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わたしとクレヨン社の32年

わたくしが運営する福島限定音楽レーベル「ソスイレコード」で、クレヨン社のCD2作品、2004年の『誰にだって朝陽は昇る』と2007年の『宙[sola]』を取り扱うことになりました。うれしい限りです。すでにマデニヤル/ソスイレコードのWEBページからご購入いただけるようになっています。

といっても、これを読んでいる人たちの中でクレヨン社のことをご存じの方は、おそらくほとんどいないでしょう。もったいないことです。

『カセットテープ・ミュージック』での《事件》

この10月、マキタスポーツさんと音楽評論家のスージー鈴木さんが出演し音楽を愛する一部の人たちの間で密かな人気を集めるBS12トゥエルビの番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』で、クレヨン社のデビュー曲「痛み」が紹介されるという《事件》がありました。「痛み」のリリースは1988年。32年の時を超えてこの名曲をこの時代に公共の電波に乗せた『ザ・カセットテープ・ミュージック』とスージー鈴木さんには、心からの敬意と感謝をお伝えしたいと思います。

クレヨン社とは?

クレヨン社は、共にいわき市出身の柳沼由紀枝さん(作詞・作曲・歌)と加藤秀樹さん(作曲・編曲)によるユニットです。1987年、『AXIAミュージックオーディション』にてグランプリを受賞しデビューのきっかけをつかみました。ちなみにこのオーディションでは、クレヨン社の2年後に槇原敬之さんがグランプリを獲得しています。

1988年、クレヨン社はシングル「痛み」とアルバム『オレンジの地球儀』でメジャーデビュー。その後、1994年までの7年間に8枚のシングル、5枚のオリジナルアルバム、2枚のベストアルバムを発表しました。オリコンのアーカイブデータによると、3枚目のアルバム『いつも心に太陽を』はウィークリーチャートで最高31位。今と違いヒットチャートの権威が絶大だったあの時代に福島出身のアーティストがこの数字を叩き出したのは特筆すべきことだと思います。

今回ソスイレコードで扱う2作品は、クレヨン社がデビュー以来の所属事務所だったホリプロを離れた後に自主レーベルで発表した作品ですが、メジャー時代に引けを取らない、いやむしろメジャー時代以上の情熱とメッセージがこもった作品だと感じます。メジャー時代のアルバムは残念ながら再発が難しそうですが、せめてこの2枚は時の流れに埋もれさせることなく、何かの弾みでクレヨン社の音楽を知った人の手にいつでも届くようにしておきたいと思い、お2人に取り扱いのお許しをいただいて今回の運びとなりました。

クレヨン社の音楽と出会ったのは、彼らがデビューした直後の頃でした。おそらくラジオ福島で「痛み」のオンエアを聴いたのがその始めだと思います。当時高校1年生。まさにその世代に突き刺さる歌詞、美しいメロディー、感情丸出しの歌声、盛り盛りのサウンドエフェクトと完全打ち込みを駆使したアレンジに心を揺さぶられました。少なくとも僕の高校3年間はそのままクレヨン社の音楽と共にあったと言っても過言ではありません。

さらにクレヨン社の虜になるきっかけとなったのは、ラジオ福島の深夜枠でナイターのオフシーズンに放送されていた彼らの30分番組でした。これが最高におもしろかった。基本的には柳沼さんと加藤さんが好き勝手にしゃべるだけの番組だったように記憶していますが、いわき訛りを隠すことのないその放談ぶりに毎週大いに笑いました。聴いているだけでは物足りなくなり、ハガキを投稿するようになって、何度か番組内で読んでいただく光栄にも預かりました。この写真のクレヨンは、確か投稿のお礼にとお2人からいただいたものです。柳沼さんが中国へ行かれた際に買われたものだったと記憶しています。先日実家から発掘してきました。よく取ってあったなあ。

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その後ライターという仕事を志すようになったのも、あの番組で自分のハガキが読まれ感動したことと決して無関係ではないように思います。

幻の企画『クレヨン社、金子みすゞを歌う』

クレヨン社のお2人と実際にお会いしたのは、それから9年後、1997年頃のことだったと思います。上京後、僕はある小さな音楽事務所に勤めていて、CDの制作や音楽にまつわる書籍の編集・デザインに関わると共に、いろいろな新しい企画を考えてもいました。当時世間では、昭和初期に26歳で早逝した幻の童謡詩人・金子みすゞの作品に光が当てられ、ちょっとしたブームになっていました。そのみすゞの作品とクレヨン社の歌の世界に共通性を感じ、会社を通してホリプロさんに『クレヨン社、金子みすゞを歌う』という企画を提案。運良く「やってみよう」ということになったのです。

