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泣く

   涙は突然溢れてくる。


   予期せずに溢れる涙。


  それはもうダムの決壊のように、制御不能に陥ってしまうのだけれど、いっ方で自分の心にまだそうやって動く余地があったのだという発見に少し安堵したりもする。決壊したあとの心の清々しさは拭き上げられ澄んだ空を映す冬の窓みたいにピカピカしている。


    子供には絵本の読み聞かせを。


    とりあえず、それさえしてればOKという子育ての本を見て、やっぱりそうだよねと深く納得した私は、有名どころの絵本をちょっとずつ借りては子供の反応をみて気に入ったものを買って読み聞かせたりするようになった。


   昔話というのは教訓に溢れていて、これらの話を繰り返し耳にして育った子供に悪い心なんて宿りようが無いのではと思うくらいに、大人になったいま子供に読み聞かせするたびにその内容に感心し、そして私の心にも沁みてくる。


   そんな読み聞かせの中でも、名作中の名作。名作君もおいそれとは茶化せないかもしれないあの名作。広い大草原、響き渡る楽器はどこか物悲しく優しい。胸に響く音色に耳を澄ませ今日の疲れを忘れましょう。


  そう大草原を駆ける、一頭の白い馬。


  あの有名なスーホの白い馬。


   このお話が文部省お墨付きの良いお話なのは知っていたし、一度くらいは読んだことがあるはずなのだけれど、我が子に読み聞かせているうちに、不意に一発心に喰らってしまったのです。


    小さい白い馬を弟のように可愛がるスーホ。この一人と一頭の出会いからして、小さいものへの慈愛で満ち溢れていました。日が暮れても子馬が一頭取り残されて、放っておいては、狼に食べられてしまうからと、その仔馬を抱き抱えて連れて帰るスーホ。成長した仔馬がスーホの羊達を身を挺して狼から守る。そんな心優しい一人と一頭が、大草原を誰も寄せ付けないスピードで駆け抜け、競技会で優勝する疾走感と痛快さ。


  そして私利私欲にまみれ人を人とも思わない、地方の殿様の卑しさが、スーホと白馬の気高さ優しさを際立たせ、白馬が負傷しながらもスーホの元へと懸命に戻って行く場面で、私の涙腺は崩壊してしまった。


    ただ自由に一生懸命に草原を駆け抜けただけなのに、なぜこんなに理不尽な目に合わなければいけないのか、今にも絶命しそうになりながらも、ただひたすらスーホを目指す白馬のなんて健気な事。どうか一目スーホに会えますように、そう願いながら目から涙が止まらなくなり、むせび泣いていた。


   子供のための話しだと高を括っていたのに完全に不意をつかれ、しばらく悲しさでいっぱいだった。訪れたことのないモンゴルの草原を馬頭琴の音色が流れ人々の心と身体を癒やしている光景が私の脳裏にも広がり、少しずつ悲しみが薄れていった。


    息子は不思議そうに私を見ていて、私は少しバツが悪かったけれど、久しぶりにこの話を読めてよかったなと思った。


   彼にとっては、白馬の速さや殿様を振り落とす力強さが強く印象に残り、悲しさよりも格好良いと思える話なんだそうだ。


   でも、大人になってもしも自分の子供に読んであげたなら、私が泣いてたことを思い出して、私より号泣しちゃうかもしれないね。


   


   オシマイ。


   

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