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サマスペ!2 『アッコの夏』(15)

四日目☆☆☆☆ 
 
 午前の行程は糸魚川市の能生のうという町までの約三十キロ。アッコは朝からもう二時間以上歩いているから、半分近くは来ていると思う。今日の日本海は波が荒れている。国道8号線は二車線あるし、歩道も十分な幅があるから安心だけど、場所によっては歩道の脇まで、白いしぶきが舞い上がっている。

 由里は旗持ちに指名されたから、ずっと先を歩いている。伴走は石田だ。由里は何を考えながら歩いているんだろう。それを考えると憂うつになってしまう。

 昨日の夜は一部屋に雑魚寝だったこともあって、校庭で別れた後、由里と話をしていない。由里が気遣ってくれたことはわかる。でも「一度くらい電車に乗ったって」と言われた時はショックだった。そして東条をかばったんじゃないかと言われて、むきになってしまった。胸の内を見透かされた気がした。

 洗面所で顔を洗う順番待ちの間も「お早う」と挨拶し合っただけだ。ケンカしたわけじゃないから謝るのもおかしいけど、何もなかったように平然と話すほど器用じゃない。
 由里がスタートの号令で飛び出していった時は、ほっとした。一緒に歩くことになったら、何を話せばいいかわからない。

 その代わり、残りの一年、三人がアッコを取り巻くようにして歩いている。
「アッコさん、ファイトデス」
「ありがと、クリス。あたし、めげないよ」

 クリスは何も聞かずに励ましてくれる。昨夜はおにぎりを持ってきてくれた。朝はクリスが片目をつぶってアッコによそった味噌汁には、なんとゆで玉子が入っていた。神かと思った。
 クリスというだけあってクリスチャンなのかもしれない。

 問題はほかのメンバーだ。東条に情けをかけたばかりに、アッコは不正をしたと疑われている。でも真実は話せないし、あんな奴のことを話題にもしたくない。
 がんじがらめだ。まったくむしゃくしゃする。

 前を歩いていた斉藤の背中が近づいてくる。妙にゆっくり歩いているからだ。クリスとの会話を聞き逃すまいとしている。尻を蹴り飛ばしてやろうかと思った。腫れ物に触るようにされるのは不愉快極まりない。

「アッコ、あれだよな」
 斉藤は横に並んできた。
「昨日は幹事長も石田さんも、ちょっとひどかったよなあ。メシ抜きなんてさ」
 石田には今朝も「電車に乗った分、体力あるんだろ。旗持ち、志願したらどうだ」と言われて、むっとした。
「またお昼の休憩で、嫌味を言われるんだろうな。やだやだ」
「まあまあ。それでさあ、昨日のことなんだけど」
 斉藤はさり気ない感じを醸し出している。

「俺たちには話してくれてもいいんじゃね」
 ずっと聞き方を考えていたような口調だ。
「東条、本当に脱走したんかな」
「あたしは東条に会ってないって言ってるでしょ」
 引っかけてるつもりか。
「電車賃はどうしたんだろ。誰かに借りたんかな」
 アッコは立ち止まって斉藤をにらんだ。
「斉藤はあたしが貸したと思ってるわけ」
「いやいやいや、滅相もない」
「じゃあ、あたしに聞かないでよね」
「でもさあ、東条が途中で逃げるなんて俺、信じられないんだよ」
 斉藤は東条の肩を持っている。
「あたしのせいだと思ってるの。昨日、石田さんがふざけたこと言ってたけど、あれ、信じてるわけ?」
「んなことないけどさ」

 斉藤は顔の前で右手を振った。黄色いランシャツの袖から伸びた腕は、日焼けして案外たくましい。その関節をきめてミシミシいわせてやりたくなった。
「俺、東条みたいなやつが将来、幹事長になるんだろうなって思ってたからさあ。気さくだし堂々としてるし」
 その目は節穴か。いや、あたしも人のことは言えない。

 アッコはつかず離れず歩いていた高見沢を振り返った。
「タカミーもあたしのこと、信用してくれないの」
 高見沢は中指で両目の上の眼鏡の蔓を押さえた。秀才の仕草だ。
「アッコが電車に乗ったっていうのは、石田さんが言ってるだけだ。言わば状況証拠でしかない」
「よかった。疑われてるのかと思った」
「だけど東条との間に何かあったことくらいわかるよ」
「なんでそうなるのよ」
 アッコは強く言って足元の白線に目を落とした。東条との約束の代償がこんなに大きいとは思わなかった。

「そう思うのも仕方ないだろ。同期の俺たちにも隠さないといけないのか。それで信用しろって言われても」
「何もないってば」
 もういい。アッコは高見沢や斉藤と仲良くなりたくて、サマスペに参加したわけじゃない。
 由里を応援するために……。
 ため息が出た。アッコはその由里にすら疑われている。


