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サウナ 「自分と向き合う場所」の話 心身の繋がりを感じ取ること

サウナブームが衰えを知らないどころか快進撃を続けています。

サウナブームの前からサウナに足繁く通っている身としては「人々はすぐに飽きてブームは落ち着くだろう」と思っていたのですが、どこもサウナは繁盛していて満員御礼な上、サウナ施設は次々にオープンするし、既存の銭湯サウナはサウナをリニューアルしてここぞとばかりに経営再建を図ろうとしていて、サウナブームは一向に落ち着く気配が見えません。

需要に供給が追いついていないから、週末のサウナ施設は「待ち」が珍しくありません。先週土曜日、実家の近所の「サウナしきじ」に行ったら1時間40分待ちを宣告されて、「サウナは待ってまで入るものではないだろう」と諦めたし、東京のホームサウナ「中村浴場」も週末は混雑で足が遠のいているのが正直なところです。

僕はサウナは「自分と向き合う場所」として位置付けていたので、混雑が起こり、周囲に気を遣うようになったら本末転倒なのです。サウナはサウナ室にガランと数人だからこそ考え事ができたので、今のような混雑が常態化したサウナではサウナの目的を果たすことができなくなってしまいました。

単純にサウナで脱水状態を起こすことで身体へのダメージが大きいと感じるようになったのも大きな理由の一つですが、混雑によって自分と向き合う場所としての要件を満たさなくなったこともサウナへ行く回数が減った理由の一つなように思います。もちろん一番の理由は身体へのダメージが大きいことで、「整った」と瞬間は疲れが抜けた気にはなりますが、時間が経てば脱水の疲労感が襲ってきて、結果的に疲労を残しているのは紛れもない事実だと思います。サウナが健康にいいかどうかは眉唾で、サウナは快楽を求めるだけで、信仰だと思っています。多分、身体には良くないと僕は思います。

現代社会は「雑音」が多いです。SNSのお陰で人の生活が可視化されて、比較して監視し合うようになったことで結果としてそれが雑音となっています。SNSは便利で楽しいものではあるけれど、その分の弊害はしっかりとあります。他の選手が練習している姿をSNSで見ることで煽られて自分のペースを崩してしまうことを気をつけているし、SNSを使った自爆を誘発させる攻撃合戦とさえ僕は思っているほどです。

この雑音の多い社会を生き抜く知恵の一つとして、人々が辿り着いたのがサウナであって、ランニングとか自転車とかトレーニングなどのブームも、雑音の多い社会を生き抜く上で「自分と向き合う場所」としての需要だと思っています。必ずしもサウナである必要もなく、自転車でも迷走でもランニングでも個々の自分と向き合える形があればいいのだと思います。

自分と向き合うという行為を考えていくと心身の繋がりを感じ取ること行為だと思います。自分の身体と心との対話を繰り返す行為が僕にとっては練習であり、自転車であり、サウナの時間です。練習は相手と競い合っているようで、自身のコンディションの確認や身体の変化を感じ取る行為だし、自転車に乗っている時間も思考を巡らせて心身の繋がりを感じ取る時間だし、サウナの時間も同じくなのです。雑音の多い社会を生き抜くには自分と向き合う機会を持って、心身の繋がりを感じ取ることをの重要性が増していると思います。

自分と向き合わず、心身の繋がりを作ろうとせず、若いと思い込んで走り切ろうとするのは、短期的に見ればできなくもないけれど、中長期で考えたら必ずガタが来て、立ち行かなくなります。自分だけは大丈夫だと思っていても、心か身体のどちらかに歪みが生じるでしょう。自分と向き合い自問自答を繰り返して、心身の繋がりを感じ取るのは全世代に大切なことだと思いますが、僕ら40前後の世代にはより重要な話だと思います。何故なら身体や仕事や環境の変化が多い頃合いだからです。僕は自分自身との対話を根気よく続けていこうと思います。

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