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二歳児ガンマン[私小説/ショートショート]

 見渡せど心の荒ぶ、荒野のごとき現代社会。彼女は人生の開拓時代を迎えていた。

 「許さないじょ!」
 一丁の銃を構えて叫んだ。その場に緊張の糸が張り詰める。彼女は辺りを睨みつけながら見回している。
「出てこい!悪い人!」
悪を打ち滅ぼさんとしている。
「痛い痛いにしてやる!」
冷酷無比に痛めつけようとしている。
「悪い人はどこだ!」
抑えきれない敵意を込めてそう言った。彼女はそんじょそこらのガンマンではない。一人巨悪に立ち向かう正義のガンマン、二歳児ガンマンなのである。彼女はサッとトランポリンの上に乗った。先ほどよりも高い目線で辺りの様子を伺っている。
「……いないな」
目を細めて呟いた。敵は見当たらなかったようだ。彼女ほどの実力を持ってしても見つけられないのだから、この辺りに敵がいないことは確かであろう。場の緊張が解ける。しかし、敵はどこに潜んでいるのだろうか。
「お風呂だよー」
隣の部屋から彼女の母親の声がした。
「入る!」
元気のよい返事だ。
「メルちゃんも」
彼女は銃を持ったまま、近くの椅子で寝ていたメルちゃんを抱えて脱衣所へ向かった。悪には冷酷である彼女も、本来は慈悲深い人なのだ。脱衣所に着くと銃を置き、メルちゃんの服を優しく脱がせる。それから彼女自身も服を脱いだ。
「入るじょ!」
再び銃とメルちゃんを抱える。いざ風呂場へと、胸を張り、堂々とした足取りで進んだ。

