しました。いつものように小ボケを挟みながら始まる文章、我々後輩に対する感謝の言葉…その中にこんな言葉がありました。
これからもこのサークルのことは一生忘れないから、出来れば少しだけでも僕のことを覚えていてくれると嬉しいです。
“何を言ってるんですか、忘れるわけないじゃないですか。忘れられるはずがないじゃないですか。”
そう思いながら先輩の個別LINEに感謝の気持ちをブワアっと打ち込みました。
先輩本人はもちろん、先輩が作ってくれたサークルの雰囲気が大好きだということ、先輩のスパイクのフォームが綺麗すぎて見惚れてたせいで顔面レシーブをしてしまったこと、
そして、たぶん本当に、先輩のことは一生忘れないと言うこと…
そんな私の思いを受け止めてくれた先輩からの返信は、こう締めくくられていました。
いつもあなたが笑顔でいてくれるおかげで皆も自然と笑顔になってるんだなーって感じる場面がたくさんあった。本当にありがとう。また連絡くれると嬉しいです。
言えてよかった。勇気を出してよかった。またしばらくしたら用を作って連絡しよう。
そう思っていたけれど、ついに「また」連絡することは叶いませんでした。このLINEの二ヶ月後に先輩は亡くなったのです。その気になればいくらでもLINEをするチャンスはあったのに、そんな簡単なことすらできなかった。
先輩の訃報を受け、真っ先に後悔と申し訳なさが込み上げました。沢山の思い出と共に「また連絡くれると嬉しいです。」という言葉が何度も何度も脳裏を過って、半月ほどは、1人になった瞬間に涙が止まらなくなる状態でした。あんなに泣いたのは生まれて初めてで、自分が自分じゃないみたいで焦りました。
「このサークルのことは一生忘れないから」
今となっては、この“一生”という言葉があまりにも重かった。
「出来れば少しだけでも僕のことを覚えていてくれると嬉しいです。」
“少しだけでも”という遠慮に映し出された、先輩の切実な願い。せめてこの願いにだけは、応えたいと思った。「本当」にしたいと思った。
先輩、私は毎日新しい“今日”を生きています。先輩のことを思い出すのは月に何度も無いかもしれません。
それでもこの文章を書いてあなたを思い出せば涙が止まらないし、サークルでの振る舞いに悩むときはいつも記憶の中の先輩に問うのです。「私のやっていることは、間違っていないでしょうか」と。
今回このnoteを書いたのは、私なりの手を合わせる場所、つまり先輩のお墓を作るためです。先輩の本物のお墓に参ることはなかなか出来ないから、誠に勝手ながら、あなたを偲びたい時にはここに来ようと思います。花を手向ける代わりに、思いと言葉を手向けるつもりです。
「出来れば少しだけでも僕のことを覚えていてくれると嬉しいです。」
先輩、あなたが人生の3分の1を過ごした仙台は今雨が降りしきっています。私はあと半年で卒業してしまうけれど、あなたに恥じない人間で在りたくて、後輩に何を残せるか考えています。
先輩、残念なことに私は未だにバレーが下手くそで後輩に笑われてしまっています。
先輩、あなたはもういないのに、あなたのLINEアカウントはまだあるんですよ。なんだか変ですね。
先輩、私は人としてあなたのことをこの上なく尊敬していたし、本当に大好きでした。
忘れていないです、忘れられません。
「また」連絡することはできなかったけれど、
今度こそ、あの日のあなたの願いを…
また来ますね。どうかお元気で。
2022.05.10
あなたに2度と会えなくなったあの日から、もう4年が経とうとしています。そしてとうとう、私はあなたの年齢を追い越してしまいました。
今のところ毎年5月の11日にはこのnoteをネットの海に放流しているけれど、今年は少し思うところがあってここにきました。
先日、私は物心がついてから初めての結婚式に参加しました。花嫁は本当に綺麗で、花婿の優しい眼差しも素敵で、その空間全てが愛でできていて…あんなに完璧な式はこの先もなかなか見れないんじゃないかと思うほど感動して、もしあなたに見られたならゲラゲラ笑われただろうなというくらいボロ泣きしてしまいました。
途中、花嫁と花婿のそれまでの人生を振り返るショートムービーが流れました。
むちむちの小さな頃から少しずつ大きくなり、2人が出逢い、幸せそうな記念写真が次々とこちらに笑いかける
…あれ、なんか見覚えがあるな、なんだっけ…
あなたのお通夜でした。
あなたのお通夜で流れた、あの動画です。あなたが6年、人生の4分の1を共にした彼女さんとの記念写真で締め括られたあの動画です。
本当なら、あの動画はこんなふうに祝福の場で流されるはずだったんだろうなと、そう思った途端なんだかとても苦しくなりました。
結婚こそ叶わなかったけれど、お通夜も親族席で参加して気丈に振る舞っていた彼女さん。ありがとうと呟いてそっと棺に入れた、あの手紙の不自然なくらいの小ささを私は今でも忘れることができません。
ゆっけさん。
私はずっと悔しかった。
あなたほどの素晴らしいひとがたったの24年でこの世を去らなければならなかったこと。
あなたの背中にはもっともっと先の未来への希望が見えていたこと。
あなたの最期が近づいていると分かっていながら連絡をしなかったこと。
そんな私が、あなたより長く生きてしまうこと。
「ゆっけさん」と呼べる場がなくなっていくこと。
私の人生の中で、いつか5月11日が埋もれていくであろうこと。
悔しい。悔しい。
現に私は今回、このnoteを再掲するか悩んでしまいました。いつまでも過去に囚われてはいけないのではないか、こんなものは自己満じゃないか、私の想いはきちんとそこに載っているのか…
この迷い自体が、私の中であなたが薄れていっている証じゃないですか。
だって最初にこのnoteを書いたときの私は、書くべきかどうかなんて迷わなかった。そこには大義も理由も必要なかった。
悔しいなあ…
ゆっけさん。
あなたは私がこんなnoteを書くことなんて望んでいないかもしれないし、そもそも語りかけている「ゆっけさん」はもう私の中にしかいないけれど、
出来れば少しだけでも僕のことを覚えていてくれると嬉しいです。
このnoteを見続ける限り、あなたが遺したこの言葉だけは叶えることができます。
そしてSeventeenに関係ないのにSeventeenのアカウントに流してしまって読者の方には申し訳ないけれど、ひとりでも多くの人に読んでもらえれば、ひとりでも多くの人にゆっけさんを知ってもらうことができるんです。
ふとした瞬間、吐き気を催してしまうくらいのエゴだけれど、少なくとも今年の私はやっぱりこの方法であなたを偲びたいと思っています。
ゆっけさん。ゆっけさん。
ああ、久しぶりに名前を呼べました。
とおくとおく、ずっととおくで
どうかお元気で。
秕
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