「やりたいことって何だっけ」と思った時にやったこと。

想定読者
アラサーで「不満はないが不安がある」気持ちがある人
自分のやりたいことが今更ながら分からなくなってしまった人


ことの始まり

「うーん…自分がやって行きたいこととか書いているつもりなんだろうけど。何が出来るとかやらなきゃいけないのか、そういうのは分かったけど、“xxさんがいないなあ”と思いました。」

尊敬する先輩に1on1を申し込んだ。
自分がやっていきたいことはこういうことで、そのためにはどういうスキルが必要で、あなたが持っているように見えるスキルはどうすれば出来るようになるのか。スライド作って画面共有しながら相談した際、上記のことを伝えられた。
納得感が大きな衝撃波の如く身体中を駆け巡った。
いや、確かに。この資料で“私“はどこにいる?答えられなかった。

新人ホヤホヤの時はメール文を書くだけでも緊張していたのが、いつの間にかビジネスメールも考えずに打てるようになった。
自分が司会となってお客さんとセッションを回せるようになった。
気が付いたらしっかり中堅のポジションになっていた。
出来ることは増えてきた。その分、まだ出来ていないこともまだまだある。

Will/Can/Mustにおける、自分のできること(Can)の楕円が広がっている感覚と、会社からの期待としてのやらねばならぬこと(Must)の楕円がくっきり見えてきた感覚。あれ、目の前の仕事で手一杯だったけど、私のやりたいこと(Will)って何だっけ。

ふとそう思った機会があり、自分を見つめ直す行為をした。
他にも自分のように、「CanとMustはくっきりしてきたが、Willがあるようなないような、ぼんやりした日々に「不満は無いが、不安はある」思いでモヤモヤ…
でも直感型すぎて何なのか分からないこの気持ち…」と思っている直感型人間のアラサーがいたら役立つものがあるのでは無いかと思い、筆を取った。
同年代のあなた…あなたの脳に直接呼びかけています…あなたは、ひとりではありませんよ…

転職活動するにしても、エージェントとは条件の箇条書きぐらいしか共有しない。年収を上げたいとか、日系じゃなくて外資がいいとか、自分の中でリストへ加えられる明確で納得している条件が言語化できているなら、問題ないと思う。


1.自分へベクトルを向けて、問い続ける

どういうことか(WHAT)


いわゆる自己分析本は世の中にたくさんあった。就活を思い出す。
キャリアデザインの本も色々読んだ。やり方はその派生を色々試した。
結局、理屈を積み重ねるよりも、自分の人生における瞬間瞬間をエピソードとして切り出していく方が自分に向いているやり方だと思った。
こういった類でひとつ気に入っている問いかけがある。
What matters the most to you, and why?(あなたにとって、一番何が大事なのか。それはなぜなのか)の問いはシンプルで強烈な問いだと思っており、この質問を人生で問い続ければ、自分の価値観にブレは減りそうだと思った。ちなみにこれはStanfordのMBA受験の名物な問いらしい。

どうやったのか(HOW)

自分の能力や立場、年齢などを全て取り払ったとしたら、やりたいことを書き出してみた。やってみたいな〜!ってぼんやり思っていたことでもいいから、雑多に書き出していった。併せて、そのやってみたいことは“なぜ“やってみたいんだろう?も書き記した。自分の場合は下記のような事柄があった。

  • 英語を使った仕事をやりたい。ただ決まりきった話を重ねるのではなく、議論とか重ねたい。

    • 面白い人と話すのが好き。日本語でもさまざまなタイプに出会ってきて、面白い人や尊敬する人がいるが、英語でコミュニケーションしたら、ひょっとして世界中にもっと面白い人やもっと尊敬できる人、いっぱい出会えるのでは?ワクワクする気持ちになる。

  • 音楽に関わるプロジェクトを学生時代にやったことがあったので、それをもう一度取り組んでみたい。

    • 元々音楽のジャンルは幅広に好きだった。どんな所が好きかというと、楽器演奏活動を通して人との協調性や人間性を培えたと思っているし、音楽を聴いて励まされる日々も多かった。

    • 星野源のエッセイで「音楽は世界を変えられないと思っている。社会を動かすのは政治だったりするわけで。音楽は人の背中を押すような応援しかできない。僕の路上ライブを聞いて涙を流したおじさんの顔が忘れられない。あなたを応援しか僕はできない。」と書かれていた話にとても共感した。

  • フィールドワークが好きだったので、赴くままに面白そうな場所へ行って観察したい。

    • 学生時代に好きだった活動でフィールドワークがあった。ひとりを観察していくと、本人でも気付いていないようなことや、当初研究で立てた問いとは異なる結果の新たな問いが生まれることがあった。そういった予想外の発見があるから好きだった。

