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「共犯者」


小学校の夏休みになると、よくサッカーの遠征に出向いた。通常は宿舎に泊まるのだが、たまに大会が開かれる地元チームとの交流を目的としたホームステイをすることがあった。
僕みたいな人間にとって、それは地獄のような制度だった。

和歌山へ遠征に向かった僕らが、大会の開かれる学校に到着すると、地元の選手達から「ようこそ」という横断幕を持って迎えられた。
最初にちよっとした歓迎セレモニーみたいなのがあり、そこでお互いのキャプテンが挨拶をする。相手のキャプテンの挨拶が終わり、僕の番になると、迎え入れてくれた相手チームやその保護者達に向かって、三日前から熟考し、準備万全の挨拶を僕は披露する。盛大な拍手が沸き上がり、監督は両手を組んで「うんうん」と頷いていた。

「あの年齢で、あそこまで完成された挨拶をする選手は見たことがない。類稀なるセンスに地道な努力。ありゃ・・挨拶の天才だな」

そんな、少年マンガではお目にかかれない台詞を、監督は心の中で呟いていたかもしれない。

その後、両チームの選手がペアになり、近い者は徒歩で、少し遠い者は迎えに来た保護者の車に乗り込んで、それぞれのホームステイ先に帰って行くのだ。
僕を泊めてくれる子は、少しふっくらした優しそうな子だった。お母さんも優しく、車の中でもさっきの挨拶が素晴らしかったと褒めてくれ、「この子にも、もっとしっかりしてもらわなアカン」と笑っていた。
家に着くと、お母さんは二つ上くらいのお姉ちゃんを紹介して、後はこの子が全部してくれるからと慌ただしく準備を始めた。
お母さんは看護師で今日は夜勤なのだと、その子から教えてもらった。
きっと大変だったのに、それでも僕を泊めてくれたことを本当にありがたく思った。
そんな恩に報いる為、僕は絶対に上手く振る舞ってやると決意をしたのだが、子供部屋で二人になるとやはり会話が続かず、その子が持ってるマンガをめちゃくちゃ気に入り、集中して読んでるフリをしてしまった。
二時間ほど過ぎるとお姉ちゃんに下から呼ばれ、二人で階段を降りている途中でカレーのいい匂いが漂ってきた。
小さな食卓を三人で囲み、お母さんが用意してくれていたカレーを三人で無言で食べた。カレー皿の底を銀のスプーンでカツカツ叩く音と、カレーを口に入れたコクコクという租借音だけが鳴り響く部屋。

「囚人でもこんな無言で飯食わんぞ」

一度そう考えると、僕は可笑しくて我慢が出来なくなり、開始五分ほどで遂に吹き出してしまった。すると僕が吹き出したタイミングで、二人も爆笑し始めた。

三人は同じ気持ちでカレーを食べていたのだ。

まるで、静寂の風船が一気に割れる破裂音のような笑いだった。そこから三人で腹を抱えて笑い、治まるとまた三人は無言でカレーを食べ、また一人が我慢できず吹き出すと、全員が笑うというループを、カレーが食べ終わるまで僕らは続けた。

朝早くお母さんに起こされ、今度は四人で食卓についた。
「昨日はどうだった」とお母さんに聞かれ、僕ら三人はひっそりと、共犯者のような笑みを浮かべた。

車で会場まで送ってくれたお母さんにお礼を言って、僕らはお互いのチームに戻った。ここでいつも驚かされるのが、次の日に会うと、みんなめちゃくちゃ仲良くなっているのである。もうずっとチームメイトだったみたいに、歩きながら肩を組んで会場に入ってくる奴もいたりする。その度に僕は、自分を泊めてくれた子に悪い気がしていた。

大会一日目は、トーナメントで別のブロックに置かれていたので、僕らは一度別れると会うことはなかった。一日目が終わりまたホームステイ先に帰るのだが、シャッフルが行われ、僕らは一日目と違う選手の家に泊まることになっていた。僕は憂鬱だったがラッキーなことに、人数の関係で一つのホームステイ先に、僕ともう一人のチームメイト、二人で泊まることになったのだ。

