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平日朝、中央線通勤特快と便意と新宿駅と私[私小説/短編]

 私は悟った。私に足りないものはきっと感謝であると。これからは感謝を欠かさず生きよう。この世の全ての人に感謝を、そしてそれを気づかせてくれた私の消化器官に感謝を――。

 狭いワンルームに置かれたシングルベッドの上、あまりの暑苦しさに私は目覚めた。時計を見ると時刻は六時五十五分であった。六時……五十五分?私は知っていた。会社に遅刻せずに済むには、立川駅を七時十九分に発つ通勤特快電車に乗るのが最終手段であると、そしてその駅のホームまでは徒歩で十五分かかると。よって私はあと九分で支度してこの家を出なければならない。寝坊だ。私は寝坊したのだ。兎にも角にもどうにかしなければならない。ひとまず歯を磨き、水で顔を洗う。クローゼットから適当な服をささっと取って着る。キャミソールの上から半袖のブラウスを着て、スキニーパンツを履き裾を折り返してクロップド丈にする。ファンデージョン代わりのクリームを塗り、眉毛を書き、色つきリップを塗る。あとはカバンの中のハンカチを取り替え、充電していた携帯電話をしまう。私は履き古して少しボロボロになりつつあるローヒールの靴を履いた。いざ行かん。玄関扉を開けると真夏の蒸し暑い空気が部屋の中に飛び込んできた。時刻は七時四分であった。残り十五分。一秒たりとも無駄にはできない。

 髪を梳かし忘れた私は、マンションのエレベーターの中、手ぐしでささっと髪型を整えた。その後エレベーターから降りてマンションを出る。一瞬でも遅れを取れば電車に乗れない。それはすなわち会社に遅刻することと同義だ。一歩も気を抜けない。私は全神経を両足に集中した。全ての歩みを大股で行く。出来うる限り素早く歩く。走ってはならない。下手に走ると結局後々体力が足りなくなり、結果的には遅れてしまう可能性があるからだ。夏の日照りは朝でも強い。私はおもむろに鞄から日傘を取り出して、それを開いて応戦することにした。その間も歩みは止めない。同時に汗も止まらない。化粧は会社の化粧室でした方が良かったかもしれない。と後悔していると、向こうに信号が見えてきた。あの横断歩道を越えれば間も無く駅である。私はここで無心となった。思考をも止めることで本当に全てのエネルギーを歩くことに使うのだ。こうしてどうにか駅建物近くまでやってきた。ようやく駅の改札階へと向かうエスカレーターに乗り込み、そこで足を止めて小休止することとした。その間、私はあまりにもしたたる汗を拭おうと、鞄からタオルを……無い。タオルが無い。入れ忘れた。思い返せば、使用済みハンカチと共にタオルを取り出した記憶がある。しかし、その直後入れたものはハンカチのみ。タオルは入れ忘れた。仕方なく私は小さなハンカチである程度の汗を拭うこととした。だめだ、拭い切れない。私はいつも汗を拭った後、長袖のカーディガンを羽織ってから電車に乗り込むのだが、もう少し汗が引くまでカーディガンは羽織れそうに無い。そうこう考えている内に、エスカレーターの終着点に着いた。私は急いで改札を抜け、駅ホームへ続く階段を下る。それと同時に電車もやってきた。私の最後の頼みの綱である通勤特快電車だ。間に合った。私は落ち着きを取り戻しながら、いつも乗車する車両に乗るため、目的の乗車位置へと向かった。既に何人も並んでいる列の最後尾につく。しかし汗はまだ引かない。このままカーディガンを羽織るか?そうしたらカーディガンまで濡れてしまう。それは悪手である。布地に染み込むことで一層汗が乾きづらくなるからだ。しかし羽織らないと……。