  • 理学療法士という職業に興味がある時期も高校生ぐらいにあった。靭帯損傷の大怪我をした経験があって、リハビリで回復していくことに感謝をしていた。

    • リハビリに通うような人たちは、大怪我などをきっかけに「できていたことが、できなくなった」の感覚があって気持ち的に落ち込んだ状態から始まる人が集まっている。リハビリを重ねることで「できた!」と思えることが増えてきて、それが嬉しかった。他人と比べて優劣をつけて落ち込む行為ではなく、自分の尺度で「できた!」が増えるのは素敵だと思ったので好きだった。

この時に守った約束事として、書き出していく時に「でもなあ…もうそうやってやりたいこと言える年齢じゃないし」や「異業種だと年収下がるしなあ…」と思うような、「でも」と思うような考えを排除して書き出し続けることを意識した。そもそも、自分でノートに書き綴っているうちは誰にも迷惑かけないし、やらなければならないことでもない。タダである。得することはあって、損はない。

何が狙いか(WHY)

この行為で拾いたいカケラは、なぜの部分だった。
向上心、調和、ITの下流ではなくビジネスに近い立場で新しいことを考えて創り上げていくことなどが自分の要素として見えてきた。

例えば、自分の尺度で「できた!」に喜びを感じるのであれば、管理職をキャリアパスに見据えたら、自分のメンバーの成長にやりがいを感じることもあるだろう。
クライアントワークとして目の前のお客さんに尽くすコンサル業も現在取り組んでおり、こうして立ち返ってみると、なんだかんだで続けられたのもこの要素があるからかもしれないと現職経験への納得感にも繋がった。


2.社会へベクトルを向けて、問い続ける


どういうことか(WHAT)


自分の中に埋もれていた“なぜ やりたいのか”のパズルピースをかき集めて、心の隅に一旦寄せたあとは、自分が社会に対して(外に対して)、の思いを書き出した。
自分へのベクトル軸だけで物事を考えると何が起こるかと言うと、
「やりたいことがあるのに、それが実現できない今の環境に不満だ」
と現在の環境に対してモヤモヤが募ってしまう。

考え方によっては、今の環境でも出来ることがあるはずなことも少なくないので、その考えだけで終わってしまうと勿体ない。顔さえ上げれば、眼下に広がる素敵な景色があるかもしれないのに、足元しか見ていないで突っ立っている状態に近しい。

ただし、頭で分かっていても「じゃあどうすればいいんだよ」とムッと来る内なる自分もいるので、ここも自分の瞬間瞬間を切り出していく行為をした。

どうやったのか(HOW)

自分は思考で積み重ねるよりも感情がよく動くタイプなので、感情面でエピソードを拾い上げた。共感性が働いた場面を思い起こしやすいように、下記のような問いを立てて、派生して思い出すエピソードを書き下していった。

このような箇条書きで構造的に考える時は本来粒度も気にするポイントだが、とにかく勢いで進めたかったのと、別にクライアントへ提出するものでもないので今回は気にせずに書き下していった。

  • 「もっと社会がこうなったらいいのに」と思った経験は何か。

    • 大勢に目がいき過ぎてうまくいかない事例を多く見た。N=1に向き合えば、新しい発見があったりするのにと仕事で思うことがあった。

    • 街を歩いていると、足早に通り過ぎる人々の合間を縫うように、点字ブロックを叩いて歩く目の不自由な人を見かける時がある。街を歩くのも、私たちでは想像もできないくらいな勇気が必要なのではないかと、時に想像する。もっとお出かけが楽しくなるような気持ちで出掛けられるサポートツールがあればいいのに、と思う。

  • 胸がキュッと縮こまったことは何か。

    • 改札の前で困っている外国人観光客を見た時。自分も言語がわからなくてオロオロした経験があったので、それを思い出して胸がキュッとなる。

  • 自分が苦しい時に、誰からどんなことを言われた/された時、救われた気持ちになった瞬間はいつだったのか。

    • 語学留学中、気がつかないうちに気持ちがいっぱいになってしまい、でも自分の気持ちを伝える言葉を持ち合わせておらず、当時住んでいた寮の寮監(生活やメンタル面のサポートをしてくれるお姉さん)との面談で涙をハラハラと流す事件があった。その時に寮監のお姉さんはハグをしてくれた。言葉は通じなかったが、気持ちが通じ合えた気がした。どの国出身かなど見た目や文化の違いに関わらず、優しさは国や言語は違えど持ち合わせているもので、そこに違いはないことに気が付いて、救われた。

何が狙いか(WHY)

どういったことに課題だと感じるのか、自分の課題意識を言語化したかった。
どんな仕事も何か課題があって、それを解決するために自分が働く。そして目の前の人間から「ありがとう」と感謝の言葉がもらえる。究極はその仕組みだと思っている。社会的地位や名誉、年収の額に関わらず、このフレームワークは平等に応用が効くと思う。

3.そこで今の自分ができることは?

