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魔法の傘[私小説/ショートショート]

 「公園行こうよぉ」
 保育園からの帰りがけ、家の玄関扉の前に着いた途端のこと。三歳の娘の一言だった。私は少し考えて、
「いいよ」
返事をした。
「ただ、保育園の荷物置いてからね」
玄関扉を開けて、玄関先に保育園で使った荷物が入った鞄を置いた。
「公園にぃ……行こーう!」
娘が意気揚々と歩き出した。
「キャアッ」
一歳の息子が抱っこ紐の中から、嬉しそうに声を上げた。
 公園は家から徒歩三分程度の場所にある。公園の敷地は狭いけれど、必要最低限の遊具は揃っている。遊具が全く無い公園も珍しくない昨今の公園たちの中では、とても優秀な公園だ。そこに着くや否や、娘はすべり台ですべったり、ブランコに乗るものの足をうまく動かせないながらも楽しんだり、鉄棒にじっとぶら下がったりして遊んだ。
「キャアッ」
娘がそれぞれの遊具の元へ行くたびに、息子はそれを見てキャッキャと声を上げて喜ぶ。自分自身は遊んでいなくとも、娘の遊ぶ様子を見ることが楽しいらしい。
「もう遅い時間だから、次で最後だよ」
私が声をかけると、
「じゃあ……すべり台!」
と言いながら、目的の遊具へ向かって走り始める。あっという間にすべり台にたどり着き、上へ上へとのぼっていく。
「いっくじょー!」
すぐさますべり出す。
「しゅうぅぅー」
効果音付きだ。
「へへへへっ」
息子の笑い声。君も楽しめて何よりだ。
「じゃあ帰るよ、おいでー」
手を繋ごうと手を差し伸べる。が、娘は手を出さない。何やらその場で固まっている。
「どうしたの?」
娘は眉間にしわを寄せ、何やら悩ましい表情をしている。
「傘が……」
言いかけて止まる。
「傘が?」
娘が私の瞳をじっと覗き込む。互いの視線が正面からぶつかり合う。
「なーい!!」
そりゃそうだ。持ってきていないもの。
「傘はお家でお留守番してるよ」
今日は雨が降っていないのだから。
「娘ちゃん、傘持ちたいのー!」
地団駄を踏んでいる。しかし、家に置いてあるものを、外出先で目の前に出現させるなんてことはできない。
「ママ、魔法使えないから、お家にあるもの出せないなぁ」
「やだやだー!」
とは言われても、これはするしないではなく、できるできないの話。できないことはしてあげたくともできない。
「うーん……」
私は少しばかり考えて、
「娘ちゃんが魔法で出してみる?」
と提案した。対して、娘は小首を傾げる。それから少しして、公園の出口の方を向いた。
「……ぷいぷいー……ぷい!」
言いながら、公園の出口を指差した。娘の呪文は、いつも決まってぷいぷいぷいだ。娘は続けて話す。
「あっ、あんなところに、傘がある!」
そう言って出口へ駆け寄ると、娘は透明な柄に透明な骨、それに加えて透明な布でできた、誰にも見えない傘を拾った。
「こんなところに、あった!」
その言葉を受けて私が手を差し伸べると、今度は娘もすんなり手を出してくれた。手を繋いで公園を出る。車通りの無い住宅街の細道を歩く。まだ歩いて一分も経たない内に、
「あれ?」
娘は傘を握っていたはずの手をまじまじと見つめた。
「傘が消えちゃった」
もう魔法が解けたらしい。
「また魔法で出しちゃえば?」
「そうしよう!」
即答して、娘は再び呪文を唱える。
「ぷいぷいー……ぷい!」
今度は足元のマンホールを指差した。
「あれ?傘、見つからないよ?」
私が辺りを見回すと、娘も同じようにキョロキョロとあちこち見回し始める。
「どこだろう?」
娘はそう言いながら、最後にマンホールの隙間を覗き込んだ。
「あった!」
どうやらマンホールの中にあったようだ。
「よいしょ……っと!」
そのまま隙間から誰にも見えない傘を引き抜く。
「行こう!」
娘がそう言うので、再び手を繋いで歩き始める。けれど、
「あれ?」
魔法は万能ではない。
「また消えちゃった」
魔法の傘はあっという間に消えてしまう。
「ぷいぷいー……ぷい!」
今度は路肩に停められていた車を指差した。そのまま車の中を覗かんとしている。
「他所の人の車の中を覗いちゃだめよ」
すかさず忠告すると、娘は慌てて身を引いて、軽く腕を伸ばした。
「えいっ」
車の中を覗くことなく、誰にも見えない傘だけを引き抜いた。
「こんなところにあった!」
なんだか得意気な顔をして、傘を握る手を私の方に差し出す。
「傘、あって良かったねぇ」
けれど案の定、魔法の効果は短い。その後も魔法の傘は何度も消えた。その度、道中の民家の玄関前や車道の真ん中など、通りがかった様々な場所で見つけては拾った。そんなことをしていても、通常三分間の道のりはすぐに終わってしまう。気付けば既に玄関前。私は鍵を開け、扉を開いた。
「あっ」
娘が我先にと家の中へ入る。
「あったよぉ」
傘立てから一本の傘を引き抜く。
「ただいま」
娘は自分用のうさぎ柄の小さな傘に声をかける。
「お留守番してたんだねぇ、よしよし」
それと同時に、誰にも見えない魔法の傘は役割を終えた。最後まで誰にも見られることなく、そのまま誰も知らないどこかへと静かに消え去って行ったのだ。けれど、私と娘は知っている。娘の手の中には間違いなく、娘の機嫌がすっと良くなる魔法の傘が握られていたということを。

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