醜い正義
僕は基本的に怒る事がない。
年に一度あるかどうか。いや、ないな。
最後に苛立ち怒ったのはいつだったか。おそらく大学4年生の冬、就活が思うように進まず研究室で提出用のポートフォリオを手直していた時、他研究室の友達が爪を切り始めたことにキレてしまった。そんなことで?と思うかもしれないが、それだけ精神的に追い詰められていた。
中学、高校の頃は結構怒っていた。キレまくっていた。いわゆる反抗期だ。そのほとんどが親に対しての怒りだった。今考えるとただ甘えていただけなのかもしれない。
大学生になり一人暮らしが始まるとキレることはなくなった。ただ、苛立ちを感じることは多々あった。
社会人になると自然に苛立つことがなくなった。いろいろな生き方、価値観があることに気付いたからだ。それに気付いたことで自分とは違う考え方の人を認めることができるようになっていった。もう一つは単純に苦手な人とは関わらないようにした。
何か劇的な出来事があった訳ではないが、この二つの気付きのおかげで、徐々に相手の立場で物事を考えることができるようになり、結果的に今は怒りをコントロール出来ている。
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僕は昔からその場に漂い始める不穏な空気感に敏感だった。今で言うとコロナ自粛の殺伐とした空気感がとても嫌だ。
不穏な空気感はむき出しの攻撃的な怒りにつながる事が経験上多い。じわじわと水が温度を上げて沸騰するように。僕はこの理不尽な怒りを未然に防ぐために、相手話しを合わせる事がある。こんならしくないことをするようになったのも社会人になってからの話だ。
そもそも僕は性格上、嘘をつく事が苦手である。聞こえはいいかもしれないがこれは厄介なもので、正直すぎるがゆえに無差別に人を傷つけることがある。相手の気持ちなんてそっちのけの素直で悪びれのない重い一発を食らわす。
社会人になり相手の立場で考えられるようになってからは、自分の主張より会話の流れを大事にしている。相手の立場になって気を悪くするかもしれないことや訊かないで欲しいと思うことは口に出さない。”自分がされて嫌なことは他の人にもしない“そんな誰かの言葉を思い出す。遅すぎる気もするが、こんな当たり前のことを社会人になってようやく気付くことができた。
ところがこんな当たり前のことがまだ分からない大人がたくさんいる。
自分の思い通りにならないと不機嫌になり始め、些細なことで声を荒立て人を罵倒する。相手のことなど微塵も考えていない。
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最近だと黒川検事長や河井夫妻の件にみんな怒っている。しかし、何に対して怒っているのかというとほとんどの人がこの人たちが受け取る退職金やボーナスに対してである。
確かに検事長だったり政治家が法律を破るような行為をしたことは許されないことだが、みなさん怒るポイントがずれてはいませんか?
TwitterやYahoo!ニュースのコメント欄を見ると、正義感溢れる正しさを振りかざした怒りの投稿が凄まじい数あるが、どれもこれも結局金。
醜い正義だ。
誰もそのお金を貰えるわけでもないのに、その妬ましさから正義という名のずた袋を被り、意味もなく批判し怒りを増大させている。
こういう考えの人が現実に存在するということが恐ろしい。それも大勢。
これからも世の中は怒りで溢れ続けていくと思う。それでも僕は出来る限りこういった人とは関わらず、穏やかに生きていきたい。
僕はいま怒っているのではなく、どうしようもなく呆れているのだ。
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