 電車が停車位置に着き停車した。扉が開く。僅か三人ほどの人が降りてきた。そして何人もの人々が乗る。私は最後尾でその様子を見ていた。私を除く全ての人が乗車した。最後尾であった私が乗る番だ。その瞬間、私は躊躇った。カーディガンを羽織らずに電車に乗るのはまずいのではないかと。いやしかし、この通勤特快電車を逃したら私は会社に遅刻してしまう。いや、次の快速電車でも、ギリギリ、もしかしたら遅刻しないかもしれない。しかし、その場合は駅から会社まで走る必要がある。無理だろう、さすがに。この真夏の最中、会社に入る直前に走ったら、あまりに汗をかきすぎる。汗を多少かくのは人間なので止められないが、全身滝のような汗をかきながら息を切らして入るのは見苦しすぎる。ただでさえ汗臭いのに見苦しすぎる。私はどうなってもいいが、他の人からすれば迷惑だろう。暑苦しい日に汗臭い上に見苦しいものを見るのはつらかろう。さすがにそれはいくらなんでもいけない。閉扉のアナウンスが流れてくる。私は決意した。この電車に、乗るしかない。

 ――私は中学一年生まで、夏に平然と半袖の服を着ていた。上着は無くても平気だった。暑い日に上着を着るとすれば、日差しを気にしてのことと思っていた。しかし翌年、中学二年生の春の終わりに私は違和感を覚えた。その日、皆がブレザーを脱いで過ごしている中、私は一人だけブレザーを着ていた。それが浮いた見た目であることはわかっていたが、私はブレザーを脱げなかった。寒かった。私にとっては寒かった。そして、違和感は確信へと変わる。夏になろうとも、いつまで経っても肌寒いのだ。半袖で過ごすと寒い。二の腕を出すと寒い。何よりも辛かったのは、冷房などで一層の寒さを感じると、すぐに腹を下してしまうことだ。私はその年、半袖の服を封印した。私のファッションセンスから季節感が失われた瞬間であった。その後、年が経つにつれその状態は徐々に落ち着いていった。二十歳になった今では、真夏の冷房がかかっていない場所でならしっかりと暑さを感じられ、半袖でも過ごせるようになっていた。ただし、いくら真夏と言えど微かでも冷房がかかっていてはならないし、初夏と晩夏の薄ら涼しい夜もだめだ。さすれば私の腹の逆鱗に触れる。よって私は、そういった場で己の腹を鎮めるため、常に何かしら上着を持ち歩いて過ごす日々に至ったのであった――。

 中央線の通勤特快電車がどのような電車かご存知だろうか。私が乗る立川駅を出発した後は、まず約七分後に国分寺駅に着く。その後は彼の新宿駅まで、途中の駅を全て通過し、約二十七分程度休むことなく走り続ける。私はその新宿駅で別の路線に乗り換え、出社する予定だ。今危惧しているのは、この国分寺駅から新宿駅の間、多くの駅を通過する間に、私の腹が憤怒の唸りを上げ始めないかということである。車両にはトイレがないので、万一の時は駅で下車するしかない。私は国分寺駅で電車が停まり次第羽織ろうと、鞄からカーディガンを取り出した。吊革に捕まりながらそんな不安を抱えている内に、電車の動きが止まった。国分寺駅に着いたのだ。私は鞄を一旦網棚に起き、カーディガンを羽織り、再び鞄を手に取った。先程よりも人が増え、中々の混みようになる。着衣が一枚増えたことと、人との距離が近い、というより最早距離など無い、ということのお陰で、私は全く寒気を感じずに済んだ。良かった。このままなら新宿駅まで無事に行ける。今ならまだ降りて停車駅数の多い別車両に乗り換えられるが、このまま乗っていよう。やはり社会人たるもの、遅刻はしてはならない。例え雀の涙程度であっても、余裕を持って出社するべきだもの。などと安堵している内に、閉扉のアナウンスが流れ、扉が閉まる。いざ電車が出発する……正しくその時のこと。私の腹は静かに怒り始めた。しかしもう扉は閉まっている。降りられない。どうしようもない。私は静かに押し黙って、ただ車窓の遠く向こうを見据えるしかないのであった。雲一つない、よく晴れた夏の空であった。