残念ながらその企画は数曲のデモを作っていただいただけで頓挫してしまいましたが、その数曲はどれも素晴らしい出来栄えでした。みすゞの詩に曲をつけている人はたくさんいらっしゃいますが、クレヨン社のそれを超えるものは聴いたことがありません。最近、加藤さんがそのうちの1曲「私と小鳥と鈴と」をYouTubeにアップしてくださったので、良かったら聴いてみてください。言わば僕の幻の初プロデュース作品です。

そして、実はその後のある時期、ホリプロさんを辞めたクレヨン社のマネージメントを僕が勤めていた事務所でお預かりした期間もありました。しかし、僕も当時はまだ未熟で力及ばず、お2人の力にまったくなれなかった。これは今でも人生における大きな心残りの一つです。

書きながら当時のことを一つ思い出しました。ライブに向けたリハーサルの時、柳沼さんの喉の酷使を防ぐために僕がダミーボーカルをとったことがありました。大枠は僕が歌いつつ、ご自身でチェックしたいところだけは柳沼さんが歌うという流れになり、柳沼さんと2人でちょっとしたバービーボーイズ状態となったことはいい思い出です。そしてその時、僕が歌詞をまったく見ずにすべての曲を歌えたことで、お2人に非常に驚かれました。そのぐらい、クレヨン社の曲は自分の体に染みついていたわけです。

「地球のうた」は何度でもよみがえる

クレヨン社の音楽には、歌詞、メロディー、歌、アレンジのそれぞれに独立した魅力があります。人生の葛藤や自らへの怒り、社会への疑問を言葉に綴り、その言葉を時に激しく時にやさしく時に大きなメロディーに乗せ、クラシックの影響を感じさせる加藤さんのアレンジで飾ります。そのアレンジから、デビュー当時は「弦楽四重奏ロック」などとも呼ばれていました。柳沼さんの歌はもう天賦の才としか言いようがないでしょう。紡ぐ言葉によって時にはナイフのように鋭く、時にシルクのようにやわらかく。歌うということは表現なのだと聴くたびに感じさせられます。

『カセットテープ・ミュージック』で紹介されたことからもわかる通り、クレヨン社の音楽には、時代を超えて人の心を打つ普遍性や共感性があるのだと思います。「痛み」もそんな曲の一つですが、セカンドアルバムのタイトル曲でもあった「地球のうた」は、特に時代の壁を超越し何度でもよみがえる名曲だと思っています。この曲が発表されたのは1989年。地球温暖化という言葉がまだ広く世に浸透する前の時期に、《あるがままの地球の姿を 子供たちの手へ》と歌いました。

東日本大震災のような天災が襲った時、コロナのような未知の脅威にさらされた時、僕の頭に浮かぶのはいつもこの歌です。SDGsの実現に向けて世界的な努力が求められている中、この曲は今また新たな息づかいを聞かせてくれているような気がします。なんなら国連の会議で流してもらうぐらいの価値があるのではないでしょうか。ジョン・レノンの「イマジン」が国連でたびたび歌われるのと同じように。

残念ながらクレヨン社は現在開店休業中で、過去の作品にその魅力を辿る意外にありません。しかし、その楽曲たちは聴くたびにいろいろな想いを駆り立て、聴き深めるごとに新たな感動を与えてくれます。デビュー曲の「痛み」は『誰にだって朝陽は昇る』に、「地球のうた」は『宙[sola]』に、それぞれ新録バージョンが収められていますので、ぜひCDでその魅力に触れていただければと思います。

若い時代によく聴いた音楽にあらためて触れた時、多くの人は「これが青春だ」と振り返るでしょう。僕にとってのクレヨン社は、青春ではありません。あえて言うならば「人生」だと答えたい。そんな音楽に32年の時を超えて関わることができる幸せを感じつつ、いつかクレヨン社の新しい楽曲が聴けるのではないかという一縷の望みをファンの一人として抱きながら、2つの作品を心してお預かりしようと思っています。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役