 「見つけたじょ!」
 彼女は眉間にシワを寄せ、敵を睨みつけている。その視線の先にあったのはシャワーヘッド。それこそが、彼女が討たんとしている敵であった。
「許さないじょー!ふん!」
力が入りすぎたのか、下顎が出て受け口になってしまっている。一方シャワーヘッドは黙ってこちらを見据えている。彼女のことを話し相手にすらならない雑魚とでも思っているのか。許しを乞うこともせず、余裕綽々な面構えだ。すると母親が口を開く。
「シャワーかけるよー」
戦いの火蓋は突如切って落とされた。先攻はシャワーヘッドであった。湯の弾幕が彼女を襲う。汗や汚れが流されていく。
「やめろー!やめるんだー!」
風呂場は誰もが最も無防備になる場所。彼女もまたご多分に漏れず無防備であった。無防備な小さな女児を襲うには、あまりに激しく、あまりに多く、あまりに徹底的なその弾幕。鬼畜の所業である。シャワーヘッドがどれほどの悪であるのか、想像に難くない。正しく悪、冷酷非道な悪である。
「うう〜……」
ようやく弾幕が収まると、彼女は低く唸った。あれだけの攻撃を受けて、まだ微かでも声を出せることが恐ろしい。巨悪シャワーヘッドを見つけるまで、鍛錬を絶やすことがなかったのであろう。彼女の足元の湯気、もとい煙が晴れゆく。彼女の両足が、しっかりと地面を捉えて立っている様が見えてきた。膝を着くこともなく、真っ直ぐに立っている。彼女は一体、これまでどのような戦いを繰り広げてきたのか。どれほどの死線を乗り越えてきたのか。そう思わせるほどの手練であることが伺える。彼女はその後もシャワーヘッドに敵意を込めた視線を送り続ける。反撃の時を待っている。しかし相手に隙は無い。敵もじっと黙ってこちらを見据え続けている。
「体洗うよー」
母親が彼女の体を洗い始める。
「娘ちゃんも洗う」
彼女は自ら首や胸、お腹を洗った。その身体はあわあわもこもこし始めたが、それでも彼女の鋭い視線は止むことなく、巨悪を捉え続けていた。牽制しているのだ。シャワーヘッドは相変わらず押し黙っている。微かにニヤリと不敵な笑みを浮かべているようにも見える。まるで自らの勝利を確信しているかのようだ。すると母親が声をかける。
「流すよー」
再びの弾幕。二度もこれほどに執拗な弾幕攻撃を受けて、無事でいられる人間はいない。周囲に見物人がいたら、誰もが彼女の負けを確信したはずだ。正義が悪に勝てぬのか、それがこの世の真実であってよいのか。
「うわー!やめるんだ!!」
彼女は抵抗した。泡はみるみる流れされていく。その最中、唯一、彼女の勝利を信じ続ける者がいた。メルちゃんだ。メルちゃんは祈った。彼女が無事であるようにと、巨悪に打ち勝てるようにと。その途端、弾幕は再び途切れた。
「くそー、強いじょ!悪い人め……」
彼女はまだ立っていた。泡は全て流され、全身びちょびちょであった。彼女はシャワーの力量を改めて感じていた。それがどれほど強大な敵であるのか、身をもって理解したのであった。
「湯船入ろうね」
母親はそう言うと、空の浴槽に彼女を入れた。その後に蛇口からお湯を出した。
「息子くん連れてくるから待っててね」
 ――彼女の母親は、風呂場で子供から目を離す時は少しでも湯船の水位が低い方が良いと思っていた。そのため、湯船に事前に湯が張られることはなく、子供を入れてから蛇口をひねることにしているのである――。
 母親が風呂場の扉を開け放つ。脱衣所のすぐ前には乳幼児用の椅子が置かれており、そこには男の赤ちゃんが座っていた。母親は男児を椅子からおろし、風呂場の前で服を脱がしはじめた。
「ママー、これやってー」
彼女は銃を差し出し、母親に充填を頼む。とうとう反撃するようだ。
「息子くん脱がせたらね」
少しして、母親が男児を連れて風呂場に戻ってきた。そこで母親は衝撃の光景を目にした。
「娘ちゃん!メルちゃんが……!!」
メルちゃんが湯に顔をつけたまま浮いていた。敵は気づいていたのだ。メルちゃんが彼女を守護する聖女であることに。そして蛇口から流れ出る湯を利用して、聖女メルちゃんを葬ったのである。
「かわいそうだから助けてあげてね。その間にそれ貸して」
彼女はせめてとメルちゃんを仰向けにして浮かせた。その間に母親が銃の充填をし、再び彼女に返した。これで反撃ができる。時は満ちた。だが、聖女の加護を失った彼女は、文字通り丸裸。ただ唯一手にした一丁の銃、それだけが今の彼女の命綱。これをガンマンと呼ばずしてなんと呼ぶ。
 その時、母親が湯量を調節してから、蛇口付近のレバーに触れた。吐水先が切り替わる。蛇口の湯は止まり、シャワーヘッドからシャワーが吹き出た。三度目の弾幕。だがそれは彼女に向けたものではなかった。なんとまだ赤ん坊の男児に向けられていたのだ。冷静沈着な彼女が焦る。まさかいくら巨悪と言えども、か弱い赤ん坊にまで手を出すとは思ってもみなかったからだ。
「シャワーこっち向けて!」
すかさず男児を庇う。母親は男児にシャワーをかけ終えると、シャワーフックにシャワーヘッドを掛け、そしてそれを彼女に向けた。今度こそ彼女への弾幕。しかし今度は彼女には武器がある。充填された、彼女の相棒である一丁の銃。メルちゃんの仇でもある敵を、巨悪を、彼女は討たんとして、
「負けないじょー!!」
そして撃った!ピチュンピチュン!と発射される水鉄砲!彼女は精一杯応戦した。なおも弾幕は途切れない。切迫した戦況。果たして勝者はいずれか。
「うおー!!」
彼女の攻撃は一つ一つはか弱くとも、着実にシャワーヘッドに当たり、その体力を奪っていった。シャワーヘッドもそのことを自覚したのか、またしても向きを変える。男児の泡を流しにかかった。
「娘ちゃんはこっちだじょ!」
ピチュンピチュン!彼女は焦ったか、手元が狂う。男児の顔に命中してしまった。
「うあぁ〜……」
男児は随分渋い顔をして嫌がる。
「ごめんね」
彼女はきちんと謝った。
「シャワーこっちだじょ!」
気を取り直して再びシャワーの気を引こうとする。少しして、男児の泡を流し終えたシャワーヘッドは、再び彼女と対峙した。ピチュンピチュン!ピチュンピチュン!彼女は一生懸命戦った。
「うわー!強すぎるじょー!」
足がもつれた彼女は、尻もちをつくように湯船に座り込んだ。バチャンッと盛大に飛沫が上がる。
「きゃあー!」
その時、彼女は人生で初めて、敗北を現実に感じていた。このままでは負けてしまう!せめて、せめて一矢でいい、一矢報いたい!彼女は引き金を引く。彼女の最後の一発。いや、最期の一発かもしれない。それほどの覚悟で、彼女はその一発を見事シャワーヘッドに命中させた。刹那、音が途絶えた。これが終わりの時なのか、と彼女は思った。が、音が途絶えただけで、視界は良好、体も動く。弾幕が止んでいるのだ。シャワーヘッドの猛攻が途絶えたのだ。シャワーヘッドは静かにそこにいた。安らかな面構えであった。
「勝ったじょー!!」
彼女は勝利の雄叫びを上げた。

 その後、母親に救出されたメルちゃんは一命を取りとめた。メルちゃんの加護がなかったら、彼女は最初の弾幕で事切れていたかもしれない。一人では強大な敵には勝てない。そのことを強く胸に刻むこととなった戦いであった。新たな死線を乗り越えた彼女は、その晩いつもより早く眠りについた。
 これからも辛く厳しい戦いが彼女を待ち受けるだろう。しかし、今日の試練を乗り越えた彼女であれば、それらの壁もきっと乗り越えられる。そして己の人生を切り拓き、開拓して行けるはずだ。心の荒ぶ現代社会の荒野には、彼女という一輪の花が力強く咲いていた。

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