写真AC CLUBMANxさん

「三人ともケンカはやめまショウ」
 クリスが隣に並んだ。
「あのね、僕は知っているのデス。東条君は財布を隠してマシタ」
「マジか」と斉藤。
「集合場所で水戸さんに預けた財布は、タクシー代を払った時と違ったのデス」
「それってあれか? 最初から電車に乗るつもりだったってことかよ」
「それは海のものとも山のものともデス。でもフェアじゃないデス」
「うーん、東条ってそんなやつだったのか。なあ、高見沢」
 高見沢は眼鏡を外して、シャツでレンズをごしごし拭いた。珍しく横顔が固い。
「俺は真剣に歩いてるよ。疲れても苦しくても腹が減っても」
「ん? 俺だってそうだ」
「もし東条が財布を持っていたとしたら、ルール違反だ。許せないな」
 高見沢が真っ当な感覚を持っていてよかった。

「東条君と新潟見物をしていてわかりました。彼は畳のような人デス」
「タタミ? なんだ、それ」
 斉藤が怪訝そうな顔をする。
「裏と表があるのデス」
 高見沢が眼鏡を掛けた。苦笑している。
「座布団ほしいのか、クリスは」
「クリスって、ほんとに外人なの」
 アッコも頬が緩んだ。この発言を聞いていると、敬虔なクリスチャンではないようだが、こっちのクリスも好きだ。
「それさ、畳じゃなくてもよくね?」
 斉藤も笑っている。空気がほぐれていく。

 アッコは振り返って後ろ向きに歩いた。同期三人がアッコを見る。
「ごめん、やっぱり事情は言えないんだけどさ。あたし、ずるはしてないから。だから……この先も一緒に歩いていいでしょ」
「あたぼうデス」
 クリスは即答してくれた。その横で高見沢が「しょうがないな」と答える。
「事情がわからないのは、はっきり言って気持ちが悪い。でもまあ、いったん保留にしとくよ。うまいラタトゥイユを食べさせてもらったからね」
「……いいよ、保留でも」
 ラタトゥイユがなかったら、どうなっていたんだろう。
「アッコ、これからは誰かと一緒に歩くようにしなよ。一人で歩いてると、また疑われるからさ」
「わかった。気をつけるよ、タカミー」

「俺、東条が抜けたのは残念だよ。でもさ」
 斉藤は口をへの字に曲げた。
「東条は俺たちとは、サマスペに向き合う姿勢が違ったんだ。東条にはサマスペが……俺たちのことが大切じゃなかったってことだよな」
 ああ、東条がサマスペに参加した動機をぶちまけてやりたい。
「くそ真面目に旅をしている俺たちのことを軽く見ているってことだろ」
「俺もそう思うよ」
 高見沢が頷く。
「でもアッコはたとえ東条と電車に乗ったとしても――」
「乗ってないって」
「最後まで聞けって」
 斉藤が強い声音で言う。
「アッコは東条とは違ってサマスペを選んだんだよ」
 
 黙っていると斉藤が照れくさそうに笑う。
「俺が言いたかったのはさ、アッコは今、こうして俺らと一緒に歩いてるわけだろ。俺はそれでいいよ。それで腹決めした」
 アッコは驚いた。瞬きする斉藤の目尻に涙が溜まっている。うるっときそうになって前に向き直った。
「やだな斉藤、泣くなって」
「斉藤さん、涙もろいデスネ。今のセリフに感動するようなとこ、あったデスか」
「うるさいな、クリスは。ほっといてくれ」
 むきになって言う斉藤に高見沢が笑う。
「それよりクリス、同期なんだから、いい加減タメ口にしろよ」
「敬語から覚えたので、こっちの方が楽なのデス。おかしいデスか」
「そのイントネーションが不思議なんだよな。どんな先生に習ったんだよ」
 
 アッコの後ろで同期の男どもが騒いでいる。歩きながら深呼吸した。磯の香りが鼻腔をくすぐる。
 アッコの電車乗車疑惑は消えることはない。みんな、もやっとしている。電車に乗ったと思われるのはもう仕方がない、と思った。信じてくれと言っても無理だ。
 
 あたしが悪い。疚しいところはまったくないけど、疑われるようなことをした上に、事情を説明しないんだから。
 よしわかった。あたしも腹決めしよう。みんなの誤解が解けるように、がんがん歩いてやる。あたしが不正をするような人間じゃないって認めさせてやる。
 それよりも、なんで今、斉藤ごときにつられて泣きそうになったんだろう。全然あたしらしくない。サマスペのせいだろうか。まだ始まって三日しか経っていないのに、感情のコントロールができなくなったみたいだ。

 後ろで三人の笑い声が響く。

 なぜだろう、初めてこの三人と一緒に最後まで歩きたいと思った。

<続く>

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