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技術と荒々しさのバランスの話と知名度を得るより品質が大事な話 ※今日も練習は楽しかったです

今日も練習をしました。楽しかったです。

練習をするのは当たり前のことです。練習をしたからどうだという話ではありませんが、日々の練習の中で自分自身の発見や練習相手との攻防の中で自分の格闘技が研磨されていきます。39歳の今も上手く強くなっています。やればやるほどに立ち方、クラッチの組み方、受け身、呼吸、間合いと基本中の基本に戻ってきます。煌びやかで目を引く最新の技術よりも基本技術の大切さを知って、尚且つ格好をつけずに基本技術を疎かにせず日々を積み上げる重要性を僕は知っています。

練習を積んでいけば上手になるのは当たり前です。
一つの技術を取ってみても、立ち方から手の握り方に極め方に至るまで、全てに理屈と技術があって、美しい格闘技を僕は目指しています。僕の技術には理屈と意味に僕の考えが乗っています。今までたくさんの選手と技術交換や技術談義の中で意見交換をさせてもらってきたのですが、トップ選手は理屈だけではなく、選手の考えや性格(思想信念主義主張)が乗っていて技術を交わらせるのが楽しく面白かったです。最近で言うとレオジーニョの技術や鈴木秀樹の理屈と論は学びが多く面白いと感じました。

上手くなるのは大事なことです。技術が上達しなければ底上げができません。格闘技の最後が「技」である以上は技術が磨かれていくのは正しい方向性ではあるのですが、格闘技が「闘い」であるからには上手さと技術に寄ってしまうのは大きなリスクがあります。結局は競技ではなく「闘い」であって、荒々しさや獰猛さや人間力が技術を飲み込んでしまうことはよく見てきたし、自分自身が身を以て経験してきました。マッハ戦も秋山戦も技術論に目が行ってしまい「闘い」であることが疎かになっていたように結果論ではありますが、感じるところがあって反省点の一つです。

試合の中での技術と荒々しさの関係性はまさに「塩梅」なところがあります。技術だけでは闘いが成り立たないし、荒々しさだけでは粗さを突かれてしまうから、その絶妙なバランスを探すのが格闘技者の腕の見せ所であり醍醐味だと思います。

指導する側に回ったときは「粗くなっているから丁寧に」と伝えたり、「技術に寄って怖さがないから荒々しくいこう」と声を掛けるようにはしていますが、アドバイスの域を超えないようにしています。それは選手を格闘技者として尊重しているのもあるし、塩梅こそが腕の見せ所と醍醐味だと思うからです。短期的な結果を求めるのであれば指導側が決めてしまう方が楽に結果が出るとは思うのですが、選手が考えて決定権を持つことこそ自立であって格闘技選手の仕事の枠を超えたときにも大切な「自立」だと僕は考えています。

格闘技は「闘い」であるのを忘れずに技術に走ることなく、技術を疎かにすることなく、日々の生活の中で学びを大事に強くなることに真摯に向き合います。僕の話で言えばもう少し角張った格闘技の技術体系を取り戻したいと思っています。確実に上手く強くなってはいますが、日々の稽古やこれまでの経験で研磨されてきた部分を考えて、ゴツゴツした格闘技をやっていきたいです。格闘技は技術点を競い合うものではなく、闘うものですからね。

ここからは週末で感じた「知名度を得るより品質が大事な話」を書いていきます。今は知名度を得るのが容易くなってきて、逆に知名度よりも品質があるかどうかが大事になっています。

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