 発車から数秒後、私は吊革を強く強く握った。動けない。石と化したかのように、メデューサに見つめられたかのように、私は固まった。気を紛らわして忘れてしまおうか?いや、そんなことをしたらお終いだ。なぜなら今私は私の全意識を持ってこの肛門、もとい、水門を鎮めているのだ。腹が怒り狂うこと、それはもうどうしようもない。止められない。だが、出る物は塞き止めなければならない。だって考えてもみて欲しい。残り約二十七分の車内で、発車早々に物凄い臭気の物凄いアレを漏らされる周りの気持ちを。私はそうなったって仕方ない。自業自得なのだから。しかし、それを近くで受ける方はたまったものではない。周りの人々は皆何も悪くない。誰も私の腹を冷やしていないし、誰も私の腹を刺激していないし、誰も私の水門を決壊させようとしていない。そう、この問題はただ一人、ただ私だけの問題だ。だから私はじっと動かずにひたすら耐えるしかない。この時が早く過ぎるように念じるしかない。水門を意識し続けるしかない。そもそも私が寝坊したのが悪かった。寝坊さえしなければ通勤特快などと言うほぼ全駅を通過する電車に乗らずに済み、腹痛が起きても途中下車できた。なぜ起きなかったのか、私よ。なぜだ。

 言い訳をさせて欲しい。目覚ましはかけた。けれど絶望的に朝に弱いのだ。目覚ましの音など全く聞こえた試しがない。しかも、自分で目覚めようとしても、毎朝一度目の寝起きには必ず金縛りに遭い、起き上がれず諦めてもう一度寝てしまう。そうして再びぐっすり寝てから起きる。睡眠障害を疑って病院に行ったこともある。過眠症かもしれないね、と言われた。が、病院に通い続ける時間が無く、それ以上の診療は断念したのだった。

 ここで一度時計を見やる。国分寺駅発車から五分が経過していた。残り二十二分。長い。長いぞ。このペースで時計の針を見ていたら、あと四回は見なければならない。私は今中々に耐えに耐えたつもりだった。十分は経った気でいた。私の腹はそれはそれは強い憤怒の念を放ち、体内にグルルルルと禍々しい音を響かせている。カーディガンを羽織っているのに、なぜ治まらないのか。……はっとした。ああ、そうか。臀部だ。臀部が冷えているのだ。しかし、左手は肩掛け鞄を車内で邪魔にならないよう押さえつけながら持ち、右手は吊革を持っている。とてもじゃないが自ら臀部を手で温めることは不可能。当たり前だが、他人に頼むなど以ての外。最も最善の手段は座席に座ること。そうすれば座っている間は恒常的に臀部を温めることが可能だ。座りたい、座席に。切実に座りたい。しかし、普段体調が悪くて辛い時でさえ、席を譲ってもらいたいという申し出はしたことがない。ましてや、便意が底知れないほどなので譲って欲しいなど、とてもじゃないが言えない。何より、座るというのは実際に水門を開け放つ時にする体勢でもある。危険かもしれない。それ以前に、体勢を変えること自体、体を動かすということ自体ができないかもしれない。現在私の水門は、電車の揺れに耐えるだけでも精一杯なのだ。けれど、ここで臀部が温まれば一気に鎮まる可能性は否めない。私はここでひとまず時間を稼ごうと、座りたいという言葉をひたすら脳内で反芻することとした。実際に座れるかどうかは別である。座りたい、座りたい、座りたい……。一体何度反芻しただろうか。再び腕時計を見やる。先程から四分が経過していた。残り十八分。時間とは、常に平等であるが故に、時に残酷である。

