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さよならについて考える_14 日目

ミニマムを目指すということは、色々なことから解放されて、身軽になる、シンプルになることだと思っている。そういう意味では、重いモノ、動きを止めているモノと"さよなら"することだと思う。

モノとのさよなら

準備してさよならするって、あんまり使わない言葉だけど、モノを捨てる時はある程度整理してから、お別れすることが多い。別れた恋人との思い出の品たちは、えいっと捨てることもあるだろうし、何気なく家にやってきた友達に、あげるよ、と譲ったりもする。

個人的に一番心に残るのは、準備してお別れした時よりも、ふっと落とした時かなと思う。さよならを言えなかったとき。こっちの準備が全然できてなくて、まだまだ使うはずだったのに、一方的に(正確には自分でだけど・・・)無くなってしまった時。

でもいざ無くなってみれば、代わりを見つけるし、実はそこまでいらなかったものだったりするかもしれない。その別れが、何かを気づかせてくれるきっかけになったのなら、失くしたことにも意味は十分あったんじゃないかといつも思ってる。

習慣とさよなら

いつも続けていること。悪いことも良いことも、内面や外部の変化でさよならする。学生時代の部活動。犬との散歩。週末の近所のスーパーへの買い出し。タバコやお酒・・・。

長く続けていれば続けているほど、愛着もある。それで繋がっている関係もあれば、見えている景色もある。

さよならする理由も色々。怪我したり、引っ越ししたり、気持ちの変化だっり、決意だったり。

何もしない時間が何かを育てることもあるから、習慣とのさよならは、新しい時間を生み出すことと思っている。スキマを空けるから、何かが入ってくる。

ヒトとのさよなら

よっぽど関係が悪い相手でなければ、ヒトとのさよならは、いつも悲しみがついてくる。友人、恋人、家族、同僚、ご近所さん。。。別れを経験していない人はいないけど、さよならを言うタイミングがあったなら、それは感謝すべきことなのだと思う。

唐突に訪れる"さよなら"もある。最後と思わずに迎えた"さよなら"も。自分で関係を断つと決めた時の、強く儚い"さよなら"は、きゅっと心を締め付ける。それはそもそも"さよなら"のカタチをしていないかもしれないし、相手へのエールかもしれない。

"さよなら"にはストーリがある

"さよなら"を今よりももっと大切にしようと思う。出会いには別れがあるというけれど、別れの思い入れの方が、強く心の奥に残るもののように思う。時には傷を残すし、胸をあたたかくすることも。

"さよなら"ってたくさん書いていたら、正しくは"さようなら"だよなと思った。でも書きたい"さようなら"は"さよなら"の方が合ってる気がしてる。

To Be continued...

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