見出し画像

できること、できないこと。嬉しくなったり落ち込んだり、そんな連続。

4月に年長になりたてほやほやの子達と
お話づくりのレッスン。

「4種類のお話が隠れています。同じお話
の絵だと思うのものを重ねましょう。」

シャッフルされた16枚の絵カードを
同じお話しごとに分類して、
同じお話の絵を時系列に並び替え、
お話を作って発表する取り組みだ。

皆それぞれ自分の取り組みに向き合って
しっかり分類できている。

時系列は惜しいものもあるけれど、
皆が絵を見て
しっかり並べてくれたお話しでは、
自分だったらどうするか、
と深めてみた。

「もし、お友達がアイスを
落としちゃったら、自分ならどうする?」



取り上げたのは、遊園地のお話しで
女の子が買ったばかりの
アイスクリームを落としてしまった1枚。

子どもたち同士で
議論できる成長をみせてくれた。

Sちゃん:「私ならその子にアイスを買ってあげる。」
Uくん:「僕も僕のお金で5人くらいに買ってあげるよ!」
Sちゃん:「でも、お金が足りなくなって自分の分を買えなくなっちゃったらどうするの?」
Mちゃん:「‥‥。」(Uくんを見つめる)
Uくん:「僕、1万円あるから大丈夫!ばあばからもらったの!」
Mちゃん:「‥‥!」(Uくんを二度見する)
Sちゃん:「なんでや!」

間髪入れずに質問が出来て、
突っ込みもキレのいいSちゃん。
一歩下がって冷静に
二人の言い合いに耳を傾けつつ、
1万円の件から訝しげに
Uくんを二度見する
金銭感覚がしっかりしたMちゃん。
お金に対する感覚は深めたい一方、
たくさんの友達を救いたい
正義感溢れるUくん。

「他の子はどうかな?
私ならこうするよ~って子はいるかな?」
聞くと、Mちゃんが
小さな声だけれども
しっかりと手を挙げて教えてくれた。

Mちゃん:「私なら、私の分のアイスを友達にあげる。」
Sちゃん:「でも、口にしたものをあげると虫歯がうつっちゃうんだよ!」
Uくん:「あのね、お口のウィルスが
うつっちゃうから、口つけたものは
あげちゃダメなの!
風邪もうつっちゃうから!」
矢継ぎ早に2人からの素晴らしい反論。

Mちゃん、どうするかなぁと
少し気になりつつ見守っていたら

「食べる前!口をつける前にあげるの!」

ちゃんと負けないくらいの
大きさの声で意見していた。

テーマに沿って、しっかりと
相手の意見を聞いたうえで
自分の意見を伝えようとしている。
子どもたちなりにちゃんと考えている姿が
とても頼もしかった。


概念というと、
語彙力がまっ先にイメージされがちだが、
因果関係や時系列を考える力も含まれる。

難しい子は、まず、同じお話のカードを
重ねるところでつまずく。
「あ、このカードここにあるな。あれっ、あのカードは・・・」
目の前にあるたくさんの情報に
自分で優先順位を付けられず、
いっこうに重ならない。
分類することが難しい。


ある分野がどうにも分からない、
というのはある。

「ちょっと考えればできる」ではなく、
できないことを求めるのは、
相手にとって苦痛になる。

それは分かっている。
分かっているつもりなのに、
お月謝もいただいてる以上、
講師という立場上、
それでも導くのが講師の役目だと
どうしても抗いたくなってしまう。



わかちゃんは言った。

「できない子はできないからね。」

その子に対する軽蔑からではなく、
その子の今後を真剣に考えて。

「こればっかりはどうしようもない、
というのはあるから。
今、のっぽが思っていることを、
その生徒が中学生になったときに
そのお母さんも思っていたら、
その子が不幸になる。
その子が夢中になってできることを
伸ばしてあげようって
お母さんに思ってもらえるようにしなきゃ。
できることを見つけてあげなきゃ。
だから、さかなくんのお母さんは
すごいと思うよ。
さかなくんが夢中になることを
ちゃんと認めて伸ばしてあげて、
さかなくんはいまや
それを仕事にしているんだからね。」

私という講師は本当に反省の連続だ。
ちょっとレッスンに
自信がついたと思ったら、すぐに
あぁ、これじゃだめだと反省する。


わかちゃんが言った。

「まぁ、それが仕事の醍醐味じゃない?」
「悩まない仕事は、ただの作業だから。」


そっか。

これが、仕事の醍醐味か。

確かに。


わかちゃんが言うように、
仕事があるだけで有難いことだ。

命に限りがあるように
仕事もいつまでもあるとは限らない。
ましてや、仕事ができるのも
健康に生きているうちだけ。
そう思うと、 
悩むのも、ある意味
幸せなことなのかもしれないと思った。


悩みながら
感謝して、
子どもたちのできることを
たくさん見つけてあげたい。




こんな格言をくれるわかちゃんだけど、
昨夜は、「ご飯が炊けてないとかありえない!お肉焼いてくれるならご飯も炊いてくれていいじゃん!!まじで絶望!!」と、怒り叫んだ。

こじらせている。

わかちゃんは、遠方から疲れて帰って
あたたかいご飯を期待していて
「普通、相手が疲れて帰ってくるんだから
あたたかいご飯まで用意してあげよう!って思うのが思いやりでしょ!!
それをあなたは糖質制限しているから炊かなくていいよねってどんだけ冷たいの!!
どんだけ自分勝手なの!!」と怒っている。

確かにその余裕がなかった。
前夜から頭痛があって、仕事終わりで
ヘトヘトだったけれど
疲れているだろうからなにか作った方がいいかなと思って、
確かに美味しくはないかもしれないけれど
豚肉とキャベツに火を通した。
でも、それじゃ足りないかなと考える。
以前に、お肉が少なくて罰ゲームみたいだと怒ったから、
結婚後にお米の摂取が増えたから太ったと言ったから
お米よりも、追加のお肉を焼くことを優先した。


でも、言われた言葉は
「こんなんだったら、外で食べた方がまし!!」


私は、冷たい人間なのかな。
自分勝手なのかな。
頑張ってるつもりだけど、
違うのかな。


こうやってボタンは掛け違えていくんだろうな。。。


父は、母が疲れてご飯がないとき
「ご飯ないのか」と静かに済ましていた。
母は、私の作ったおかずにご飯がないとき
「おかずがあるだけでもありがたいよ。ありがとう。」と言ってくれていた。

きっと、それは両親だからだ。
今更ながらに、
恵まれていたんだなぁと痛感する。



できてることに目を向けたいのに
なかなかうまくいかない。


普通ってなに?





記事を見つけて下さり、最後まで読んでいただきありがとうございます。 少しでもなにか心に残るものを届けられていましたら、こんなにも嬉しいことはありません。