 さて、ここで一度、新宿駅到着後の自分の行動をシミュレートすることにしよう。いざと言う時、体は勝手には動かないものだ。ある程度想定することは必要だろう。まず一番最悪なケース、車内で水門が決壊するケースだ。これは絶対に避けたい。同じ車内の乗客があまりに可哀想だ。それに、新宿駅到着後には清掃が必要となり、ダイヤ乱れにも繋がるのではないだろうか。次は駅のホームで決壊するケース。また車内よりマシだろう。そのまま駅のトイレへ向かい、トイレの個室から家族にメールなどで連絡し、助けを待つと良いかもしれない。ただ、個室に長時間籠ることになるので、やはり迷惑になることは間違いない。そう考えると、この場合はトイレに行くより駅員に声をかけた方がいいのだろうか?いや、駅員の方々は声をかけられたところで何もできないだろう。事件はあくまで私の下半身で起きているだけで、それがたまたま駅構内だったというだけの話だ。駅員に声をかけたら、余計に恥を上塗りするだけではなかろうか。最後に最善ではあるが最も難易度が高いケース、新宿駅到着後、無事にトイレの個室で水門を開門するケースだ。幸い私の乗っている車両は、トイレのある改札階へ繋がる上り階段のすぐ近くに停車する。乗り換えに便利だと思ってのことだ。そう、駅にさえ着けば、即座にトイレに到着することは可能。ただし、ただでさえ人が多い新宿駅、かつ人が多い平日朝、かつ人が多い女子トイレである。無事にトイレに辿り着けたところで、そこには長蛇の列が待ち構えていること必至。その場合は多目的トイレを利用するしかないのだろうか。それ以前に、多目的トイレは空いているだろうか。いや、そもそもあの場所に多目的トイレがあっただろうか。思い出せない。不安だ。私は多目的トイレがあるかどうかを確認するべく、携帯電話を取り出そうと鞄を探ろうと思った。しかし、体が動かせない。ああ、私の水門が言っている。今動けば決壊する、と。現在、絶妙なバランスで堤防としての役目を担い、それを全うしている水門が言うのだ。間違いないだろう。私はまた新たな決意を胸に刻んだ。とにかく車内では頑張ろう、その後は漏らしてもいいや、と。

 なんと、先程シミュレートしていた間に、時間が八分も経っていた。残り十分である。しかし、もう腹の憤怒に関して考えることが思い浮かばない。どうやってこの十分を乗り越えるべきか。そうだ、仕事のことを考えよう。もう締め日が近いから、あの業務を優先して、それから……。ひゅっと、私は息を飲んだ。冷や汗が止まらない。背筋が凍てつく。腹の様相は憤怒ではなかった。嗤っている。嘲りである。そうだ、忘れていた。他のことに意識を向けてはならないということを。水門から意識を外したのは、ほんの数秒間のことだった。それだけでその嘲る様はただならぬ熱を帯び、今こそ水門をこじ開けんと、暴れに暴れたのだ。危うく隙を突かれるところだった。私は急ぐ鼓動を落ち着けるべく、冷静になろうと努めた。大丈夫、水門は決壊しなかった。大丈夫、既に十七分も耐えたのだから。大丈夫、残り十分もきっとやり過ごせる。しかし、突然大量の冷や汗をかいたことで、私の体は更に急激に冷えていった。いくら満員電車の人混みと言えど、冷房の空気の動きを感じない訳ではない。私はそれをより事細かに感じることとなった。腹はのたうち回るように激しく暴れ、己の憤怒を露わにする。まるで駄々をこねる幼子のようだ。それは理性を失くした剥き出しの本能と同義。他人にとっては些細な日常の出来事であり、真面目に捉える必要のないことだが、当事者からしてみれば、それはとてつもなく大きい困難だ。周りに迷惑はかけられない。せめてどこか別の場所へ移りたい。しかし幼子は大人の腕から、いとも容易くするりと抜け出す。この場から去ることは難しい。止まぬ大号泣、激しさを増す暴れ方、それに乗じて周囲の目線。焦る。きっと今の私はそれに近い感覚だ。止まぬ腹の痛み、激しさを増す暴れ方、その上周囲の目。漏らしてはいけない、漏らしてはいけない、漏らしてはいけない……。私はその言葉を反芻し始めた。またしても時間稼ぎをしているのである。ふと腕時計を確認すると、先程から七分が経過していた。残り三分だ。