僕はその日負った怪我の治療の為に帰りがみんなより遅くなり、他の選手達は先にホームステイ先に帰っていた。
遅れて到着した僕が、その家のお母さんに子供部屋へ案内されると、寝ころんで一人テレビゲームをしてる後ろ姿が見えた。
チームメイトは何処に行ったのかと思いながら僕が挨拶をすると「おう」と言って僕のチームメイトが振り返った。

「えっ、ホームステイ先でもう自分の家みたいにくつろいでる」

とんでもない衝撃を受けたのだが、その後に部屋へ入ってきた相手チームの選手に対してもそいつは「お帰り、何してたん遅かったな」と更なる衝撃の発言をぶっ放したのだ。

「えっ、まだ帰って来てない人の家で、勝手に寝ころんでずっとゲームしてたんお前」

僕は恐ろしくてしょうがなかったのだが、その子は平然と「ちょっとチームのミーティングがあって」などと言い、ひょいと隣に座って二人でゲームを始めたのだ。
そんな感じで仲良くなれるんやと思ったし、何故僕にはこれが出来ないのだろうと思った。
そんな二人の、嵐のような渦の中に僕もいつの間にか引きずり込まれ、かなり大きな補助はあったにせよ、初めて僕はホームステイ先で仲良く出来た。
その家のお父さんも豪快な人で、次の日には朝ご飯を食べた僕らを「ホラ、はよ乗れっ!」とまくし立て、普段仕事で使っている大きなトラックの荷台に乗せた。
朝日を浴びながら風を切って進むトラックの荷台の上で、僕らは何故か叫びたくなり、三人で大声で叫んだ。それは共犯者みたいに笑った昨日とは真逆の行為のように思えた。
会場で僕らを降ろすと、お父さんは大きなクラクションを鳴らしながら仕事に向かった。
トラックの荷台の興奮が冷めぬまま三人で歩いていると後ろから冷たい視線を感じ、振り返ると昨日僕を泊めてくれた子が立っていた。

「へぇ〜そんな仲良く出来るんだぁ、なんか昨日は俺でごめんねぇ・・」

そう物語るような表情だった。
好きな子と一緒にいる所を、元カノに見られたみたいな気まずさがあった。

その後チームに合流して試合が始まり、僕ら二チームはなんと決勝戦で試合出来ることになった。お互い気合い十分で、拮抗した試合展開のまま、前半をスコアレスドローで終えた。
監督から後半はもっと強引に行けと指示を受け、僕は果敢にドリブルで攻め込んだ。二人かわし、三人かわし、いよいよゴールキーパーと一対一になったのだが、キーパーは一日目に泊めてくれた、ふっくらしたあの子だった。
僕がシュートを打とうとキーパーの位置を確認すると、あの子はまたあの顔で僕を見ていた。

「へぇ〜シュート決めるんだぁ、まぁ正直こっちは、もう今朝すでに一点決められてる気分やけどなぁ・・」

僕のシュートは大きく枠を外れた。

監督から激しい怒号が飛んでくる。次は必ず決めなければならない。
左から上がったセンターリングを胸でトラップしながらディフェンダーをかわし、シュート体制に入ると、キーパーの子が顔がまたあの表情で僕を見ていた。

味占めてますやん。
その顔をもうディフェンスの一つとして使ってますやん。

そしてまた僕のシュートは外れた。

三回目のチャンスでその顔を見たときは僕もムカついて、顔面を吹き飛ばす勢いでシュートを放ってゴールを決めた。

試合は、そのまま僕らが逃げ切り優勝を果たした。
大会後に二日日お世話になったチームへ、僕が最後のお別れと感謝の挨拶をしている時だった。

「その挨拶ぐらいシュートも上手かったら決勝ももっと楽やったのにな」

そんな野次を監督が飛ばした。
保護者達が笑う中、僕とキーパーの子は目が合い、そして応援に来ていたお姉ちゃんとも目が合った。

そして僕らは、また三人で共犯者みたいに笑った。

あの時、こんな不思議な関係も悪くない気がしていた。

今でもこうして忘れらない、印象深い出来事の一つとなった。




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