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今年でなければ表現できなかった憂いを感じる中田裕二さんの新譜『PORTAS』

本当に好きなアーティストの音楽は、やはり配信ではなくCDで聴きたくなる。サブスクリプションにはずいぶんお世話になっているし素晴らしい発明でもあると思うけれど、音的には言わば濃縮還元ジュースのようなもので、本物のようで本物でない感が否めない。ハイレゾやApple Digital MastersはほぼCDそのままの音源だというけれど、どこかで「でも配信だし」というバイアスが自分の耳にかかる。

配信が濃縮還元なら、CDはストレートジュースだ。聞きたい音がそのまま耳まで届く。やっぱりそっちを飲みたいよねと思ってしまう。本当にいいのは生絞り、つまりライブなのだけれど、コロナ禍なのでこれはこれでなかなかうまくはいかない。

中田裕二さんは自分にとって、濃縮還元ではなくどうしてもストレートで味わいたくなる音楽を奏でてくれるアーティストだ。特に近年の作品にはバンドアンサンブルの合間にたくさんの小洒落たギミックが隠されていてワクワクする。椿屋四重奏時代にはスッパスパに研がれたその切れ味に惹かれたけれど、解散から10年経って、ただ研がれただけではなく「研ぎ澄まされた」のが、今の中田さんの音楽なのかなと思う。けれど、そんなところが配信だとスルっと聞き逃してしまいそうになりもったいない。

そんな中田さんの新しいアルバム『PORTAS』。前作『DOUBLE STANDARD』からわずか7ヶ月、コロナ禍で生まれた一枚。久々のセルフプロデュースで、バンドメンバーがリモートでダビングした楽曲もある。そういう頭で聴くからか、中田さんのソロアルバムの中で最もプライベート感が滲んで、その「近さ」についついリピートしたくなる。

音楽的に近いわけではないけれど、手触り的にはポール・マッカートニーのセルフタイトル作『マッカートニー』『マッカートニーII』との近さを感じる。いや2曲目の「BACK TO MYSELF」は実際に『マッカートニーII』のサウンドに近いかもしれない。ポールも今年40年ぶりのセルフタイトル作『マッカートニーIII』を出す。コロナがもたらした奇遇である。この「BACK TO MYSELF」が、リリック的にもサウンド的にもアルバムの大きな柱に感じる。

6曲目の「夢の街」では《人はまだ何も知らない 強がってわかった顔して》と歌う。コロナ以来、みんながそんな思いに駆られたはずだ。まだ誰もコロナのことなんてわからないのに、誰もがしたり顔で、あれが悪いとかこれが間違っていると口にする。それが日常になってしまったことへの憂いが口を突いて出たようにも聞こえる。

特に切なさをあおるようなアルバムではないけれど、言葉の端っこや音の隙間に感じる、今年でなければ表現できなかった切なさや侘しさ。それが、前作から7ヶ月というインターバルで作品を作り上げるだけの衝動を中田さんに与えたのではなかろうか。「ならば」とこちらも一人でその切なさ侘しさに向き合い、できれば夜更けにそっと聴きたくなるアルバムである。もちろんCDで。

最近はそもそもCDプレーヤーを持っていない、CDを買ったことがないという音楽ファンもいるそうだ。そんな若い音楽好きに教えてあげたい。CDだからこそ伝わる音もあるんだよって。

ちなみに初回限定盤には中田さんの弾き語りツアー「謡うロマン街道」のライブCD付き。こちらは生絞りジュースの持ち帰りといったところかな。名曲のカバーがたくさん。「ウナセラディ東京」を歌ってくれるなんてたまらない。歌謡曲ファンとして純粋にうれしいボーナス盤です。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役