 カップラーメンを作る時の三分はこんなに長かっただろうか。もっと短かった気がする。ぼーっとしていたら麺が少し伸びてしまう、そんな長さの時間だったと思う。今は一秒でさえ長い。もう漏らしてもいい。ただ、車内での水門決壊は絶対にだめだ。最悪のパターンでも駅のホームでの決壊としたい。あわよくばトイレで、だ。今日は仕事を休もう。きっと、トイレの列に並んでいる最中に水門は決壊するだろう。そしたら上司に連絡して休もう。と考えていると、少しずつ胸が軽くなっていく。あと二分。二分か、いけそうな気がする。トイレまでは間に合うと信じる、間に合う、私は間に合う。このころ、私の脳内からは語彙力がどんどんと抜け落ちていった。脳内のほぼ全てを自らの水門を鎮めるために使うため、言語野さえも動きが停止し始めたのだ。――トイレに行きたい――私の頭に残った言葉は、その一言のみだった。

 アナウンスが新宿駅に到着することを告げて間もなく、電車は停まった。扉が開く。前の人々に続き、電車から降りる。階段を黙々と上る。上り切ったところで、私は駆け出した。まだ漏らしていない!行ける!トイレまで!この通路で右に曲がると小さなトイレがある。こういう時間帯は、大きく広いトイレより、小さく狭いトイレの方が空いているものだ。皆、個室数の多い方がすぐに入れると信じて、大きく広いトイレに行くものだ。急いでいない人はできれば綺麗なトイレの方がいいと、大きく広く整備されたトイレに向かうのだ。過去に幾度も駅で困難を乗り越えてきたことから得た知見だ。走れ、私の足よ。行け。トイレが見えた。列を作っている人はいない。入口が見えた。待っている人はいない。個室に目をやった。全ての個室の扉が開け放たれている。そう、空室だ。全ての個室が空室なのだ。この平日朝通勤ラッシュの新宿駅で、女子トイレの個室が全て空室!信じられぬ奇跡!私はそのままの足取りで、一番手前の個室に入った。脱ぎ、座った、刹那。終わった。終わりとはいつだって儚いものである。私のこの長きに渡る苦悶は、たった一瞬の間に、文字通り、物理的にも消え去ったのだ。諸行無常である。

 私はこの世の全てに感謝した。今日このトイレにいないでいてくれた人々、つまり全ての人々よ、ありがとう、空室にしていてくれてありがとう。この位置にトイレを設計してくれた人々よ、トイレを設計してくれてありがとう。このトイレを建設してくれた人々よ、トイレを作ってくれてありがとう。このトイレを運んでくれた人、このトイレを作ってくれた人、このトイレを開発してくれた人、そして彼らを生んでくれたご先祖さまたち、そしてそんな人類を育んでくれた地球、その地球を包み込む宇宙、全てに、全てに感謝を捧げた。そこで私は冒頭の通り悟ったのだ。私に足りないものはきっと感謝であると。これからは感謝を欠かさず生きよう。この世の全ての人に感謝を、そしてそれを気づかせてくれた私の消化器官に感謝を……。この日私は、無事に遅刻せず出社した。ただし、一度滝のように噴出した冷や汗は引くことを知らず、見苦しいほど汗だくでの出社となった。それでも何も言わずにいてくれた同僚たち、彼らにも感謝を忘れずいよう。

 ――翌朝、私は立川駅のホームにいた。そしてやってきた電車に神妙な面持ちで乗り込んだ。それが中央線通勤特快電車の車両であったことは、言うまでも無い。

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