どういうことか(WHAT)

1.を通して集めた”なぜ”のパズルピースと、2.を通して集めた“社会における課題“のパズルピースを繋げる行為をした。
今現在、繋がるものもあれば、これから繋がるものもあると思うので、何かが当てはまらないからといって焦ったり落ち込んだりしないようにした。

なぜ繋ぎ合わせるべきかというと、本来の目的に立ち返ると「自分のやりたいことは何だっけ」に落とし込められそうな要素を見つけたいからだ。
自分へのベクトルだけだと半人前だし、
社会へのベクトルを持つだけだと地図がない状態で山道を走り続けるようなキャリア遭難になる可能性がある。
ある程度の納得感がある上での「社会に向けて自分が何か貢献ができることはないだろうか」を考えるためには、このプロセスで考えるのが自分には向いていた。

エヴァンゲリヲンを世に出した庵野監督のプロフェッショナルで、「僕ができることはこれ(アニメ制作)だったから(意訳)」と溢していた場面を覚えている。これは本質的だと思っており、外に向けて貢献となる活動をおこない、それに対して感謝されることが働く行為の本質だと思った。

どうやったのか(HOW)

1.と2.で書き出してハイライトしたワードを眺める。思いついたことを繋げてみる。アクションとして何が取れるのかを書き出した。これだけではないが、パッと描ける範囲だけ一部抜粋して記載している。

  • 向上心:今まで昇進に興味がないと思ったが、将来を考えると責任が広がる分、自由も広がると思った。大変そうだが、いろんなことをチャレンジして見たい。管理職にステップアップすることを見据えると、上が詰まっていない環境や、チームリーダーなど小さなピープルマネジメントから経験を積ませてもらえるような環境に身を置きたい。

    • アクション:現職なら上司に伝えるか、転職するならそれを条件に伝えよう。

  • 他業界への挑戦:5年後/10年後を考えると、どこかのタームで音楽業界に関わりたい。自分にとってどのくらいの熱意があるかを考えると言語化が難しかった。なので、2週間後に死ぬとなったら後悔することだろうかと想像した。後悔すると思った。別に向いていない、となったらまた元の業界に戻ってもいいはず。

    • アクション:現職だとなかなか案件としても少ない業界なので、転職活動をしてみて自分がスキルフィットしそうなポジションがあるのか無いのか、確認してみる。活動するだけで意思決定しない限りは“転職“にならない。

何が狙いか(WHY)

自分が何を貢献できるのかを考える枠組みとして、何か課題があり、その課題解決に繋がる貢献が何なのか。課題解決するための取り組みはスキルとして捉えること。スキルを示すための実績とは、その課題解決の再現性を示している。だから、職務経歴書を書いて出す。そう考えることができたら、自然とどの企業と話す時に、何を伝えればいいのか。職務経歴書に何を意識して書けばいいのか。面接で何を伝えればいいのかが、肩肘張らずに答えられるようになってきた。
急に理屈っぽくなった。でも、思考に緩急をつけるためには時々理屈で思考を収束させることも大事なはず。

そして辿り着いた先には


とはいえ、まるッと全てお見通しだ!というわけにもいかないので、あとは転職活動を実際に行なって、自分の中で高速PDCAを回した。意外と年収落としたくないんだなと新しい発見があったり、もう新人じゃなくて実績をしっかりみられる中堅なんだ…と身が引き締まる思いや危機感を抱けたりした。本当に転職するかは横に置いといて、転職活動はすると良いと言われる所以がわかった。

自分の場合、このプロセスをした結果どうなったかというと、1社だけ直接応募して最終面接を控えている状態になった。

3.のプロセスで炙り出されたさまざまなパズルピースを並べた時に、現職で叶えられそうなことも多くあった。それはそれで転職しないにしても、今の環境を選んでも納得感がありそうで安心した。こういった経験を積んでいきたいのだと上司や周りに伝えやすくなると思った。

一方で、実現できなさそうなこともあった。自分の場合は他業界への挑戦だった。可能性はゼロではないが、人生は有限なので、まずは行動に移したいと思った。そもそもチャンスとしてあるのかないのか。それを目の前にした時に自分はどう思うのか。やってみないと分からないことが多かったので、気になっていた企業へ応募した。結果、意外と面接が進んだ。今の所、スキルもフィットしているように感じるし、面接が進むと言うことは、企業側からも期待する人材としてみてくれているのではないかと事実からそのように解釈をする。

正直、現職の人間関係は気に入っている面もあるので、えいやで転職することになったとしたら、それはそれで不安はある。
でも、人生は一度きりだし、良くも悪くも予測できないことまみれなのが人生だ。
人生について思いを馳せる時に、フォレスト・ガンプという映画のセリフをいつも思い出すので、記事の最後はそれで締めくくりたい。

Life is like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.
人生はチョコレートの箱のように開けてみるまで何が入っているかわからない。

フォレスト・ガンプ/一期一会


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?