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保育園行かない[私小説/ショートショート]

 「保育園行かない!」
 その朝、娘は拒否を貫いた。
 新型ウイルス流行に伴い、育休中で自宅保育が可能であったことから、娘は保育園への登園を自粛していた。
「娘ちゃん、行かないもーん」
感染を防ぐため外出もろくにできず、家の中でママとべったり過ごすこと、かれこれ三ヶ月以上。
「ママとお家にいるもーん」
世間はすっかり自粛緩和ムードとなり、娘の保育園も外部講師を招いたレッスンの時間だけは、登園しても良いこととなっていた。
「ママとあしょぶもーん」
しかしながら、娘は家にいたいという気持ちを、幾重にも重ねて伝えてくる。
「娘ちゃん、英語好き?」
まだ三歳前の娘は特段英語の学習などしてはいないが、英語への興味はたんまりとある。
「英語しゅき」
よし。
「英語のレッスンだって!」
「れっしゅんきらぁい」
実は先日一度だけ登園したものの、久方ぶりの保育園に緊張した上、レッスン中のいつもと異なる雰囲気に負けて、泣いてしまったのだ。それが娘の中で苦い記憶になってしまっているのかもしれない。
「ABCだよ?好きでしょ?」
「ABCDEFG好き」
娘はアルファベットのことをABCDEFGと言う。
「それのレッスンだって」
「れっしゅんきらぁい」
レッスンがNGワードなのかもしれない。
「友達ちゃんいるよ?大好きな友達ちゃん」
友達の名前を出して誘ってみる。
「友達ちゃん大しゅき」
よし。
「友達ちゃん会いたい?」
「会いたい」
食いついてきた。
「先生好き?」
「しぇんしぇい、しゅきじゃない」
失敗した。
「えっ?好きじゃないの?〇〇先生だよ」
「〇〇しぇんしぇい、しゅき。××しぇんしぇい、しゅきじゃない」
先生によってということか。先生の話はあまり効果を期待できなさそうだ。友達の話に戻そう。
「友達ちゃんと遊びたい?」
「遊びたい」
再び食いついてきた。釣れるか?
「保育園行けば友達ちゃんと遊べるよ?」
「保育園行かない!」
振り出しに戻ってしまった。とは言っても、現在は六月中旬。七月からは再び以前のように登園する予定だが、今月は行かなくてもさほど問題は無いので、無理強いする必要も無いだろう。ただ、このままの状態で七月を迎えるのは危険だ。
「じゃあ今月は保育園お休みしよっか」
「うん、おやしゅみしゅる」
そんなにママと一緒が好きなのかと思うと、嬉しい返答でもある。
「けど、まだ何日も先だけど、全然すぐじゃないけど、七月になったら保育園行くんだよ」
心の準備ができるように、今の内から話しておく。
「やぁだぁ、行かないもーん」
「息子くんも一緒に行くよ、同じだよ、お揃いだね」
一歳前の息子と一緒、同じ、お揃いが大好きな娘は、しょっちゅうこの言葉に乗せられる。野菜を食べたくないと言った時、息子も同じ野菜を食べていると伝えると喜んで食べる。着替えたくないと言った時、息子と同じ柄のズボンを用意すると喜んで着替える。息子の保育園が決まった時、同じ園に一緒に通えると伝えた時も喜んでいた。この誘いなら乗ってくるはず!私は確信していた。
「息子くんは保育園、娘ちゃんはママとお家なの」
敢え無く撃沈。それほどまでにママが好きということか。そうだよなぁ、まだ三歳前だもんなぁ、ママ大好きだよなぁ。
「七月からはレッスンたまーにだよ、ほとんどしないよ。友達ちゃんと遊べるよ」
「んー……」
何やら難しい顔をして唸り始めてしまった。考えているのか拗ねているのかよくわからない。しかしここで拒否しないということは、やはりレッスンがネックだったのだろうか。何はともあれ、この会話を続けても、娘の登園拒否が一層確固たるものになってしまう可能性もある。そろそろ終了としよう。
「また七月が近づいた時にお話するね」
「ふーんだ」
そっぽを向いてしまった。ぷくぷくの頬を、よりぷくぷくと膨らませている。そんな仕草さえもかわいい。親ばかである。

 「保育園行きましゅよー」
 その夕方、娘が誘う声がした。
「メルー、起きてー!保育園行くのよー」
私は驚愕した。自身はあれだけ頑として拒否した保育園登園を、彼女の娘役であるところのお世話人形メルちゃんに強いると言うのか。
「メルー?お返事はー?」
どうやら私にメルちゃん役をして欲しいようだ。
〈やだー保育園行かなーい〉
今朝のこともあり、少しばかりの悪戯心を持って、メルちゃんにも反抗させてみた。娘はどんな返事をするのだろう。
「ママお仕事だから、保育園行くのよ」
どうやらメルちゃんには登園拒否をさせたくないらしい。
〈メルちゃん、行かないもーん〉
せっかくなので娘と同じ言葉で反抗してみる。
「保育園行くのよ」
小さなママは冷静に伝える。
〈ママとお家にいるもーん〉
「ママはお仕事だからお家にいないのよ」
小さなママは諭すように伝える。
〈ママと遊ぶもーん〉
「ママはお仕事だからあしょべないのよ」
小さなママはこれまた頑なだ。どうしても仕事へ行くらしい。一体どんな職に就いているのかはわからない。
〈やだもーん〉
少しばかりの沈黙。何やら考えたらしい小さなママが口を開いた。
「今日は英語のれっしゅんよ」
今朝のことを思い出す。まさか……。
〈レッスン嫌ーい〉
「お友達しゅきでしょ?」
やはり……。
〈お友達好き〉
「保育園行けばお友達とあしょべるわよ?」
小さなママは今朝の私の言葉を使っている。
〈保育園行かない!〉
あれだけ自身が拒否した言葉たちを、小さなママの方から投げかけてくる。にも関わらず、
「保育園行くのよ!」
小さなママはメルちゃんが拒否することを許さない。今朝の娘自身に対しても、その気持ちを持って欲しかった。
〈やだぁ、ママと離れたくないのーママ大好きなのー〉
その言葉を受けて、小さなママがメルちゃんを抱きかかえる。
「大丈夫よ、よしよし」
頭を撫でてやっている。
〈ママ、ありがとう。このまま離れたくないわ〉
小さなママはにっこり笑顔で口を開く。
「保育園行くわよ」
強制連行であった。そのまま連れて行ってしまった。
「保育園行けば楽しいわよ。お友達とあしょぶの楽しいわよ。みんなでおやつも楽しいわよ。ブロックあしょびも楽しいわよ。ママも保育園大しゅきよ」
小さなママは保育園の楽しいところをつらつらとメルちゃんに語り始めた。メルちゃん、もとい、私は言葉を失った。もしかして、今朝も連れて行って良かったのか……?いやしかし、本当にそうしたならば、今朝の様子からして娘は間違いなく大泣きだっただろう。やはり今月いっぱいは、七月から登園することを徐々に言含めて行くのが最善だ。
 それにしても、子供とは一体何を考えているのか、はたまた何も考えていないのか。あれだけ拒否したことを、こんなにも容易く娘役のメルちゃんに強行するとは。私は複雑な気持ちを抱きながら、静かに正面を眺めていた。その視線の先には、トランポリンの上に横たわった状態で放置されている、裸のままのメルちゃんがいた。

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