カールツァイスとの出会い
僕には非常に仲良くしている幼馴染の兄弟がいて、8つ上と5つ上なのでだいぶ歳上なのだが、幼い頃からとても仲良くしてくれて、色々な事を教えてくれた。
僕が大学に入った年には、少しでも近いからと一年間そこのウチに住まわせてもらった事もある。
2人とも凄い趣味人で、(特にプラモデルを作るのがとてもうまかった)そしてそのまま職業にしてしまったような人達である。
小さいころから彼らの家に遊びに行くのが楽しみで、模型、楽器、車、バイク、オーディオ、その他もろもろホビーのエレメントが転がってるそれはもう楽しさの宝庫のような家だった。
特にプラモデルはいつも山積みになっていて、作りかけの物と一緒に塗料やセメダインの臭いが漂っていた。僕はそれが大好きだった。ここでは色々な事に興味を持つ事ができた。
僕は9歳から15歳まで父の仕事の関係でサンパウロにいたのだが、その間も手紙をもらったり、一時帰国の時はもちろん遊びにいったりと途切れる事はなかった。
ある年の手紙のなかに日本の初日の出の写真がはいっていた事があった。それは日の出の眩しさやその光を含んだ空気の熱を感じるようなサービス版で、写真には
「カールツァイス、プラナーで撮影、傑作の一枚」
と書いてあった。
なにかいいカメラを買ったと言うような話をきいていたが、カールツァイスが、なんなのかわからないまま、その単語だけが記憶の奥底にしまわれた。
僕が写真を始めた高校のとき、カメラに詳しい友達から「なんせ一番凄いのはコンタックスのカールツァイスよ」と聞かされた。コンタックス?なにそれペンタックスじゃないの、なんか偽物っぽい名前じゃん、と無知丸出しで思いつつ、カールツァイスはなんか聞いたことあるな、とおぼろげな記憶がよぎる。
聞くとコンタックスはドイツのカメラメーカーで、その一眼レフにはカールツァイスという最高の性能をもったレンズがラインナップされているという。
僕のカメラは知り合いのおじさんから買った中古のオリンパスOM-2Nで、憧れは当時オートフォーカスで最先端を走っていたミノルタのα9000だったし、あとはキヤノン、ニコン、リコー、フジ、ぐらいしか知らなかった。海外ブランドのコンタックスは全くのノーマークだったのだ。
僕の最初の愛機 オリンパスOM-2n
その情報の少なさと、現実からかけ離れた値段もあって高校時代はそのままノーマーク、結局日芸の写真学科に入学してからコンタックス、カールツァィスの存在をしっかりと認識することになった。
双眼鏡や眼鏡、プラネタリウムまで手がけるドイツの名門光学メーカー、カールツァイス。いまや最先端を突っ走る日本の光学メーカーもカールツァイスに追いつけ追い越せの時期があったほど、神格化されたブランドだ。
カールツァイスのレンズにはそのレンズ構成から名前がつけられていた。
テッサー、ゾナー、ディスタゴン、プラナー、
プラナー?、ああ、プラナー!これだったんだ!
僕の幼馴染のカメラはコンタックスRTS 、それにカールツァイスのプラナー50mmF1.4がついた物だった。
ピントがシャープでボケが美しく、空気まで写るような柔らかい描写力をもったレンズ、それがプラナーの特徴と言われていた。未だにレンズはそれを求めて作られているし、フォトグラファーもそれを欲している。
当時から日本のメーカーの物よりかなり高価だったのだが、彼がコンタックスを買ったのは、、たしか中学生の時、、どうやって手に入れたんだろう。。
後に彼のお兄さんに聞いたところ、かれは諸々ドイツの物が大好きだったのだが(車はフォルクスワーゲンのデリバンだったり)このコンタックスRTSもデザイン含め、もう欲しくて欲しくて他のものには目もくれず、その熱心さに絆された母親が買ってくれたそうだ。
にしても、好きだねえ、、(^^)
たしかに、このカメラ(RTS)はポルシェデザインのカメラで他の一眼レフとは一線を画す存在感がある。
標準レンズはカールツァイス プラナー、耐えられない気持ちも分からないでもない。
彼はそのカメラをずっと大事にしていて、2005年にコンタックスがカメラ事業から撤退したあとも中古でそのシステムを買い続けていた。
2015年に僕の個展に夫婦で見に来てくれたときにも「これ、買っちゃった」とカールツァイスのディスタゴン25mmをつけたコンタックス167MTをもって来ていた。もちろん、フィルムのカメラだ。
その時の嬉しそうな顔は忘れられない。
ほんと、好きだねぇ、
こっちまで嬉しくなるよ。
彼のコンタックス167MT
そんな彼はその年の10月。突然病気で亡くなってしまった。
僕は個展の巡回で福岡にいた時に、彼の兄から、彼の携帯でその訃報を受けた。
最初は冗談だとおもった、いや思いたかった。何を言ってもいるのか理解できず、それでも真実を伝えられた。
生まれて初めて、胸が張り裂ける思いを知った。
なにか自分の一部を失ってしまったように感じ、時間がぐちゃぐちゃに頭をかき混ぜていった。
しばらくの間、なにもする気が起きず、ふと想いを馳せては顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。
生きている事がどんな事なのか彼が教えてくれた。
一度しかない人生をどう生きていくのか、覚悟をきめる事ができたのはこの時だったと思う。
グラフィックデザイナーをしている兄の方とは今でも付き合いがあり、一緒にご飯を食べたり、お墓まいりに行ったりしては趣味の話で盛り上がっている。(僕にターボエンジンの構造を教えてくれたのこのお兄さんである)
趣味を職業にしてしまった様なこの二人の兄がいなかったら僕はフォトグラファーになっていなかったかも知れないし、カールツァイスの事を知る事も無かったかも知れない。
彼がもっていたコンタックス二台と二本のカールツァイスは形見分けで僕が引き取らせてもらった。
泣きながら磨いて、出番を待っているところだ。
心の中にはいつも彼がいる。
「安心して、腕には自信があるんだ」
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